原人とホモ・サピエンスとの違い | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 人間に最も似ているものとしては、ボノボというチンパンジーがいます。非常に凶暴らしいのですが、人間に一番よく似ています。しかし、決定的な違いがあります。彼らは、しゃべることができません。喉の構造が人間とは違います。ボノボは声を出すことはできますが、しゃべることはできません。

 ボノボに言葉を教える場合は、手話で教えるのです。手話で教えるとだいたい2千語は覚えるらしいのです。そのような面でいうと犬でも10や20の人間の言葉をわかっています。「おすわり」「たっち」「お預け」「はいはい」など、10種類の言語くらいは犬でも猫でも覚えているのではないかと思います。

 しかし、犬や猫はしゃべることはできません。犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」です。犬や猫は言葉を出す喉の構造になっていません。いくら言葉を教えても犬や猫はしゃべることはできません。

 しゃべることのできる動物は、オウムやカラスです。カラスはオウムの仲間です。オウムは、言葉を教えるとかなりの言語を覚えます。「こんにちは」「おはようございます」「バカヤロウ」など、人間の言葉を覚えて同じようにしゃべることができます。

 ホモ・サピエンスが出現する前には、70種類くらいの原人がいたのです。インドネシアのフローレス島から骨が発掘されたフローレス原人、ジャワ原人、北京原人、クロマニヨン原人などがいました。原人の中で一番新しい種族がネアンデルタール原人だと言われています。

 猿人が進化して原人になり、原人が進化をしてホモ・サピエンスになったというのではありません。みな、そのように考えています。「人間の先祖は猿人だ」と考えられていましたが、全然違うのです。猿人と人間は違うものなのです。

 人間とゴリラは似ていますが、ゴリラは言語をしゃべることはできません。アフリカの黒人を見てください。まっ黒で掌は白くて、目がギョロっとしていて、ゴリラと似ています。白人とゴリラを比べたら全然似ていません。まして日本人とも似ていません。

 アフリカの奥地にはピグミー族の黒人がいますが、身長は1メートルくらいしかありません。同じくアフリカに住んでいるホッテントットは地上最低の馬鹿だと言われています。ゴリラにも似ています。「ゴリラと人間が関係を持ったら子供が生まれるのか?」というと生まれません。

 これを実験した馬鹿がいます。ドイツのナチスです。ナチスは人間の男とゴリラのメス、人間の女とゴリラの雄を交配させて、子供をつくろうとしたのです。これはできなかったと言われています。

 人間とゴリラは種が違います。すると猿人は人間の先祖ではないとわかるのです。一番近いと言われているクロマニヨン原人とホモ・サピエンスは、多少は混血したと言われていますが、その後子孫ができたかどうかはわかりません。

 クロマニヨン原人とホモ・サピエンスの遺伝子を調べると、「5%くらい同じ遺伝子がある」というだけです。それも本当に同じかどうかなどわかりません。

 僕の考えでは何が違うのかというと、滅びた猿人や原人には言語がありません。猿に近いのです。原人は喉から声がでません。「ウオ!」「ヤッホー」「ギャア!」というような奇声は出せたのです。

 原人には言語というものがなかったのだと思います。70種類のヒト科である原人は、ホモ・サピエンスと種が違うのです。それが原生人類とホモ・サピエンスとの分かれ道です。

言語が無いと複雑な伝達ができません。「アア~」「ウウ~」は言えますが、計画して複雑な行動はできません。だいたい、言語が無いと計画などできません。計画は言語でやるものです。原人は裸で歩いていただけです。

 クロマニヨン原人は遺体が3体並べられて、その上に花が置いてあったのです。「高度な意識があったのではないか」と言われていますが、それも本当のことはわかりません。死体が3体並べてあり、花が置いてあったら、高等な人間なのでしょうか? 猿でもそのくらいのことをするかもしれません。

 「言語が無い」ということは、致命的です。言語学者もまだこれに気が付いていません。今後、原人が見つかっても原人とホモ・サピエンスの違いは、言語があるかないかです。これが現代人のホモ・サピエンスと原人との関係です。

 人類の中で最も変わった人間がいます。それが朝鮮人です。彼らは北朝鮮の教科書では「我々は現代人類ではない。ホモ・サピエンスではない。ホモ・サピエンスのひと昔前の山葡萄原人である。それが朝鮮人の先祖である。従って地球上で最も古い民族が朝鮮民族である。これがペクトー山の辺りに住んでいたのだ」と書いてあるのです。

 なるほど。朝鮮人のことを「山葡萄原人」と言ってもよいのです。朝鮮人は自分達で自慢して、「山葡萄原人」と言っているのです。朝鮮人は、ホモ・サピエンスが生まれるひと昔前の原人だということがわかります。

 山葡萄原人は、言語がなかったのに違いありません。「そんなことはないだろう」という人もいるでしょう。「ヤッホー」「ウウ~」「ギャア」など、朝鮮語はそのような言葉に似ています。キレイな言葉ではありません。朝鮮のハングル文字は記号です。記号が言語化したようなものです。

 アムール川の近くには洞窟群があります。これを悪魔の洞窟門といいます。奥行きが100メートルある洞窟がいくつもあるのです。そこに山葡萄原人が住んでいたのです。氷河期の間は洞窟にひっそりと隠れていて、表を通る獲物は洞窟に引きずり込んだのです。それで、食ってしまったのです。

 人間を食った骨が残ると思いますが、ないのです。山葡萄原人は人間の骨までバリバリと食ってしまうのです。氷河期で食べ物がないから、まず骨を砕くと骨の中に髄があります。これは食えるのです。髄を吸っているうちに骨をバリバリかじってしまうから、死体はありません。獲物は1年に何回も取れません。全て食ってしまうから死体はないのです。氷河期の時代にはそのような生活をしていたのです。

 洞窟の前を通ると襲って肉を食い、骨まで食ってしまったのです。だから山葡萄原人は、歯が丈夫です。前歯は肉が食いちぎれるようにギザギザに尖らせていたのです。この連中は氷河期が終わり、気候がよくなると、ゾロゾロと洞窟から出てきたのです。猿に近い原人です。山葡萄原人の近くにいたのが、エベンキ人です。エベンキ人は言語があります。人間の中で最も汚らしい人種だと言われています。

 エベンキ人と山葡萄原人は混血したのです。エベンキ人は言語を持つので山葡萄原人は、言語を習得したのです。それでできたのが朝鮮語です。朝鮮語は山葡萄原人の言葉ではなく、エベンキ人の言葉です。

 言語は覚えたのですが猿真似と同じです。山葡萄原人は、声を出す機能はあったのですが、言語はないのでモノマネで言語を覚えたのです。だから、難しいことはわかりません。

「約束」「公共性」「共同生活」などの抽象的な言語は理解できません。山葡萄原人には言語はありません。日常生活で言葉は覚えたのですが、高度な言語を使ったことはないし、意味はわかりません。これが朝鮮人の原型として現代までDNAに流れているのです。

 だから朝鮮人は約束を守りません。ウソはつき放題です。息を吐くようにウソを言い、女はぶちのめして苛めます。犬を食い、猫を食い、人間も食ってしまう残酷性があります。残酷性は山葡萄原人のDNAです。

 難しい言葉はないのですから、朝鮮人と如何なる約束をしても意味がありません。従軍慰安婦問題でも日本政府が10億円払って「これで終わりだ」と言っているのに、「金はもらいました。国民は納得していません。この話はなかったことにする」と言うのです。「不可逆的にこれで終わりですと言っただろう?」と日本政府が言っても、「言いましたよ。それがどうかしたのですか?」このような理屈です。

朝鮮人に金を貸してもダメなのです。貸主「金を貸しましたね。お金を返してください」朝鮮人「何で返すのですか? お金がないから借りたのです」貸主「ここに証文があります」朝鮮人「それがどうしたと言うのですか?」全てそうなってしまうのです。

 朝鮮人「結婚の約束、しましたよ。今はやめたのだよ。女は子供をつくれば逃げないから、どんどん女を変えて子供をつくればよいのだよ」朝鮮人の男は、そのような考えです。そんなことを考えている民族は朝鮮人以外にいません。

 朝鮮人には「約束をする」「約束は守らなければいけない」という考えはありません。だから朝鮮人とは一切の約束をしてはいけません。

このようなところに言語の文明は栄えません。朝鮮人に元々美意識はありません。「白、黒、赤」くらいの感覚しかありません。そのような連中です。

 朝鮮人を見たら「現代人ではない、亜人である。山葡萄原人なのだ」とわかればよいのです。朝鮮人は地球上にいてはいけない民族です。「もう、とっくに滅びていないはずの原人が、幻のように朝鮮半島に残っていた」ということが、全ての問題の元凶です。

 「朝鮮人は山葡萄原人である」ということを知らないで明治政府は日韓併合などしたのです。とんでもない過ちを犯したのです。朝鮮人の言葉は全てウソです。孫正義は「我々は強制的に姓名を変えられた」とウソを言います。朝鮮人の姓名など変えていません。明治政府は、姓名を変えたいと言う希望者を限定して改名を許可したのです。それに朝鮮人は殺到してきたのです。「朝鮮人は名前を変えることは許さん」ということが明治政府の考え方です。

 朝鮮人は、このようなウソを平気でつきます。植民地でもないのに「植民地にされた」とウソを言い、「我々は勝利を勝ち取って独立したのだ」と言うのですが、日本と朝鮮は戦争などしていません。このような野蛮人が近所にいるということは大変なことです。近所にいるから「日本人と同じだ」と思って騙されてしまうのです。

 日本人はよく注意をして、「朝鮮人は山葡萄原人であり、亜人である」という自覚を持つ必要があります。種は神が創られたものです。種は変えることはできません。だから、朝鮮人は日本人にはなれないのです。

 

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