絶望の秋死ノ宮 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※共産党の革命の歌

 魅痴子の心の中は、ああインターナショナル!

 マンセイ、マンセイ!

 

 

 僕は毎日、夜中に起きて情報収集をしています。夜は眠れません。するとついついネットの情報収集に手が伸びてしまいます。それで4時頃までやっているのです。

 何故、そのようなことをやっているのかというと、秋死ノ宮家に絶望しているのです。答えを待っているのです。その答えとは、「小室圭逮捕!」という内容です。

 「アメリカのニューヨークで逮捕された」という話を待っているのです。そのような話はユーチューブにたくさん出ています。「小室圭、逮捕か?」という話で、みんな「か?」という疑問符の話です。「逮捕された」という話ではありません。

 ご丁寧に感嘆符「!?」をつけているので、「今度は本当に逮捕されたのか?」と思うと、それも本当ではありません。これはインチキです。そのような情報ばかりです。

 僕が期待しているのは、「小室圭はもう逮捕された」とか、「この結婚を破談にしました」という話です。僕以外の国民の皆さんもヤキモキしているのだと思います。新しい情報が入るのを待っているのです。

新しい情報とは、「結婚が破談になりました」ということです。或は、「小室圭が逮捕されました。小室佳代も逮捕されました」という情報です。「今か、今か!」と、これを待っているのです。

 そのような情報は何も入ってきません。動きが全く見えません。この事件は、本当は大事件なのです。日本の皇室がなくなるという大事件です。それがわかっているから僕は情報収集をしているのです。

 これは、普通の事件ではありません。政治家が逮捕されたとか、タレントが逮捕されたとかいう話ではありません。この問題で国家が変わってしまうのです。ところが、秋死ノ宮家と宮内庁は結託して、この婚姻を進める方向で動いているのです。

 国民は「何をやっているのだ!」と怒っているのです。秋死ノ宮と宮内庁はこの話を進めて、「早く結婚させてしまおう」と動いているのです。そのような情報が入ってきています。

 国民を裏切る、この動きは一体、何でしょうか? 国民はこの結婚の破談を待っているのです。国民の98%がこの結婚を反対しているのです。それが、秋死ノ宮と宮内庁だけが「早く結婚させてしまえ!」という方向に動いているのです。国民を無視した、この苛立たしい行動は一体何でしょうか?

 普通ならば、考えられません。国民が「破談だ!」と言っているのに、秋死ノ宮と宮内庁は「早く結婚させてしまえ」と動いているのです。どうして、このような違いができるのでしょうか?

 これには様々な考えがありますが、この問題を突き詰めていくと、魅痴子さんに行きついてしまうのです。誰が、原因をつくったのでしょうか? それは魅痴子さんです。これがわからなければいけません。

 昨年、魅痴子さんが明治神宮100年祭で壇上に上がった時に地震が起きたのです。魅痴子さんはよろめいて倒れそうになったのです。それを侍従が支えたのです。そのくらいの大地震が起きたのです。

 明治天皇は怒っているのです。「お前が張本人だな。皇室に魔を持ち込んだのは、お前だな!」と怒っているのです。神様は地震を起こして怒っているのです。

 弓削道鏡の時もそうです。孝謙天皇が弓削道鏡に惚れてしまい、「弓削道鏡を天皇にする」と言ったのです。弓削道鏡も、99%天皇になったつもりでいたのです。天皇と何の血もつながっていない人間が、天皇になれるわけがありません。皇室に縁のゆかりもない人間を孝謙天皇が、ただ「気に入った」というだけで天皇にしようとしたのです。弓削道鏡は孝謙天皇が間男した男です。

 そこで、奇跡が起きたのです。和気清麻呂が「神託をもらいましょう」と言うので、神託をもらうことになったのです。それまでは、強烈な反対はありません。朝廷もボケているのです。他所から来た流れ者の坊主がどうして、天皇になれるのでしょうか? 

本来ならば、神託も何もありません。もっと抵抗してよいのです。「コノヤロウ、ぶっ殺せ」と言って、消してしまえばよいものを、わざわざ神託をもらいに行ったのです。天皇の周りにいる臣下の人間のトーンが一段落ちているのです。「弓削道鏡が天皇になっても仕方ないな」という気持ちがあったのです。だから、大騒動にならなかったのです。和気清麻呂が宇佐神宮に神託をもらいにいったのです。すると「弓削道鏡を天皇にしてはならない」という神託をもらったのです。

 すると、弓削道鏡は「その神託は偽物に違いない」と怒ったのです。それで二回目の神託をもらいに行ったのです。

 それも「弓削道鏡を天皇にしてはならない」という神託が出たのです。神様は「弓削道鏡を天皇にしてはダメだ」と言っているので、弓削道鏡は追放されたのです。みちろん、島流しです。孝謙天皇が弓削道鏡に惚れ切ってしまったから、そのような天下の大騒動があったのです。

 魔子ちゃんの事件とそっくりです。魔子ちゃんは天皇ではありませんが、天皇になる場合もあるのです。すると、このような問題が起きてくるのです。

 この問題の最初の原因は、やはり魅痴子さんです。魅痴子さんを選んだ天皇に問題があるのです。この問題を追及すると、上皇に行ってしまうのです。上皇に問題の芽があったのです。

 上皇陛下が魅痴子さんを選んだのです。その魅痴子さんが、いろんな悪事をしてきたのですから、このようになってしまったのです。「魅痴子さんはどのような人か?」というと、いろんな人と付き合ってきたのです。

 大陸夫人の正田富美さんの子供ですから、ダンスパーティは大好きです。生け花などの教養は出鱈目です。それを上皇陛下がもらってしまったのです。皇族に初めての平民が入ってきたのです。平民と言ってもかなりお金持ちの家だったのです。正田家は日清製粉の会長の家です。貧乏人ではないけれども、平民が皇室に入ってきたのです。

 皇室は箸の上げ下ろしから、物の言い方まで、独自の作法が出来ているのです。そんな所に八百屋の娘を連れてきて、「お前は今日から皇族だ」と言われたら、ウロウロしてしまうのです。

 皇族の作法も知らない、言葉遣いも知りません。和歌もつくらなければいけません。そんなことを全然やったことがない人間にとっては違う社会です。だからこれは、いじめられたのです。

 「貴方、こんなこともわからないの?」と言われて、女官たちにいびられたのです。「早く覚えなさいよ」という意味です。やることなすこと、全てできません。平民なのですから、平民を皇族の中に入れたらオロオロしてしまいます。

 魅痴子さんは、オロオロして相手にもされません。女官からも干されてしまいます。女官達は、「皇太子妃など、とんでもない!」と思っているのです。魅痴子さんは、皇太子妃ですから、女官たちの上に行ってしまうのです。何もわからない平民が入ってきて、全て教わらなければいけないのに、身分だけは一番上になってしまうのです。みんな、面白くないでしょう。

 平民が皇太子にくっついただけで、宮様よりも、女官達よりも魅痴子さんが上の位になってしまうのです。そのようなことになるのです。

 魅痴子さんは、反撃の方法を考えたのです。「こんなしきたりだらけの皇室でない、皇室をつくろう。私はどれだけいじめられたことか。もっと開かれた皇室をつくらなければいけない。昔のしきたりに縛られた皇室にとらわれることはないのだ!」と思ったのです。

 昔のしきたりを継承しているから皇族です。魅痴子さんはそれを否定したのです。「古臭いしきたりなどないほうがよい。私は陛下様をお助けして、開かれた明るい皇室にしてみせる」と考えたのです。

 魅痴子さんの表面は、上皇陛下に従っているポーズを取っていながら、考えていることは反対のことだったのです。「魅痴子さん、早く皇室にしきたりを覚えなさい」と言われて、魅痴子さんが考えていたことは「皇室のしきたりをなくしてやる!」と考えたのです。

 「こんな皇室のしきたりはなくしてやる。古代からのしきたりをやっている皇室はけしからん。私がキリスト教にかえてやる!」と思ったのです。西洋の王族は、キリスト教です。

「天皇家もそうすればよいのだ。ローマ法王を拝んで、日本もキリスト教になれば、諸外国はみんなキリスト教だから、仲良くしてもらえる」と考えたのです。

 「私の使命は一刻も早く皇室をキリス教化することである」と魅痴子さんは考えたのです。これが魅痴子さんの悪事の始まりです。(②に続く)

 

 

■なぜ美智子さまは、侍従たちから嫌われたのか? 今明かされる平成皇室の「贅沢三昧」な惨状

 

●侍従たちから嫌われた美智子さま

これまで平成皇室、とりわけ美智子さまは、一部のバッシング報道を除けば「慈愛に満ちた国母」として絶賛されてきた。皇室評論家の矢部万紀子さん(朝日新聞所属)が出版した『美智子さまという奇跡』(幻冬舎)という仰天タイトルがその全てを象徴している。

だが、お傍に仕えた侍従たちの証言から知れる美智子さまのイメージは、「慈愛に満ちた国母」とは全く違う。たとえば入江相政侍従長(1905-1985)は、美智子さまの意外な一面を次のように記録している。

昭和381963)年322日:次長から東宮妃が予の書くものについて恨んでいらつしやるから当分内廷のことについては書かない方が無難と長官が云った由。あきれたことである。

『入江相政日記』第3巻、朝日新聞社、345

美智子さまは何をそこまで恨んだのか? 時期的に見て美智子さまが「お恨み」になったのは入江相政著『天皇さまの還暦』(朝日新聞社、1962)で間違いない。だがいくら精読しても、美智子さまを「実に美しい方だと思った。聡明さが底のほうからにじゑ出てくるような美しさ」と大絶賛の雨あられ。唯一、批判と読みえる個所と言えば「人間だから、勿論欠点もあろう」の一か所のみである(しかも文この前後は、美智子さまを称賛している)。

人間だから——。どうやら、この当たり前の一文を美智子さまはお気に召さなかったようだ。美智子さまは人間ではなく、聖母マリアの生まれ変わりだとお考えだったのかもしれない。

 

●トドメを刺す小林侍従日記

美智子さまに批判的なのは入江侍従だけではない。2019年に刊行された小林忍侍従の日記『昭和天皇 最後の侍従日記』(文藝春秋)を読むと、平成皇室の実情が事細かに記され、その実態を知るうえで最も重要な資料となりえる。

小林侍従とはどのような人物なのか? それを端的に伝えるエピソードがある。平成の時代になり小林侍従も70歳を目前としたころ、宮内庁より叙勲の打診があった。しかし小林侍従は「長い間お仕えしお世話になった昭和陛下からなら喜んでお受けするが、殆どお仕えしていない現陛下からは受ける気にならない」と辞退した(平成4624日)。

この毅然とした態度ついて、近現代史家の半藤一利さんは「この一文を読んだときに、二君に仕えずという言葉が、宮中にはまだ生きていたんだ、と驚かされました」と絶賛している。そしてこの叙勲を辞退した逸話というのは、1993年の美智子さまバッシングで取り上げられた「K元侍従の叙勲辞退」がまさにそれなのである。

つまり1993年に起きた「美智子さまは贅沢三昧の女帝だ!」と暴露するバッシングは、根も葉もないつくり話なのではなく、実は皇室内に明確な情報源があったということだ。証拠を一礼あげるとすれば、即位礼で衣装代が何十億円もかかったことに小林侍従は「今後の先例になることを恐れる」(平成元年1112日)と憂慮しており、先のバッシングと内容がリンクしている。つまり、事実だったのだ。

 

●美智子さまはスタイリスト

引き続き小林侍従による「美智子さま評」を紹介したい。1993年にバッシングを受けた美智子さまが“声失症”になったとき、小林侍従は次のように日記に残している。

平成5年(1993)年1023日(土):行幸、第48回国体(徳島、香川両県)。皇后陛下はその後もなお言葉が出ない状態が続いているので、大事をとっておいでにならず、天皇陛下のみ御臨席.ご視察。皇后陛下は即日に宮内庁病院で、東大の神経内科の教授の立会でCTスキャンなどの検査を受けられたが脳には異常が見当らず、3週間以内で治る見通しと。肉体的精神的の疲労、ストレスがひどいと起きる症状で、これが3週間以上続くようだと一種の脳梗塞だという。

それにしても国体へのお出まし中止(注)の発表が、昨日の夜11時とはどういうことか。御容態からいってお出ましは好ましくないことはテレビで専門家が口をそろえていっているのだから、早く発表すべきだった。尤も庁内にお出になることも却って御気力の充実の上でよろしいのではという医師がいたというが、言葉が出ないことをスタイリストの皇后陛下がどれほど気にするか、そのストレスを何と考えるのだろう。

(国体へのお出まし中止=第48回国民体育大会が徳島、香川両県で開かれ、天皇陛下が一人で2327日日に両県を訪問)

小林忍『昭和天皇 最期の侍従日記』文藝春秋、2019

小林侍従によれば「失声症」になった美智子さまのストレスは、週刊誌のバッシング攻撃ではなく、言葉が出ない状況で公務に出ても格好がつかないことだったらしい。にしても「スタイリストの皇后陛下」という一語は、美智子さまの“女優ぶり”を端的に示す明文であろう。

 

●無言の美智子さま

小林侍従の「苦言」は、微に入り細を穿つところもある。たとえば昼食の御馳走をケチる平成皇室…。

平成2年(19901026日(金):皇后陛下お誕生日祝賀行事。如月加日のお誕生日は福岡県国体のため行啓中につき、祝賀行事は今日に延期されたもの。……午前中に終る。昭和天皇の時と異なり、両陛下でお受けになるものが多い。我々に昼食の御馳走もない。

小林忍『昭和天皇 最後の侍従日記』文藝春秋、1999

平成皇室に手厳しい小林侍従。美智子さまから疎まれていたことは、半ば公然の秘密であったような節もある。たとえば小林侍従が退職する折に、美智子さまは声をかけなかったことを日記に残している。

平成5年(1993)年331日(水):侍従職御用掛退職(注)。10時前に長官から退職の辞令をもらう。午後2時、宮殿鳳凰の間、両陛下お揃い。陛下から「御苦労でした。皇太后陛下のこと宜しく、からだを大切に」と、皇后陛下からはない。

(侍従職御用掛退職=小林氏は侍従職御用掛を退職し、4月1日から皇太后官職御用掛に就く香淳皇后の側近職員としての異動)

小林忍『昭和天皇 最期の侍従日記』文藝春秋、2019

もし一般企業ならば、こういった行為はパワハラと受け取られるだろう。プライドの高い美智子さまからすれば、昭和帝に仕えた小林侍従は「邪魔な存在」だったのかもしれない。

https://imperialism.site/archives/22140

 

 

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