日本人の美 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※日本美の結晶・神風特攻隊関大尉

 

 安倍さんの著書の中に『美しい国日本』というのがあります。これは統一教会の日本代表の故・久保木修己が書いた『美しい国日本』の引き写しです。全く同じものです。これをもって安倍晋三は統一教会だとわかります。

 しかし、『美しい国日本』と言っていますが、何が美しいのかわかっているのでしょうか? 日本という国はあらゆるものが優れているけれども、この美に対するセンスのよさを感じ取らなければいけません。

 美に対するセンスは凄いものです。例えば、今から150年前の江戸時代にお隣の朝鮮半島の李氏朝鮮では白い着物しかなかったのです。何故、白い着物なのかというと染料がなかったのです。服を染める染料がなかったのです。

 好きこのんで白い着物を着ていたのではありません。着物を縫う針もありませんから、針は中国から買っていたのです。李氏朝鮮時代は針をつくることもできなかったのです。それから、車がないので荷物を運ぶのは全て人力です。朝鮮では人間が荷物を担ぐので、体が頑丈に発達したのです。男は250キロ、女は150キロの荷物を担ぐことができたのです。今の韓国時代劇ではウソばかりです。李氏朝鮮には白い着物しかなかったのです。

 江戸時代の呉服屋さんに行くと、1千種類の着物の柄があったのです。すごい美意識です。呉服屋さんに行くと「どれにしますか?」と、1千種類の生地見本を見せられ、1千種類の色見本を見せられて、「これにしようかな」と選ぶのです。紫や、微妙な中間色などの色が沢山あります。朝鮮は白しかありません。朝鮮に比べると恐ろしい違いです。

 日本人の庶民は、1千種類の着物の柄を選ぶことができたのです。センスがよいのです。丁髷もカッコイイのです。何百種類とあったのです。映画で見ると武士・浪人・町人の髷くらいしかありませんが、実は女の髷も何種類もあったのです。相撲取りも髷を結うとカッコイイのです。相撲取りは白い紙を巻きません。「髻(もとどり)」と言いますが、武士は入れるのです。それが実にカッコイイのです。

 髷の結い方も月代(さかやき)があって実にカッコイイのです。朝鮮人は髪の毛を丸めておだんごにしていただけですから実にカッコ悪いのです。

 この美意識を考えてみると、日本は縄文時代から美意識があります。火炎土器を見てください。恐ろしいほどの美意識です。あんな土器は世界中探しても、何処にもありません。縄文文化でしか見ることはできません。

 岡本太郎も火炎土器にしびれてしまったのです。縄文の火炎土器を見て「これは何だ!」と興奮して「芸術は爆発だ!」とは、そこから言っているのです。岡本太郎は、命が燃え盛っているところを土器で表現したのだとわかったのです。

 その後、岡本太郎の作品は縄文式になってしまったのです。弥生土器も美しいけれども、それには目もくれません。

 何しろセンスがよいのです。紐の巻き方でも、何通りもあります。帯の巻き方も何十種類あります。鬼平犯科帳を見て御覧なさい。鬼平の帯の美しいこと、帯をクルクルと巻いて片ばさみにしています。

 相撲取りは帯の先をクルクルと巻いて帯の中に入れてしまいます。これは薩摩のやり方と同じです。女性の着物も紬・友禅などいろいろとあります。これが日本の美学です。

 僕はかつての帝国陸軍の最後の軍服が大好きです。実にカッコイイのです。帽子の後ろには日よけがついています。制服は襟が開襟で白いのです。それがカッコイイのです。将校は長靴をはいていて、馬を蹴る滑車がついています。歩くと「カシャ、カシャ」と音がするのです。そんなものは、普段は使わないのですが、カッコイイからつけているのです。事実、カッコイイのです。

 ちょうど終戦間際の昭和19年くらいの軍服が一番カッコイイと思います。装飾はありません。最終の軍服がカッコイイのです。あれは明治以来煮詰めてきた最終的な日本の美学です。凄くカッコイイのです。

 ミズリー号で調印するときに、日本の将校が軍刀を持たないで立っているのですが、あの姿を見ると「ものすごくセンスがいいな」と思います。

 今では中国で日本の軍人が憧れの的です。旭日旗を立て、日本の軍服を着ているのです。中国人の女性も「日本の着物を着たい」と、わざわざ浅草まで来て、レンタルして着物を着て写真を撮って喜んでいるのです。

 中国では男性は日本の軍服を着て刀までもっています。それを見ると中国の当局が「日本人の真似をするのではない!」と取り締まるらしいのです。それでも止まらないのです。日本の軍服がカッコイイからです。

 特攻隊もものすごくカッコイイのです。白いマフラーに鉢巻をしめて、軍刀を吊るのですから最高にカッコイイのです。軍装だけではなく、外国人が日本刀を見たらしびれてしまいます。中国の刀はゴタゴタして不格好ですからカッコよくありません。

朝鮮人は刀に紐をつけないのです。刀は手にもっているのです。普通は鞘を紐で結わくのですが、朝鮮人はそんな発想もありません。だから、朝鮮人は「戦争だ!」と言うと、鞘ごと刀をもっていき、戦場近くに来ると鞘を抜いて捨てるのです。それで敵に襲い掛かるのですから、美学も何もあったものではありません。朝鮮人は刀を屠殺の道具か、鉈と同じように考えているのです。日本人の感覚と全然違います。

日本刀は物凄くカッコイイものです。日本刀の鍔(ツバ)には穴が開いていますが左右非対称です。鍔は丸い穴が左右に空いていますが、左右の穴の大きさが違います。

 鍔は丸いものですが、丸くありません。卵型になっています。左右が微妙にズレています。これが日本の美学です。左右対称にしません。日本の美学は凄いのです。

袴も恰好がよいのです。剣道着や女性の弓道着もカッコイイのです。男性の袴には腰板があります。武士の袴は全て腰板がついています。これがカッコイイのです。朝鮮人は剣道を「コムドーだ」と言い、「コムドーは朝鮮起源だ」とウソを言っています。袴に腰板を付けると「日本人の真似だ」と言われてしまうので韓国の袴には腰板がありません。

 韓国の袴は腰板がないので女性のスカートのようになっているのです。みっともないといったらありはしません。どういうわけだか、朝鮮人は袴の脇に白いラインを入れて、胴着にはワッペンをつけるのです。

 日本人の美意識がわかるでしょうか? 腰板のついている袴を穿くとビシッとしまってくるのです。日本人はセンスがよいのです。このような美学が外国にはありません。外国では、刀は人殺しの道具ですから、「ある程度使えればよい」という考えです。そこで装飾品を1個か2個はつけますが、最高の境地というものは生み出せないのです。

 日本刀は世界最高峰です。日本刀は何処の国でもできません。日本刀は精緻です。日本人は日本刀を命を懸けてつくっているのです。だから、素晴らしいものが出来てくるのです。まさに日本刀は神です。日本人はそこまで刀を極めていくのです。

 外国人はそこまでやりません。「刀は鉄を赤くして型にはめて造ってしまえばよい」というのが韓国刀です。西洋の刀はみんなそうです。鍛錬して作り上げていく刀などありません。

 建築もそうです。日本の城は物凄くキレイです。似たものは中国にもありますが、全然違うものです。日本に入ったものは磨きあげられて、「これ以上のものはない」というところまで高めてしまうのです。だから、何でも世界一になってしまうのです。

 髪の毛の髷、お化粧、着物、下駄、全てカッコイイのです。成れの果て(ヤクザ)の旅人さんもカッコイイのです。旅人と言ったら浮浪者のようなものですが、廻し合羽に三度笠がきちんと絵になっているのです。長ドス一本差せば、もう絵になってしまいます。あの姿は渡世人の世界ではカッコイイのです。

 日本には至るところに美学があります。剣道は剣術から生まれてきたのです。日本の武道は道になってしまうのです。柔術もどこまでも磨いていくと柔道になるのです。華道も茶道も道になってしまうまで、徹底的に極めていくのです。

 「お茶をどのように上手く飲むか」など、普通はやりません。それが立派な道になり、家元まで出来てしまうのです。そんなにお茶の飲み方があるのでしょうか? 「お茶は美味しいですね」で終わりです。単なる動作にも美学があり、よく考えられているのです。お茶一杯飲むのに茶道だと8時間くらいかかります。

 お茶一杯で8時間かけるのです。喉が渇いたら、ゴックンと飲んでお終いです。それを8時間かけてお茶を飲むというこの美学、凄いです。お花も、踊りもそうです。踊りも流派があります。三味線でも小唄、長唄があり家元がいます。日本人は徹底的に極めていくのです。これが日本の文化の美学と多様性の奥深いところです。

 剣道も流儀が何百とあります。北辰一刀流、神影流、神道無念流、示現流、小野派一刀流など、みんな免許皆伝まで出しています。みんな流派が違います。道を求めて「これが最高だ」と求めていくのです。お互いに切磋琢磨するから、極めていくことができるのです。その集大成が剣道です。こんなものは韓国にも中国にもありません。できないのです。

 日本人には、相対的に実力があります。それが産業界に残っているのです。お米を作らせても世界一です。日本米と外米では話にもなりません。中国米など、まずぐて食べられません。日本人はどこまででも美味くしようと努力します。その努力は終わりません。「もっと品種改良して美味しい物をつくるぞ!」と思って、「極めていく」ということが日本の美学です。日本人は極めていく能力があるのです。

 ブーブーと不平不満ばかり言っている奴は、極めることはできません。「何を言われてもかまわん。俺はこの道を行く!」と思っている人が日本全国にいるので、それが日本文化になって豊富な日本文化が出来上がってくるのです。着物をみても、刀を見ても「日本人はすごいな」ということがわかるのです。

 浅草に行くと、中国人や韓国人が浴衣を着ていますが、それは着物ではありません。久保田一竹さんの“一竹辻が花”の着物は、一着1億円以上する着物もあります。それが日本の文化の厚さであり、美学の厚さです。文化が円熟した国は、世界において日本しかありません。これを自覚して我々はますます日本文化を円熟させていく使命があると思います。

 

 

 

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