日本の伏魔殿、皇室! ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※同期の桜

 

 海軍兵学校生徒は、心の師となることを学んでいる

 

  世界で唯一の軍隊であった

 

    これは海上自衛隊に引き継がれている!

 

 

 

 今の世相の問題を見ると、コロナウイルスであり、オリンピックです。秋には自民党の選挙も控えています。どれも大事な問題です。一つも大事はでない問題はありません。

 それよりも、もっとも大事な問題は皇室問題です。これを皆さんにわかってもらいたいと思います。それだけ皇室の問題は大事です。何よりも優先して、どんな問題よりも大事です。

 失業者が出ても、コロナウイルスに感染して死者が出たとしても、最も大事なことは、皇室の問題です。皇室の問題は、日本国民全てに関係してくるのです。コロナウイルスの問題は、コロナウイルスに感染した人に関係する問題です。

 皇室の問題は、コロナウイルスに感染しようが、感染しなくても、国民の全員が関係する大事な問題です。何故かというと、民族の魂に関係する問題だからです。魂が傷ついている時にほっておけば、完全に日本民族は死んでしまいます。

 これが、かつて日本が終戦した時の状態です。魂だけは腐らせてはいけないのです。そのために天皇陛下は「私は神である」と言い続けて欲しかったのです。「どんな小さな祠でもよいから、そこに入って「私は神である」と言ってもらいたかった」と、三島由紀夫は言ったのです。

 終戦時の日本は、焼け野原で物資もありません。妥協策をとったのが、昭和天皇です。昭和天皇は、100年間は日本民族の復興にかかると思っていたのですが、たえがたきたえしのびがたきをしのび、「必ず日本は復活する」と確信して、GHQの政策に従ったのです。

 「恨みを米軍に向けないで、日本民族は立ち上がって、頑張ろうじゃないか」というのが、昭和天皇のお心です。それは正しかったのです。でも、魂の問題から言うと、正しくありません。

 天皇は一人になっても「私は神である」と言い続けなければいけません。それで日本民族はまた復活するのです。そのような図式です。

 それと同じで皇室問題は、日本国民にとって、もの凄く大事な問題です。「何よりも大事な問題だ」というのは、そのような意味です。「そんなことはないだろう。お天ちゃんがどうなろうと、国民には関係ないや。これからは、国民主権の時代だから、外国と同じような国にする」というのが左翼の考え方です。

 左翼には魂がないとわかります。「天皇をなくして、みんなが平等に飯を食えればよいのだ、みんなが豊かになればよいのだ。それが人生の目的だ」と言うのです。そうではありません。

 人間には食欲と物欲以外に、魂があります。「俺の魂は誰にも汚されない」と言います。これを意地ともいいます。では、魂とは何でしょうか? 人間は、魂と肉体と心から創られているのです。

 魂とは、心でも、肉体でもありません。心と肉体の上にあるものが魂です。肉体と心が滅びても、魂は滅びません。永遠の存在が魂です。だから、三島由紀夫先生は、「七生報国」と言ったのです。これは、魂のことです。

三島由紀夫という肉体は滅びてしまいますが、何が残るのかというと魂が残ります。「その魂は、7回生まれ変わって、この国のために報いる」というのが、七生報国です。肉体は滅びてしまうのです。

また、「魂は存在する」と思っているから、三島由紀夫は割腹自殺ができたのです。「魂は無い」と思っている人は肉体が大事です。肉体が滅びたら、心もなくなってしまいます。だから、肉体に執着するのです。

肉体と心をなくしてしまうと、魂になるのです。特攻隊の原理は、肉体と心は滅びてしまうのです。何が残るのかというと、魂が残るのです。その魂は何処に逝くのかというと、靖国神社に行くのです。特攻で死んだ者同士が魂になって靖国神社で会うのです。

肉体が会うのではありません。魂が再会するのです。その魂の集いは、永遠の集いだという考え方です。日本民族の魂は、歴史でもあり、歴史でもありません。精神でもあれば、精神でもありません。

その上に立って一貫しているものが魂です。それが天皇陛下の「朕は天津日嗣の天皇であるぞ」という宣言です。天皇陛下のどこが象徴なのでしょうか? 象徴は、シンボリックという意味です。そんなものは何の意味もありません。

天皇は「朕は天津日嗣の天皇であるぞ」という御自覚です。「人間は苦しい思いをして流転しているけれども、私は永遠の存在です。私は滅びない。私がそれを示すから、国民は私の魂についてきなさい」、という御自覚です。

すると世の中は、地震があったり、台風があったり災害が起きてきます。天皇陛下のいるところはその上の霊界です。霊界とは何かというと、人間の心、肉体をつくってきた大本です。それを霊界といいます。

仏教では、それを妙法(みょうほう)といいます。日本神道では霊(れいこん)といいます。言葉は違いますが、肉体は霊から出来ているのです。霊というものは目に見えない存在です。その霊が魂(こん)になってくると、肉体になるのです。

これは仏法の考え方と似ています。仏法では妙法といいます。妙とは、目に見えないものです。法になると、目に見えるものになってくるのです。法は魂とも言えるのです。霊は妙とも言えるのです。

それはそうです。霊の働きは目に見えません。仏法では、「物事の根本は妙法である」と言っているのです。妙法=霊魂は、同じです。妙法からは、心が出てきます。霊魂からは、精神が出てきます。

するとすぐに「人間は心が大事だ。心に恥じないことをやれ。皇室も心に恥じないことをやりなさい」と言うのです。心が大事なのではありません。心よりも上のものが大事です。

心は大したことはありません。誰かに頭を殴られれば、意識がなくなります。「俺は、凄い心の力を持っている」と言っても、ボカッと殴られれば、意識が飛んで心はなくなるのです。アルコールを飲んで酔っぱらえば、心など何処にあるのかわかりません。

或は、「心を守れ」「伝統の心」と言う人がいますが、そうではありません。正解は、「神の教えを守れ」ということです。神があって、人間界があるのです。神界の世界は、人間界よりも上です。それがわかる人は、高等な人間です。

「霊などあるものか、神などいないのだよ」というのは、低級な人間です。これが唯物論者です。唯物論者は豚と同じですから、豚と何も変わりません。

人間は神と言ったり、妙と言ったり、目に見えないものを感じることができる故に、人間です。そのような世界を創っていかなければいけません。

皇室の存在とは、そのような存在です。西洋流のキリスト教の上に日本の国家は乗っからないのです。国家とは、目に見えないから巨大な力があるのです。その力を守ろうとして国民は頑張るのです。

ある時には、国民は犠牲になり、神風特攻隊にならなければいけない時もあります。特攻隊の軍人は死んだことになっていますが、本当は死んでいないのです。霊界に帰っただけです。自分を創ってくれた霊界に、お勤めを果たして帰っただけです。

そのような世界観は実に素晴らしいのです。このような世界観は日本しか持っていません。(②に続く)

 

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