昭和維新の歌 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

是非、この歌を聴いてください!(解説もしてあります)

 

 2.26事件の時に歌われた『昭和維新の歌』というのがあります。これは軍歌ではありません。これを作詞したのは、大川周明です。大川周明は「東洋の論客」と言われた人です。東京裁判で東条英機の頭を叩いて「退出!」と言われたのです。

 大川周明は東京裁判では、キチガイのフリをしていましたが、最高の頭脳と言われた人です。米英東亜侵略史という本があります。しっかりと物事の本質を見抜いた人です。今の世界の動乱は、みんな白人による世界支配の動乱です。

 どいつもこいつも隙間をみつけて、「ここはドイツがもらった」「ここはイギリスがもらった」「アラブはフランスがもらった」と言うのです。白人は土足で他国へ出かけていき、勝手に自分の国の植民地にしたのです。中東の地図に滅茶苦茶に線を引いて、白人同士で分けてしまったのです。アフリカもそうです。白人同士で勝手に線を引いて「ここはドイツがもらった。ここはイギリスとフランス? ああいいよ」と勝手に決めたのです。アフリカや中東の人々は、たまったものではありません。

 白人の侵略の世界史というものがあり、500年前から世界を考えていかないと本当の歴史などわかりません。東京裁判史観はどこからかというと、満州国建国からです。そのように歴史をぶった切ってしまうと、本当の原因がわかりません。満州国の前には問題があったのです。その前には他の問題があったのです。満州国から歴史が始まったわけではありません。

 むしろ歴史が始まったのは、白人の侵略の500年史からです。白人がアメリカ大陸へ渡ってネイティブアメリカンを1億人も殺したのです。アメリカインディアンは誇り高いので、白人の命令など聞きません。

 インディアンは黒人のように奴隷にできません。だから皆殺しにされたのです。いくら殺してもインディアンは、へこたれません。白人は困り果てたのです。インディアンは勇敢で結構強いのです。立派なインカ文明などあったのです。

 白人は幌馬車隊を使ってインディアンをおびき寄せたのです。「ヤッホー」とインディアンがやってくると、後ろに手をまわしてインディアンの家族を皆殺しにしたのです。インディアンは家に帰ると家族はみんな死んでいたのです。仕方ないからそれ以上の抵抗を止めたのです。

 白人は、そのような歴史を繰り返してきたのです。「インディアンを1億人も殺せるのでしょうか?」という人がいます。年間100万人殺して10年間で1千万人です。100年間で1億人になるのです。みんなその手で殺したのです。

 インディアンが幌馬車隊を襲ったというのはウソです。実際は白人がインディアンをおびき寄せて女・子供・老人の家族を皆殺しにしたのです。白人はインディアンの土地を奪うためにインディアンを攻撃したのです。

 「ここはインディアンの土地ではない。あっちへ行け。ここは白人の土地である」とインディアンを追い払ったのです。後から来た連中が何を言っているのでしょうか? 「インディアンの特別区はつくってあるから、あっちへ行け!」と山の中の僻地に連れていったのです。居住区といい、今でもネイティブアメリカンが生活しているのです。

 アフリカもそうです。白人が地図に勝手に線を引いて、アフリカの土地を分け合ったのです。現地の黒人は植民地の労働者です。しかも、アメリカではインディアンを殺しすぎたので人口が減ってしまい、アフリカから黒人を奴隷として船で連れてきたのです。

 白人の文明は奴隷文明です。人から物を奪う文明です。「どけ、お前。ここは俺たちの土地だ。あっちへ行け!」という文明です。基本的にそうなのです。

 日本だけはそうはいかなかったのです。何故かというと、優秀だからです。白人は「日本人もシナ人や朝鮮人と同じだろう」と思っていたのです。日本人だけは違ったのです。手も足も出なかったのです。だから、アメリカは散々日本に嫌がらせをしたのです。

 「日本人が働いてもアメリカで財産は持てない、土地も持てない」などのヒドイ意地悪をしたのです。最後は「日本に鉄鉱石をあげない、石油もあげない」と言ってきたのです。鉄鉱石とガソリンがなければ日本の産業は、立ち行かなくなります。

 それで日本は、「一か八か」という機運が盛り上がってきたのです。「乾坤一擲(けんこんいってき)」という言葉があります。日本人は、嫌がらせをされてもずっと絶えていくのですが、ある時点を超えると「乾坤一擲だ、やるぞ!」となるのです。

 先の戦争を仕掛けたのはアメリカと中国です。日本が仕掛けた戦争ではありません。そのような文明の本質を説いたのが、大川周明です。大川周明が2・26事件に感銘してつくったのが、「青年の歌」です。非常に良い歌です。貼り付けてありますので、是非見てもらいたいと思います。

 難しい箇所が数箇所あるかもしれませんが、大した問題ではありません。汨羅の淵に波騒ぎ」の、汨羅(べきら)とは、池のことを言います。その池の水がキレイで青々としていたのです。「霊魂が宿る湖」とも言われています。中国の話です。

 汨羅の淵にザワザワザワと波が立つと、「大動乱が起きる前兆だ」と言われています。それと今は同じです。

「♪汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ 混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く♪」という歌です。

 「こんな世の中でいいのか!」と青年将校が義憤に燃えたのです。2・26の将校達には何の欲もありません。「成功する」という欲すらありません。これが三島由紀夫の言った「無効性の哲学」です。

 無効性の反対のものは、有効性です。2・26事件の将校は無効性です。何の目的もありません。佐賀の神風連の乱もそうです。何の有効性もありません。無効性だけです。だから、日本刀だけで戦ったのです。

 神風連の乱は日本刀だけで決起したのです。政府は銃をもっているから勝てるわけがありません。江藤俊平の乱も無効性です。西郷隆盛の西南戦争も無効性です。西南戦争とは、一体何だったのでしょうか? 無効性の哲学をもって決起したのです。

 西郷さんはとっくに知っていたのです。何故、知っていたのかというと、「まだ殺し足りない」と言ったのです。「武士の怨念が残っているから、まだ殺し足りないぞ。このままいくと日本に恨みが出てくるから、一旦締めてしまわないとダメだ」と西郷さんは考えていたのです。

 それはそうです。武士から考えてみてください。武士の録は取り上げられて、刀は取り上げられて、身分は平民に落とされて、やっていけません。武士の恨みが日本の隅々まであったのです。

 一番恨まれたのは大久保利通です。「お前が悪いのだ」と津々浦々までも武士に恨まれていたのです。西南戦争は誰に対する反乱なのかというと、大久保利通に対する反乱です。「西洋かぶれした大久保利通の言う通りにはならんぞ。我々は中心にするものは日本刀である。鉄砲をもっているけれども、そんなものはどうでもよいのだ」ということです。

 もちろん、銃撃戦はありましたが、政府軍の銃のほうが新式ですから射程距離が違います。鉄砲は射程距離で決まりです。そんなことはわかっています。西郷さんは「おいどんの命をくれてやる」と言ったのです。

 「こうやったら勝てる」という戦の仕方もあったのです。西郷さんは、そんなことはどうでもよかったのです。決起することが目的です。勝つために決起したのではありません。勝てないことは知っています。明治新政府に勝てるわけがありません。

 では、なぜ決起したのでしょうか? 「乾坤一擲だ、怒りをぶつけろ!」それだけです。全国の不平士族は西郷さんと合流しようとしたのです。不満があるが故に集まっただけで、「こうしたら勝てる」というものはありません。これを無効性の美といいます。

 2・26事件も5・15事件も同じです。2・26事件は「どうしたら勝てるのか? 勝った後はどうするのか?」ということは、何もありません。決起するのが目的です。天皇を抑えようとするならば、皇居に乱入して天皇を抑えてしまえばよかったのです。玉を抑えて「天皇陛下は私に従ってもらいます」と言えば、有効性になったのですが、それもやらなかったのですから、無効性です。

 むしろ、「我々はどうしたらよいでしょうか?」と相談したくらいです。これが2・26事件です。だから2・26事件は強く三島由紀夫の心をうったのです。何故、安藤大尉にしても死んだのか? それは無効性です。その無効性を認めたのが三島由紀夫です。だから、三島由紀夫がやった市ヶ谷乱入事件も何の有効性もありません。

 有効性がない証拠に三島由紀夫は、刀一本しか持っていません。銃も持っていませんから、殺されに行くようなものです。三島由紀夫は「それが初めて人々の心に残るのだ」という考えです。有効性だけを考えて「どちらが損か、得か?」、というのでは後世の歴史には残りません。

 「無効性であればあるほど光るのだ」という考えです。歴史に残るのです。これは言ってみると大塩平八郎の乱もそうです。勝てるなどとは考えていません。「やるぞ!」という乾坤一擲の心が残るのです。それが次のものを生んでいくのです。三島由紀夫は、その無効性を感じ取ったのです。

大川周明の場合は、思想家です。武器を持って決起するということは考えていません。「どのような哲学を完成させて、日本人はどのような哲学を持たなければいけないのか?」ということです。

 日本人の持つ哲学の中で、この無効性の哲学は凄いのです。これに日本は立ち帰らない限り日本は後進国です。中国や朝鮮など、無効性どころではありません。みんな有効性を求めてだまして殺し合っているのです。全て有効性です。

日本には無効性の哲学があります。これが世界が恐れた日本人の大和魂です。神風特攻隊もそうです。「アメリカから不合理な条件を付きつけられてやるしかない!」と決起したのです。

現代の世の中は不合理です。裁判官も正義が通らない、検察もインチキをやっています。政治家は外国とつながって、ロクなものではありません。皇室までも眞子ちゃんとプー小室が有効性を求めてしゃしゃり出てきました。まさに末法です。この恐ろしい世の中に警告しているのが、2・26事件の『昭和維新の歌』です。是非、皆さんもそのことを頭に置いて歌を聞いてもらいたいと思います。

 

 

青年日本の歌(昭和維新の歌)1930年 作詞・作曲:三上卓

1.汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ 混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く

・汨羅~・・・「汨羅の淵のさざれなみ 巫山の雲は消えぬれど」(土井晩翠「万有と詩人」『天地有情』)「浮世の波の仇騒ぎ」(同「希望」)汨羅は屈原入水の地、巫山の雲は男女の情事をいう。「妾在巫山之陽、高丘之阻。旦為朝雲、暮為行雨。朝朝暮暮、陽台之下」(宋玉「高唐賦」)。なお後者の故事の由来は、屈原が仕えた楚の懐王である。
・混濁の~・・・「混濁の世にわれ立てば 義憤に燃えて血潮湧く」(大川周明「則天行地歌」)/「世溷濁而不分兮」(屈原「離騒」)

2.権門上に傲れども 国を憂ふる誠なし 財閥富を誇れども 社稷を思ふ心なし

・権門~・・・「権門上に傲れども 国を憂ふる誠なし」(「則天行地歌」)
・財閥~・・・「財閥富を誇れども 民を念ふの情(こころ)なし」(「則天行地歌」)

3.ああ人栄え国亡ぶ 盲たる民世に踊る 治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり

・ああ人~・・・「嗚呼人栄え人沈み 国また起り国亡び」(土井晩翠「夕の思ひ」『天地有情』)
・治乱~・・・「治乱興亡おもほへば 世は一局の棊なりけり」(土井晩翠「星落秋風五丈原」『天地有情』)

4.昭和維新の春の空 正義に結ぶ丈夫が 胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花

・正義に結ぶ丈夫が・・・「正義に結ぶ益荒雄」(「則天行地歌」)
・胸裏百万~・・・「胸裏百万兵はあり」(「星落秋風五丈原」)

5.古びし死骸乗り越えて 雲漂揺の身は一つ 国を憂ひて立つからは 丈夫の歌なからめや

・雲漂揺の~・・・「雲飄揚の身はひとり」(土井晩翠「暮鐘」『天地有情』)
・丈夫の歌~・・・「いづくか歌のなからめや」(「万有と詩人」)

6.天の怒りか地の声か そもただならぬ響あり 民永劫の眠りより 醒めよ日本の朝ぼらけ

・醒めよ~・・・「時「永劫」のふところを/出でしわが世のあさぼらけ」(「万有と詩人」)ここはそれほど明確な引き抜きではないが、当該の詩からの盗用が多いこと、及び字句の配置が似ていることから参照のあとがうかがわれる。

7.見よ九天の雲は垂れ 四海の水は雄叫びて 革新の機到りぬと 吹くや日本の夕嵐

・見よ・・・「見よ九天の雲は垂れ 四海の水は皆立て」(「星落秋風五丈原」)

8.ああうらぶれし天地の 迷ひの道を人はゆく 栄華を誇る塵の世に 誰が高楼の眺めぞや

・誰が高楼の~・・・「誰が高楼の眺めぞや」(土井晩翠「雲の歌」『天地有情』)

9.功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠 人生意気に感じては 成否を誰かあげつらふ

・功名~・・・「功名いづれ夢のあと 消えざるものはただ誠」(「星落秋風五丈原」)
・人生~・・・「人生意気に感じては 成否を誰かあげつらふ」(「星落秋風五丈原」)/「人生感意気 功名誰復論」(魏徴「述懐」)

10.やめよ離騒の一悲曲 悲歌慷慨の日は去りぬ われらが剣今こそは 廓清の血に躍るかな

・やめよ~・・・「やめよ離騒の一悲曲」(土井晩翠「赤壁図に題す」『天地有情』)離騒
は屈原の詩。

 

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