靖国問題について思うこと ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 天皇は人間宣言をしてしまったのですから、「天皇は神ではない」と言ってしまったようなものです。天皇は神ではないならば、生神様ではありません。死んだ者のみが神であり、天皇は生き残っています。

 すると「戦死した者は英霊として神として祀られているのだから、天皇より偉い」という考えになってしまいます。天皇はまだお祀りされていません。英霊は死んで神に祀られているのです。だから「英霊のほうが偉い」これは間違った考え方です。日本神道の極意は、生きるも神、死ぬのも神なのです。神国日本ですから、神でないものは一つもありません。

 天皇は神であり、我々も神なのです。そこに君臣一体の原理が出てくるのです。また、それが生命尊重につながるのです。「天皇だけが偉くて、国民は偉くない」というようなケチな思想ではありません。

 天皇も神であり、国民も神なのです。その神々が生活するから「神国」というのです。その自覚があればこの問題は解決します。まして、国のために戦って死んだ軍人、A級戦犯と称する人々も立派な神に違いありません。

 お祀りするのが当たり前です。すでにお亡くなりになられたのです。神としての役割を果たされたのです。松平宮司は立派な人でそのように考えて、A級戦犯を祀ったのだと思います。松平宮司は誰にも相談せずに、ある日突然に「お祀りしました」と言ったのです。

 「それはないだろう、戦犯を祀ったらまずいよ。そんなことをしたら天皇陛下は靖国神社に参拝に行けなくなってしまった。戦犯にお参りに行くのか?」そのような気持ちになってしまったのです。それは間違っています。

 松平宮司は、誰に相談しても「お祀りしないほうがよい」と言うので、全く独断でA級戦犯を合祀したのです。それ以降、A級戦犯の12人は靖国神社に祀られているのです。我々から見たら同じことです。A級戦犯もB級戦犯もありません。全ての日本人が国のために戦った神様です。お仲間です。「死んだ者は神様としてお祀りして、生きた者は生神様として頑張る」という思想でよいのです。

 こんなことでグチャグチャ文句をつけて遺族会が反対したり、首相が参拝しないとか、私的に参拝しているとか、わけのわからないことを言うものではありません! 

靖国神社にお祀りされている英霊は神です。死せる神です。貴方は生きる神です。共に神なのです。死んでも神、生きても神、これが日本神道の極意です。

 天皇が靖国神社に参拝しないなど、とんでもありません。天皇こそ靖国神社参拝しなければいけません。松平宮司は、そこに天皇批判があったのです。「逆らってやるぞ!」ということです。それはそうです。天皇は人間宣言してしまったのです。

 これを三島由紀夫も指摘しています。「天皇が人間宣言をしたとはどのようなことか? 350万人の死せる将兵たちは、天皇のために戦ったのだ。天皇を神と信じて、戦ったのだ。戦争が終わったら天皇が「これからは人間として生きる」など、そんなことが許されるのか!」こんなことは通用しません。これが三島由紀夫の天皇批判の原点です。

 「そんなことは納得できない。英霊に対して申し訳ないと思わないのか? どんな山奥に籠っても、一人になっても、「私は神である」と言い続けるべきだった」ということが、三島由紀夫著の『英霊の聲』に書かれています。

 よく見ると天皇陛下の人間宣言とは、「私は現人神としてきたけれども、これからは現人神ではない人間としての面を出していきますよ」という意味なのです。現人神を否定したわけではありません。

 「私は神の子孫であることを否定します。私は人間です」と言ったわけではありません。現人神だけできたから、それに人間としての面も加えて人間宣言をされたのです。「現人神と言っても、人間としての面も持つのだから、この両方の面を出していきます」と言われたのですから、現人神を否定されたわけではありません。そのように考えるとよくわかるのです。

 一般的に見ると「天皇はなぜ人間宣言をしたのか? 神と思ったからこそ、350万人の将兵が死んだのだ。それを自分だけ「私は人間です」と言っているのではないよ!」と思ってしまいます。

 松平宮司もそのようなところに批判があったのだと思います。それは逆に天皇の大御心を知らなかったということになるのです。もっと大きな心でみると、「私は神ではあるけれども、人間です」と言われているのだから、当然のことを言われているのです。

 「神とは人間と違う」ということです。「万世一系の天皇は人間とは違い現人神です」と言ってきたけれども、人間としての面も持つから天皇は、象徴天皇を受け入れられたのです。内面では「私は神である」と昭和天皇は思われていたと思います。全く問題ありません。

 大事なことは、「死して神、生きて神」という思想です。日本人は全て神である。もっと言うと悪人ですら神なのです。「荒ぶる神」と言うのです。悪いことをする奴がいても、それすらも神なのです。神の現れたものなのです。

 このように言うと麻原彰晃は悪人ですが、荒ぶる神なのです。ただし、「日本人ならば」です。朝鮮人ならば別です。

 日本には古来よりあらぶった神もいたのです。崇徳天皇は、祟りをなすのですから荒ぶる神です。それもお祀りしているのです。明治天皇は神社を造って、崇徳天皇をお祀りしたのです。神社を造って、お祀りしないと、お鎮まりされないのです。

 荒ぶる神には、「お鎮まり」と言うのです。「もうわかりました。どうか鎮まってください。台風、地震が来ないように鎮まってください」と神様をなだめるのが人間の役割です。人間よりも神様のほうが、力は強いのです。

 だから「神様、お鎮まりください」というように、人間が神様にお願いする関係です。先の大戦も日本人は荒ぶる戦いをやってしまったのです。それも治まったのです。荒ぶるものは必ず治まるのです。治まれば平和になるのです。

 平和になるとまたそこに、オウム真理教のように邪悪な連中が出てくるのです。基本的には全てのものが神だということです。生きる者も、死せる者も、動物も、山も、木も、川も、全て神です。八百万神の思想です。みんな神が現れたものなのです。

 神という立場で見ると、良いも悪いもありません。悪人もなければ善人もありません。 靖国神社に行ったら「お可哀想に。静かに眠ってください」と言ってはいけないのです。そんなことを考えている人もいるでしょう。そうではありません。英霊は命を懸けて戦ったのです。命を懸けて国を守る大暴れをしたのです。普通の人生ではありません。

 「英霊の神々は暴れまくってこの日本国のために神となられたのです。有難うございます。お鎮まりください。お鎮まり~」ということなのです。これが靖国神社に対する参拝の仕方です。

 

お読みいただきありがとうございます。
よろしかったらクリックしてください。

応援よろしくお願いします!

 

    ↓↓↓


人気ブログランキングへ

 

『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓ 

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137