隣国とは仲良くしなくてよい! ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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本を読んで「いいな」と思っていても、3年経つと「くだらない本だな」と思います。それは自分が成長している証拠です。僕は司馬遼太郎がよいと思っていましたが、今では「くだらない奴だな」と思っています。

あんなくだらない男はいません。大阪の商人の息子です。帰化人の血筋かもしれません。「司馬遼太郎史観はくだらない」と思えてきたのです。全てフィクションです。『燃えよ剣』などはよいと思っていました。若い頃は『竜馬がゆく』も興奮して読んだものです。この本に興奮したのが孫正義です。「何回でも読んだ」と言っていましたが、話の内容は全てフィクションですから事実ではありません。

フィクションだから面白いのです。過去の歴史は小説家が書いたものがほとんどです。有名な小説家は吉川栄治です。『宮本武蔵』が有名です。吉川英治が書いた宮本武蔵が史実になってしまっているのです。本当は違います。吉川英治の宮本武蔵です。これは小説です。

それを真似して創価学会の池田大作は『続人間革命』を書かせたのです。「これはフィクションです。フィクションのほうが事実を伝えている場合がある。従って読者はフィクションであることをよく考えて読んでください」と書いてあります。

それに学会員のババアどもは熱中して、聖教新聞を切ってルーズリーフに貼って大事にとっているのです。フィクションならば、なんぼでもウソが本当のように書けるのです。それを読んで「池田先生はすごい」と思っていたのが、「くだらない奴だ。なんだ、池田大作は朝鮮人か」と思うことが人間的な成長です。みんなそうです。大川隆法も文鮮明もくだらない奴です。「文鮮明は神様だと思っていたけれども、くだらないクソジジイだな」と思っていかないと人間の成長はありません。

トップを走る人間は絶対に追いつかれません。「絶対に追いつかせないぞ!」という気持ちでやらなければいけないとわかります。成長が止まってしまうと、追い抜かれてしまうのです。いつも上にいるということは、大変なことです。だから成長するのです。

「いくら頑張ってもあの人には追いつけない」と言われるように、女性も成長していかなければいけません。そのように思っている人間から見ると、主婦などくだらないとわかります。それが成長です。誰もかれもみんなくだらなく思えるようになっていきましょう。

隣人とは仲良くできません。仲良くしたところが、自分の境涯です。「友達が沢山いる人は偉い」など、とんでもない間違いです。馬鹿と同じレベルだということです。

自分が成長してしまったら、同じレベルのわけがありません。それから本当に付き合うことになるのですが、世間はわかりません。自分と同じ境涯でないと付き合えません。本当はそうではありません。「あいつは上にいったな。俺も上にいかなければ」と思うのです。すると「こいつが追いついてきたな。俺はもっと上へいかなければ」と思うのです。それが切磋琢磨する人生というものです。

隣の人とは仲良くできません。政治の世界ではなおさらです。人間関係でもそうです。「韓国と仲良くしなければいけない。隣国ではないか、隣国と仲良くするのが当たり前だ」などというのは馬鹿の証明です。隣国とは仲良くできないのです。

北朝鮮の金正恩と仲良くできるわけがありません。相手はそのように言っています。日本人を拉致をして脅かしをかけているのです。北朝鮮がそう言っているのですから、日本が頭を下げて「日朝会談をしましょう」などと言うのは馬鹿です。

北朝鮮は「日本とは会談しない」と、一旦断ったのです。生意気な野郎です。北朝鮮は「レベルが違う。アメリカのポチと何の話をするのだ? 拉致問題? そんなものは最初からないよ」と言ったのです。開き直りです。そんなことを言っている国と仲良くなどできません。「それが当たり前だ」と思わなければいけません。「仲良くしてもらいたい」など馬鹿なことを言うものではありません。

人間関係で言うと友達などいなくてよいのです。友達が大勢いる奴はダメなのです。「友達は一人もいない」でよいのです。宗教家で言うと、「弟子は一人もおらず候」です。弟子はいません。念仏の教えを広めると、勝手についてくるのです。「それは弟子ではないのだよ」と言っていたのです。

日蓮大聖人もそうです。弟子と言ってもついてこられないのです。六老僧だと言っても、何もわかっていません。後世になると太鼓を叩いて「南無妙法蓮華経」と唱えたり、お滝行をしたり、難行苦行をして仏教とは全然違う形になってしまったのです。

日蓮大聖人のレベルに追いつけないのです。さらに、六老僧にも追いつけないから、どんどん劣化して違う方向へ行ってしまい、お札をつくり、厄除けをつくり、キツネ様を拝むことになってしまうのです。

男は特にそのように思わなければいけません。「友達は誰もいないぞ。それを俺は誇りに思うのだ。誰に褒められたいと言うのだ。褒められたいとか、村八分になってしまうとか、そんなことで怯えた人生にはしないぞ」と思わなければいけません。

国際問題でもそうです。日本には日本の道があります。「国際的に認められて、国際世論をリードしていかなければ」など、何を馬鹿なことを言っているのでしょうか? 日本の高い次元を他の国の連中が理解できるはずがありません。「日本の立場は理解はできない」と思えばよいのです。「我が道を行くのだ。文句があったら、ついて来い!」このような人生を歩んでいってもらいたいと思います。

 

 

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