日本文化を破壊する朝鮮文化 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※鬼室集斯(きしつ しゅうし)の祀られた神社

 鬼室集斯(きしつ しゅうし)は、百済人です。

 

 朝鮮人でも三種類あるということは申し上げました。古来人(こぞきびと)、今来人(いまきびと)、帰化した朝鮮人の三通りです。

 古来人は千年前から400年前に来た朝鮮人です。朝鮮人が日本に来た原因は、朝鮮の国が滅亡したのです。滅亡したから日本に逃げてきたのです。一番良い例が高麗若光です。668年の唐・新羅連合軍との戦い(白村江の戦い)で高句麗が滅亡して、高麗若光の一族家臣団と共に日本に来て、天皇に拝謁したのです。

 その結果、武蔵の国の土地を与えられて、1799人で移住したのです。1300年前のことです。その人達はどうなったのかというと、現在、高麗神社に行ってみると朝鮮風のものは何もありません。高麗神社の宮司は高麗若光から数えて60代目です。1300年前に来たのですから、日本人に同化しています。関東一円の人間の祖は高麗若光にあると僕は思います。

 関東武士団は非常に勇敢で、関東武者ともいいます。戦争は強いのです。関東平野を馬で移動していたのです。高麗は馬を連れてきたのに違いありません。それが八王子や町田や埼玉に散って混血したので、「これが高麗人だ」というものは、どこにも残っていないのです。

 日本人と同化して、日本文化の中に溶け込んでいったのです。わずかに「我々は高麗から来たのだ」という伝承があったのだと思います。この一族の中から新撰組の近藤勇や土方歳三が出てきたのだと思います。彼らには高麗の伝統などありません。神社を造ったらお終いです。日本人と同化したのです。

 他にもこのような例はあります。鬼室集斯(きしつ しゅうし)という帰化人がそうです。鬼室集斯(きしつ しゅうし)は、7世紀の百済の貴族です。天智天皇は671年に鬼室集斯(きしつ しゅうし)に小錦下の冠位を与えられたのです。

朝鮮名は当時、四字だったとわかります。鬼室集斯(きしつ しゅうし)は、日本に来て神と崇められたのです。しかし、「朝鮮人を拝んでいる」という気持ちはありません。

 他の例は京都の秦一族です。秦という苗字から、畑、波多、幡多、という苗字が増えていったのです。これらの「はた」さんは、秦一族が発祥です。秦一族は機織りの技術を持ってきたのです。だから「はた」と言ったのです。

 これが第一次の帰化人です。その他、様々な渡来人が日本に帰化しました。これは朝鮮人とは言いません。「日本に来て、日本人になりたい。天皇にお仕えして一生懸命頑張りたい」と言っているのですから、何も咎めることはありません。立派な日本人になったのです。これが第一次の古来人です。

 次に豊臣秀吉が朝鮮出兵をした時に、諸大名が10万人の朝鮮人を日本に連れてきてしまったのです。秀吉が死んで各藩が日本に帰るときに朝鮮人を連れてきてしまったのです。「何人朝鮮人を連れてきたのか?」と計算しても出てきません。幕府が調査しても、各藩は本当のことを言いません。江戸時代には、だいたい5万人くらいは朝鮮に帰したのです。手に職がある朝鮮人は日本に残したのです。

 それが薩摩焼、有田焼、萩焼などの陶芸の元になっているのです。当時の陶工は帰化人だと思ってよいのです。これらの人々は秀吉の時代から江戸時代300年経っているのですから、「朝鮮人」という自覚はありません。

 島津藩は朝鮮人の村をつくり「朝鮮人はこの中から出てはいけない。必ず朝鮮人同士で結婚しろ。朝鮮風の風俗を残して、朝鮮の名前を名乗れ」と言い、朝鮮の村をつくり、陶工に薩摩焼をつくらせたのです。

 それをやったのですが、400年も経てば完全な日本人になっているのです。島津藩は朝鮮人を職人集団と、無能な集団に分けたのです。加世田の無能な集団の朝鮮部落にいたのが小泉純也です。「鮫島」と名家の名前を勝手に名乗っていましたが、それもウソだったのです。

 その朝鮮部落の連中は「朝鮮人だ」という意識はなかったのだと思います。小泉純一郎に「貴方は朝鮮人ですか?」と聞いたら、「馬鹿言うな。俺は日本人だよ」と言うに違いありません。心底そのように思っているのです。

 安倍晋三に「朝鮮人ですか?」と聞いたら、「冗談を言うなよ。俺は日本人だよ」と言うに違いありません。この連中はそのように言うのです。一応は、日本人になっているのです。日韓併合時に出稼ぎに来た朝鮮人と、日本が終戦して密航してきた朝鮮人は、あまり多くはありません。

 日韓併合時に出稼ぎに来た朝鮮人はどのような意識かというと、外地から内地に来た日本人という意識です。それはたいした数ではありません。みんな日本人だと思っているから、変な考えはありません。

 その中では立派な朝鮮人もいたのです。「軍隊に入れてくれ。私は朝鮮人ではない。日本人です。日本の軍隊に入れてもらいたい」という朝鮮人がいたのです。大日本帝国陸軍では、日本人の上に朝鮮人がいたのです。洪 思翊(ホンサイク)中将は、モンテンルパンの捕虜責任者でしたから、部下には日本人が大勢いたのです。大佐・中佐にも朝鮮人はいたのです。日本人の指揮官です。

 朴 正煕も大日本帝国陸軍中尉です。意識は完全な日本人です。朴 正煕(パクチョンヒ)の日本名は高木正男です。その人達は何の害もありません。日本人に苛められるどころか、日本のエリートになっているのです。変な意識はありません。

 問題の朝鮮人は、日本が終戦した時に「日本で一稼ぎしよう」と密航船に乗ってきて、日本に住み着いた連中です。これは悪いのです。これが今来人です。同じ朝鮮半島から渡ってきたにしても、分けなければいけません。

 今は、今来人の朝鮮人がのさばっているのです。今来人の朝鮮人の資金源はパチンコ業界です。国家予算に匹敵する莫大な金額をパチンコで稼いできたのです。そのパチンコで儲けたお金で朝鮮人はお金持ちになり、その子供を優秀な大学に入れてマスコミ業界に就職させたのです。マスコミ業界に入ると、ありもしない母国の朝鮮に忠誠を誓い偏向報道をしているのは、この世代の朝鮮人です。

古来人の朝鮮人は、「自分は日本人だ」と思っていたのです。今来人が悪いのです。挙句の果ては、昔から日本に住んでいる日本人のことを「日本土人」と言います。「俺たちが本当の日本人で、お前達は日本人奴隷だ」という意識をもっているのです。(②に続く)

 

 

 

 

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