隣国とは仲良くしなくてよい! ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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 日本にとって「お隣とはどこか?」というと、中国・韓国・北朝鮮を意味しています。こんなことを聞いて「当たり前だ」と思う人がいるかもしれません。真実は、隣とは仲良くできません。これが真実です。

 例えば、アパートに入って隣がうるさかったら、仲良くできません。隣に大学生が入りギターを弾いたり、女の子を連れてきたり、一杯酒を飲んで「ガッハッハッ・・・」と夜中まで騒いでいたら、どうやって仲良くするのでしょうか? それを見てもわかります。

例えば、隣に空き地があり、自分の家のアンテナが隣の空き地に出ただけで隣の土地の持ち主と喧嘩になります。「俺の土地にアンテナが出ているぞ。アンテナを引っ込めろ。俺の土地には一歩でも入れない!」と言われてしまうのです。

土地の境界線をめぐっての争いはもっとひどいものです。境界線が10センチもないと、わずか10センチのことでも隣の家とは絶対に仲良くできません。遠くの家とは仲良くできます。それは直接の利害関係がないからです。

そのようなことを常識で考えると日本は、韓国・北朝鮮・中国と仲良くできません。何故ならば境界を接しているからです。中国は海をまたいでお隣です。韓国も半島ですから海に面しています。領海をめぐっているので仲良くできません。北朝鮮も韓国の隣です。

隣とは仲良くできないのです。それを考えたら、日本はインドと仲良くすることは適切です。隣人とは憎みあい、遠くの者と仲良くするということが地政学の常識です。

隣は敵で、敵の敵は味方です。隣に敵がいて、戦っている相手は自分にとっては味方です。これを自民党の幹事長たる二階俊博はわからないのです。「隣と仲良くしなければいけない。隣と仲良くしないでどこと仲良くするのだ」と言っています。これは間違いです。

隣とは仲良くできません。ベタベタしたら終わりです。「今度、土地貸して。入り口を貸してね」「ちょっと音がうるさいけど我慢してよ」と、隣はどんどん押してくるのです。竹田恒泰さんが言う通り隣とは「あら、どうも。おはようございます」「こんにちは」くらいの挨拶はしても、仲良くはできません。

学校もそうです。学校の成績が1番の人と2番の人は仲良くできません。40番の成績の奴と一番の人は仲良くできます。隣同士は仲良くできないのです。それは家族についても言えるのです。「うちは仲良し家族だ」という人がいますが、本当なのでしょうか? 家族は近い関係だから、本当はトラブルのほうが多いのです。「あの家は仲がいいわね」と言われても、親父が死んで遺産相続になると、とたんに狂った状態になるのです。仲の良い兄妹同士が財産をめぐって裁判をかけるのです。「少しでも多く金をもらおう」と思っているので仲良くできません。仲が良かったのは、うわべだけだとわかるのです。そのように人に見せているのですが、本当は仲良くないのです。

親友もそうです。「親友だ」と言ってもいつ裏切るかわかりません。「人生とは裏切りの歴史だ」と言った小説家がいます。昨日までは自分と同じ境涯です。それは仲良くできます。ところが自分の境涯が進むと見方が全部変わってしまうのです。すると「なんだ、あいつはこんな奴だったのか」と思うと境涯が進んで、自分と同じレベルの新しい友達ができるのです。

自分の境涯が進むと「なんだ、あの野郎はくだらない野郎だ」と思うのです。昔大事と思った人は境涯の違いができて、次の友達ができてくるから、人生は裏切りの連続だとも言えます。裏切らない奴は成長していないとも言えます。

小学校からずっと友達で「僕たちは永遠の友達だ」ということは、永遠に同じレベルだということです。昨日までよいと思っていたけれども、「くだらないな」と思うことが自分の成長です。

結婚もそうです。この女がよいと思ったから結婚したのです。「でも、物足らないな」と奥さんが思ったら裏切りです。「絶対にどんな女でもそのような気持ちを持つのだ。裏切らない女はいないのだ」と三島由紀夫は言っています。

一皮むけば女は裏切り者です。安住した関係よりも、他の男がよく見えるのです。他の男がよく見えるというのは、必ずしも名誉や地位やお金があるという意味ではありません。女はくだらない男がよいと思ってしまうのです。

チャタレイ夫人がそうです。自分は貴族なのに、植木職人を見て欲情してしまったのです。すると女は「あれがよい」と思ってしまうのです。自分がよいと思ったら、乞食でもよいし、下男でもよいのです。

眞子様がそうなってしまいました。プー小室の下男がよいと思ってしまったのです。そのようなくだらない男とくっついてしまったのです。眞子様は無職のプー小室がよく見えたのです。プー小室はよい男ではありません。金も稼げない、父親が自殺している不幸な家系です。あれがよいと思うのは、眞子様の境涯です。

自分に「皇族だ」という自覚があれば、「皇族が結婚するのは、このような男ではない」とわかり、皇族にふさわしい男性を選ぶでしょう。プー小室は庶民です。皇族や上に立つ人は、庶民とは付き合ってはいけません。皇族や貴族は庶民ではありません。

人の上に立つ人はどのような人かというと、平気で人が殺せる人です。これを貴族というのです。人の上に立つ家柄はそうなのです。庶民と同じ畑を耕していたら大王にはなれません。それを束ねて子分にして、上に君臨するのです。君臨しない限りは誰も税金をもってきません。そのような家柄に生まれた人は「君臨する」ということがわかった家柄同士でなければ上手くいきません。

プー小室のようなド庶民が、最も高貴な皇族の皇女様を奥方にするなど絶対にあり得まないことです。それをなぜやろうとしたのでしょうか? それはプー小室が無智だからです。プー小室には教養がありません。だから皇女様に平気で接触したのです。

プー小室の身分はプー太郎です。チャタレイ婦人の庭師にも至らない奴が、よく皇女に結婚を申し込んだものです。

そのように仲良くしてはいけない人がいるのです。男というものは、裏切りの中で成長していくのです。それはよい意味で言っているのです。「裏切って友達を追い落とせ」というのではありません。「昨日まで尊敬していた男が尊敬できない。なんだ、くだらない男だ」と思うのは裏切りです。それが人間の成長です。どんどん人間は成長していくのです。(②に続く)

 

 

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