同文同種 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※迦楼羅(カルラ)-インド神話上の架空の鳥。サンスクリット語のガルダgaruaの音写。(がろだ)、迦留羅(かるら)、掲路荼(がろだ)などとも書く。またガルダと同視される神話的な鳥スパルニンsuparin(金翅(こんじ)鳥、妙翅(みょうし)鳥)の訳でもある。鳥類の王で四天下の大樹におり、竜(りゅう)を食う獰猛(どうもう)な大怪鳥であるという。
 

 「日本人と中国人は同文同種だ」と、日本人はなんとなくそのように思っているのです。中国は漢字を使います。日本人も漢字を使います。だから、「同じ民族に違いない」と思い込んでいるのです。日本と中国は親しい関係があるのです。

 ところが、実際の漢字の成り立ちを見ると、同じ中国でも北と南では、全て言葉が通じません。北京と、南京でも発音も違い言葉が通じません。だからこそ秦の始皇帝から始まった同文同種としての絵文字を使ったのです。

 「家」という絵文字を使うと意味が通じたのです。すると家の発音が「イエー」と言っても、「ヤー」と言っても、発音は何でもよいのです。字を見ると「家」だとわかるのです。発音は北京、南京では違います。

 音も違います。今の中国人に向かって法華経の経典を見せても、全く意味が通じません。法華経の経典は、呉音です。呉の国の音なのです。今の北京語を習っている連中は全然意味が通じません。

 「二時世尊 従三昧 安詳而起・・・」と経典を読んでも、呉の国の人には通じましたが、今の中国人には全然意味が通じません。すると知ってか、知らずしてか日本人は、「中国人と非常に親しい。同じ漢字を使っている」そのように思いたがるのです。

 しかし、実態は全然違います。日本と中国は全然違う国なのです。同文同種ではありません。言葉も違えば、習慣も風俗も違います。違いがありすぎるのです。このような勉強をしていかないと、日本人は中国人に対する認識を誤ってしまいます。

 日本人は「日本人と中国は同文同種だ」と言われると「兄弟なのか」と思ってしまいます。それに気がついた韓国人は漢字をやめたのです。漢字やめてハングル文字にしたのです。ハングル文字は発音記号です。

 韓国人がハングル文字を使うと中国人にはまったく意味が通じません。ところが、韓国人が漢文を出すと漢文は、そのまま中国人に意味が通じます。すると意思疎通ができるのです。「韓国人は中国文明と離れないといけない」と焦ってハングル文字にしたのです。

 ところがこのハングル文字は質が悪いのです。ハングル文字は発音記号なので意味が全く通じません。簡単な言葉しか言い表せないので、複雑な意味は表現できません。日本語で言うと、「てにをは」にあたるものがありません。ハングル文字はわけのわからない言語で、粗末な言語です。「祖言」というのです。

 それに比べて日本の場合は漢文もあり、昔からの和語もあり、「てにをは」もあり、すばらしい言語なのです。日本語にはすべて入っています。日本語は、世界的言語といるのです。

 日本語は中国の言葉も入っているし、日本の言葉も入っているし、英語のような接続詞も入っていて、非常に分かりやすい言語です。世界で一番良い言語が日本語です。「ヒーフン、ハーフン」と鼻に抜けるような言語が中国語です。韓国語のように「ピーチクパーチク」とわめく言語でもありません。流れるように美しい言語が日本語です。

 だからこそ日本人は、同文同種にだまされてはいけません。もっとも違いがあるのは、中国人は人間を食うということです。古来から、人間を食うものを妖怪といったのです。中国でできた法華経がそうです。

 お釈迦様のご説法を聞いた連中は、妖怪ばかりです。キンナラ・マゴラガ・カルラ・夜叉・・・・です。このような妖怪が釈尊の説法を聞きに集まったのです。法華経は、シナでできた経典ですから、そのような妖怪がたくさん出てきてしまうのです。

 シナでは人間を食らうものを、化け物(妖怪)といったのです。孫悟空に出てくる猪八戒は豚の妖怪です。沙悟浄はカッパの妖怪です。孫悟空はサルの妖怪です。何しろ人間に仇をなす者を化け物(妖怪)と言ったのです。

 鬼子母神の元はインドの神ですが、シナ人は漢字にしてしまったのです。鬼子母神は人の子供を捕まえて食うのです。そのような悪い神です。

 中国人と日本人は全然違うのです。その中で最も驚く有名なお話が、孔子の人肉食いです。あの、論語を書いた孔子様は、ジャンが大好き人間です。三度の飯にジャンがないと機嫌が悪かったのです。

 醤(ジャン)とは何かというと、醤油の「醤(しょう)」の字です。醤(ジャン)とは、罪人を切り刻むのです。2センチくらいの角に刻んで、甕に入れます。その中に多くの塩と麹を入れます。甕の蓋をして、1年以上寝かせておきます。すると醤(ジャン)ができます。

 醤(ジャン)というのは、元々は人肉です。あの難しいことを説いた孔子様は毎日のおかずに醤(ジャン)を食べていたのです。1回や2回ではありません。何十年も醤(ジャン)を食べ続けていたのです。孔子の十大弟子の顔回が何かの理由で殺されたのです。

 すると孔子の下に醤(ジャン)が送られてきたのです。「貴方の大好物の醤(ジャン)を送ります」と言うと、孔子は「うれしいな」と言うので、「誰の醤(ジャン)か知っていますか? 貴方の弟子の顔回の醤(ジャン)ですよ」と言われて、「ゲ~」と思って孔子は醤(ジャン)を食べるのを止めたのです。それがしっかりと書物に書いてあるのです。

 そのように中国人にとって人肉食というのは、当たり前のことなのです。道ばたに死体が落ちていると、誰かがなんとかしないと死体は腐ってしまいます。あるいは、ハゲタカや、野良犬の餌食になってしまいます。

 「どうせ動物に死体が食べられてしまうならば、人間が食べたほうがよい」と思って中国人は人肉を食べてしまうのです。そこから中国人の人肉食が始まり、人肉の料理の仕方は何十種類もあるのです。「ナマズ」というのは、生で食うのです。今でいうお刺身です。中国では人肉を焼いて食う、蒸して食う、様々な調理法が細かく本に書いてあるのです。そのような国は、他にはありません。

 しかし、それは合理的です。人間の肉も、豚の肉も、牛の肉も何も変わりありません。「肉」ということにおいては、一緒です。「ここにあるのが人肉なのか? 豚の野肉なのか?」と言われると、肉には変わりありません。中国人は食べられるものは、何でも食ってしまうのです。人肉の干し肉も食ってしまうのです。(②に続く)

 

 

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