※正理の党の佐々木千夏区議会議員の前半期の活動の報告です。皆さん、応援してください!
今年の杉並区の区政報告が終了しました。正理の党の佐々木千夏区議会議員の前半期の活動の報告です。
予算委員会の一般質問がありました。以下が佐々木千夏区議会議員の発言です。
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コロナウイルスが蔓延しているため、杉並区の全児童にマスクの配布。
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介護・医療の従事者に危険手当、ファ付き防護服の備蓄・配布。
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平和教育について、日本は敗戦したのではない。終戦である。創氏改名は強制ではない。朝鮮名のまま洪 思翊(ホンサイク)中将、金 錫源(キムソゴン)大佐、朴 正煕(パクチョンヒ)中尉がいました。
このようなことを言うと、佐々木議員に対して、「発言の取り消しと、謝罪を求める」と、8件の苦情が来ました。8件共に同じような主張なので、これは組織に違いありません。
佐々木議員の発言内容に対して、「歴史を歪曲するヘイトスピーチに辞職勧告を議会に求める」と言っているのです。
内容は、「ヘイトスピーチ禁止条例をつくってくださいと陳情したのに、何もならなかったので、今回は佐々木議員の辞職勧告を行ってほしいと陳情します。区議会でこのような演説をするのは、区民として許せるものではありません。議場は遊び場とは違うと思います。区議会一般質問をホームページで聞いて、佐々木議員のあまりにもおかしな歴史認識に驚きました。」という内容です。
8件の苦情が来たのですが、内容はほとんど同じです。この答えを答えておきましょう。苦情をまとめると以下の通りです。
1.終戦ではなく敗戦である。
2.日本が起こした戦争である。
3.日本軍がアジアに出兵したのは、侵略である。
4.従軍慰安婦はあった。創氏改名はあった。
1.は、「敗戦」の問題です。戦争が終わったのは、昭和20年8月15日です。昭和32年頃までは、新聞・テレビ・雑誌等では「終戦」と言っていました。オバサンの言っていることは嘘だとわかります。
日本は終戦したのであって、「終戦記念日」です。敗戦記念日ではありません。考えてみたらそうなのです。自分の国が戦争に負けて敗戦して、それを記念日にして「敗戦記念日」などというものはあるはずがありません。
だからこれは間違いなく終戦です。終戦後、12年間くらいは、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌でも「終戦記念日」で押し通してきたのです。いつのころから敗戦記念日になったのでしょうか? オバサンは、この敗戦記念日にしっかりと毒されているようですが、あれは敗戦ではありません。
新聞その他では「終戦記念日」と言っていたのです。終戦時の日本の戦力をマッカーサーが調べたのです。それは資料で上がっています。これだけの戦力が日本にはあったのです。
■終戦時の戦力
終戦時の戦力は軍人の数で言うと、365万人の軍人がいたのです。その内、シナにいた陸軍兵は173万人です。近衛師団は天皇をお守りする部隊ですが、近衛師団は無傷で残っていました。驚くべきことです。
日本海軍艦艇は168隻残っていました。
「海軍各基地における終戦時の保有機種・機数(昭和20年9月1日現在)」と題する資料があります。この資料は、昭和20年の終戦直後、マッカーサー総司令部の「昭和20年9月1日現在の海軍各基地における保有機種・数を調査報告せよ」との命令に基づき海軍省軍務局が作成したものです。
一 戦闘機2,036機(26.9%)
二 攻撃機1,306機(17.3%)
三 偵察機701機、(9.3%)
四 輸送機58機(0.8%)
五 練習機3,431機(45.3%)
六 陸軍機34機(0.4%)
合計7,566機(出典図書は7,567機としているが合計すると7,566機となる)
なぜ、それが敗戦と言うのでしょうか? しかも中国大陸に渡った日本軍は173万人です。それが無傷で残っていたのです。武器弾薬もそっくり残っていたのです。日本軍は、中国大陸では勝ち戦を続けていたのです。
ところが、天皇陛下が終戦の詔勅を出したので「武器を置け」と言ったのです。どうして武器を置くのでしょうか? 日本軍は勝ち続けていたのです。天皇陛下のご命令ですから、涙をぬぐって武器を置いたのです。
大日本帝国軍人は、すべての武器を置いたのです。武器を置いたことが原因となり、ソ連は日ソ不可侵条約を破ったのです。日本とソ連は「お互いに侵略しない」という条約だったにもかかわらず、それを一方的に破棄して、ソ連が北方四島に侵入してきたのです。
あるいは満州にソ連軍が侵入してきて、関東軍を殺したのです。生きている日本兵は60万人、シベリアに連れて行って強制労働させたのです。
天皇陛下が「戦を止めなさい」と言ったから、日本軍は戦をやめたのです。戦っていたらシベリアに連れていかれることもなかったのです。何が敗戦なのでしょうか?
ソ連などとは戦ってもいなかったのです。ソ連が一方的に条約を破棄して侵略してきたのです。日本は戦わないのですから、ホールドアップです。どこが敗戦記念日なのでしょうか?
しかも、12年間くらいは「終戦」と言っていたのです。それがいつの頃からかすり替わって敗戦記念日になってしまったのです。今は完全に「敗戦記念日」と言っています。それを聞いても日本人は何とも思わないのです。
敗戦を記念するバカがどこにいるのでしょうか? これも、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(War Guilt Information Program)というGHQの洗脳教育です。日本人に贖罪意識を植え付ける洗脳教育の一環です。それが日本人に効いてしまっているのです。
植民地の問題について言っておきましょう。オバサンは「韓国は植民地であり、従軍慰安婦はいたのだ」と信じ込んでいますが、どこにも従軍慰安婦などいません。
日本は韓国を植民地にしたことなど一度もありません。当時のアサヒグラフ写真を見てごらんなさい。特に水間政憲さんが『ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実』このような本を出しています。素晴らしい本です。これを見れば朝鮮は植民地ではないとわかります。
日本が木造の校舎を造っている時代に、朝鮮の小学校はすべて赤レンガです。今の大学のような雰囲気です。しかも鉄道は日本よりも少し幅が広いのです。安定の良い列車を造ったのです。
朝鮮総督府を造り、京城帝国大学を造り、1万校の小学校を造り、しかもこのお金は日本の本国からの持ち出しです。日本の年間の国家予算の15%を朝鮮経営に捧げたのです。
その目的はただ一つです。朝鮮人の民度をあげるためです。当時の朝鮮人は字も書けません。名前もありません。白丁(ペクチョ)という奴隷が多かったのです。名前を書き、字が書けるのは、貴族階級の両班(ヤンパン)だけです。
両班は、白丁を拷問したり、作物を搾取して好き勝手なことをやってきたのです。日本は、白丁を両班から解放してあげたのです。白丁に教育を与えて、朝鮮から奴隷をなくしてきたのです。
そのおかげで今の韓国があるのです。朴正煕大統領も白丁だったのです。朴正煕の家にも「学校へ行くように」という通知が来たのです。親は「うちは白丁であるから、学校へ行くなどとんでもない!」と言って朴正煕を学校に行かせなかったのです。
「子どもを学校に行かせろ。行かせないとお前を逮捕するぞ」と言われて、渋々親は朴正煕を学校に行かせたのです。すると白丁にもかかわらず、朴正煕はものすごく頭がよかったのです。
主席で卒業するくらい頭がよかったのです。だから、大日本帝国陸軍中尉になれたのです。朴正煕は、大日本帝国陸軍中尉です。植民地の人間が将校になれることなどあり得るのでしょうか? オバサン、しっかりとこの事実を見てご覧なさい!
帝国陸軍の中尉に植民地の人間がなれるのでしょうか? インドは300年もイギリスの植民地だったのです。イギリスの軍隊にインド人は一人も入れません。
インド人に銃など持たせたら大変です。インド人は奴隷ですから、イギリス人は絶対に銃など持たせません。それに比べて日本は、朝鮮人を将校にしたのです。こんな植民地はありません。
当時の朝鮮は日本と併合したのです。朝鮮人は字も書けない、ウンコを食べていた連中だから文化的にも劣っていたのです。だから、日本が教育をしたのです。その結果、朝鮮人が帝国陸軍の将校になったのです。特攻隊で5千人の若者が死んでいますが、自ら特攻隊を志願した朝鮮人は約千名いたのです。朝鮮人は立派な日本人になったのです。(②に続く)
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