人間の摂理 ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

マックス・ヴェーバー(Max Weber、1864年4月21日 - 1920年6月14日[1])は、ドイツ政治学者社会学者経済学者である。

 

バイデンは小児性愛者をやっているらしいのです。これはネットにも出ています。ローマ法王も小児性愛者をやっているのです。証拠はもう挙がっているのです。人の上に立つ指導者が、何というバカなことをやっているのでしょうか? 

 麻薬もやっているのです。麻薬はやってはいけないのです。何故かというと、神様が「やってはいけない」と言っているのです。

 宗教なき国家というものは滅亡するのです。今の中国共産党がそうです。中共に宗教はありません。神様はいないのです。

 中共の人間は、神がいないのだから、人間の頭で考えるのです。人間の頭で考えて「あいつを殺したほうがいいな」と思うと殺すのです。「あれは邪魔だな」と思うと粛清です。北朝鮮がそれです。自分が「神」になったように考えて、「お前は俺の話の最中に居眠りしたな。では、永久に眠っていろ、処刑だ!」と言うのです。このようになってしまうのです。

 力を持った者は、まるで神のように何でもできるように振る舞うのです。力を持つということは、人殺しをやってきたから力を持っているのです。こんなことをするのは、野蛮人です。人間ではありません。論理もなければ、倫理もなければ、道徳も、正義もありません。

 もっというと、共産主義者は国家というものもありません。「中華人民共和国という国があるじゃないですか」と言うでしょう。そんなものはありません。あるのは、「中華人民共産党」です。共産党はあります。中国の軍隊は、共産党の軍隊です。国家の軍隊などありません。中国の国家というものは形だけでカラッポです。

 中国共産党の私物化された軍隊が、人民解放軍です。中国共産党の財産は、国家の財産ではありません。中国共産党の財産です。だから、スイスに1千兆円も預金しているのです。それは、国家の財産ではありません。共産党の財産です。ドロボウです。そのようになってしまうのです。

 国家というものは、非常に大事です。トランプは、そのことを最後の演説で言ったのです。アメリカは国家が大事です。「アメリカファースト」とは、実は「国家が大事」ということです。

 「アメリカ人だけが一番になればよい」という考えではありません。国家が大事です。国家がなければ無政府主義になり、共産主義になり、共産党になってしまうのです。国家は大事です。

 そして、宗教が大事です。何故かというと、宗教は理想を説いているからです。「やってはいけないこと。そして人間は、このような社会を目指して進んでいくのだ」という神の摂理を与えられているから、それを目指していくのです。だから、人間の目標ができるのです。

 共産主義者は目標がないから、侵略主義者になってしまうのです。どんどん欲しいものを盗っていくのです。神様は「盗ってはいけない」と言っているのですが、共産主義者に神様はいないのです。だから、人の物をどんどん盗っていいのです。

 共産主義者は、どんどん人の物を盗って勢力を伸ばすのです。そのようなことです。そのようなことを考えてみながら、トランプの最後の演説を聞くと、非常に立派な人だとわかります。

 トランプさんは、真面目ですから、サドマゾなど変なことはやりません。バイデンは何をやっているのでしょうか? バイデンの子供は刺青を彫っているのです。レディガガと性的関係を持っているのです。

 しかも、変態性欲です。2人とも背中一面に刺青をしているのです。そうなってしまうのです。それから、小児性愛者へ行くのです。そのような順番です。これも、子供の売買に関係してくるのです。その後は、人間の肉を食らうようになってしまうのです。バイデンには、神がいないのです。

 そもそも、目的を持たない国はダメなのです。マックス・ウェーバーのプロテスタンティズムの 倫理と資本主義の精神という本の中に書いてある原理ですが、アメリカは信仰の国であり、プロテスタントの国です。

White Anglo-Saxon Protestant(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)」の国です。何故、アメリカが発展したのかというと、開拓者魂というものもありますが、プロテスタントは真面目に働くのです。

 日曜日には、教会へ行くのです。それが唯一の娯楽です。教会へ行って、牧師さんの説法を聞くのです。牧師さんの説法を聞いて勤勉に働きます。それがアメリカ発展の原動力になったのです。簡略的に言うとそうなるのです。

 ヨーロッパ諸国がなぜダメなのかというと、カトリックだからです。イギリスはカトリックです。天にも伸びるような大寺院は全てカトリック教会の建物です。そこには、神父様がいるのです。神父のことを「神の代理人」と言うのです。

 神と言ったら、神父のことを言うのです。神父は人間ですが、「神なのですから、何をやってもよい」ということになってしまうのです。生意気な奴はレッテルを貼って「お前は異教徒だ!」と言うのです。

化学界の研究者がいろんな発表をすると「こいつは異端者だ!」と言うのです。何しろ、神父様に逆らうと「異端者だ」というレッテルを貼ってしまうのです。予言ができる女がいると「お前は魔女だ!」と言うのです。

すると、有名な魔女裁判です。「魔女をぶっ殺せ」と言って、魔女は火あぶりの刑です。或は、「魔女は拷問にかけろ!」と言うのです。何故かというと、自分で「私は魔女です」などと白状しないからです。

魔女などいないのです。それなのに「魔女だと白状しろ」と言うのです。魔女ではないのだから、白状のしようがありません。何でもない普通の市民です。神父は、普通の市民をもの凄く残酷な拷問にかけるのです。

例えば、人間の形をした鉄の棺桶に針がたくさんついています。その中に人間を押し込んで扉を閉めるのです。西洋人は信じられない拷問をするのです。それは白状しないからです。魔女ではないのだから、白状できないのです。

神父に「お前は魔女に違いない」と言われて、最後は火あぶりです。公開処刑で広場の真ん中に十字架を建てて火あぶりの刑にするのです。そのようなことで、カトリック教会は庶民を弾圧してきたのです。

カトリック教会に勤勉な勢力はありません。神父のように権力を持っている者は威張り散らすのです。神父や王様が民衆を縛り付けて、「国に対する税金、教会に対する税金を出せ!」と言うのです。

庶民は苛められて、王様に税金を盗られて、教会に献金させられるのです。この話は、『カサノバ回想録』に詳しく書いてあります。庶民はもう耐えられません。西洋社会では、カトリックのみが正統な教会です。プロテスタントは、「神父はいらない」という運動を始めたのです。

カトリックは神→神父→民衆です。プロテスタントは、「神父もいらない、教会もいらない」と言ったのです。西洋では、人々を威圧するように天にそびえる教会が建っているのです。それは、民衆の税金で造ったのです。

「そんなものは一切いらない」と言ったのが、マルチン・ルターです。「働いたものは、全て自分の物になるのだ。本来、神様はそのように教えているのだ」と言うと、民衆は「その通りだ」と言ったのです。しかし、イギリスでプロテスタントを広めると、弾圧されたのです。

プロテスタントのことを「新教徒」といいます。何故、新教徒というのかというと、教会もいらない、神父もいらない、「人間が直接神と結びつく」という新しい教えです。教会があって、神父がいて、その下に庶民がいるというのをカトリック教徒といいます。

ヨーロッパ諸国は今でもカトリック教徒です。上智大学はイエズス会のカトリック教徒です。IUCは、GHQがつくった基督教大学ですから、一応、プロテスタントです。(③に続く)

 

 

 

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