※左ー安倍晋太郎の親と言われている、安倍寛と本堂静子。全然似ていない。晋太郎は下がり眉、安倍寛と全然似ていない)
中ー安倍晋太郎(1924年(大正13年)4月29日 - 1991年(平成3年)5月15
右ー李 玖(り きゅう、1931年12月29日 - 2005年7月16日)は、朝鮮王子・李王垠の第2
日本は終戦したときに、国が滅茶苦茶になってしまうところ天皇がいらっしゃったのです。それを調子に乗って朝鮮人どもが「敗戦したな」と思って日本人を虐殺したのです。朝鮮半島では、20万人の日本人が殺され、日本では何千人という日本人が殺されたのです。終戦後、日本人は武器がないのです。
警察官も拳銃がありません。朝鮮人どもは三八式歩兵銃を持ち、日本刀を持ち、機関銃をもって威張っていたのです。日本人をそのような無抵抗な状態にしたのもGHQです。不定な鮮人が暴れた場合はNPが来たのです。
「朝鮮人が暴れています」と言うと、日本の警察は手が出せません。だからNPを呼んだのです。NPがジープに乗ってやってきて、事件を治めたのです。日本人は丸腰ですから、何もできません。ただ、逃げ回るだけです。
その結果、新宿は朝鮮人に盗られ、新橋・銀座の一等地は朝鮮人が盗ってしまったのです。地方の一等地もそうです。駅前は朝鮮人が武力をもって盗ってしまったのです。新宿には有名な尾津組というヤクザがいて、機関銃の応戦です。
朝鮮人がトラックに乗って「どけ!」とやってくるのです。すると日本人は対抗することができないから、尾津組というヤクザが防波堤を築いて朝鮮人と戦ったのです。警察署長は「しっかりやってくれよ、頼むよ。俺たちは何もできないのだよ。組長頼むよ。その代わり刑期は軽くするからよ。思いっきりやってくれ!」と言ったのです。組長は「よし、俺達にまかせておけ」ということでやったのです。そこでヤクザと警察の助け合いです。
山口組も同じ意識構造です。「警察なんか、俺たちが助けてやったのだろう。俺たちを尊敬しろ」という気持ちがあるのです。山口組の親分は絶対に捕まえません。そんなことをやったら大変なことです。警察を丸ごと焼け野原にしてしまいます。
戦後は、朝鮮人が威張って暴れまくった混乱した時期です。暴れまくった朝鮮人どもは何しろ天皇が憎いのです。「この辺で天皇を終わりにしたい」ということです。飛鳥昭雄がそのように言っていたのですから、モルモン教もそのように考えているのです。
それと同時にわかってきたことは、この流れは統一教会が仕組んだことです。「天皇を亡き者にしたい」これは統一教会が一番考えていることです。話を聞くと李王家があり、李王家は皇族です。その李王家の血を引くもので、新しい朝鮮国ではなく日本国を創ろうとしている働きがあるのです。天皇家を終わらせて、李王家の血を引く者を日本国の王にしようとしているのです。その李王家の血を引く者が、安倍晋三(李晋三)だと言われているのです。
安倍さんのお父さんは、安倍晋太郎です。安倍晋太郎のお父さんは安倍寛(1894年―1940年)といいますが、全然似ていません。血のつながりがあるのかわかりません。安倍寛は、晋太郎が生まれて80日後に離婚しています。離婚後は、生涯独身です。普通、自分の子供ができてから、80日後に離婚するなど考えられません。晋太郎がどこから出てきたのかわからないのです。
安倍寛の結婚相手は戊辰戦争から従軍したで陸軍のエリート陸軍大将を務めた「大島義昌」の孫である本堂静子という女性だった。
安倍寛は、本堂静子と結婚して、安倍晋太郎が生まれて80日後に離婚して独身です。実はこの時期には静子の父である本堂恒二郎はなくなっており、安倍晋太郎は本堂静子の祖父の大島義昌の養子に迎えた可能性があります。安倍寛は生涯独身でしたから、いつ晋太郎が安倍姓になったのかはわかりません。
安倍寛が死んだ後に、安倍晋太郎になったのです。それまでの姓は、堂本静子の祖父の姓のはずです。だから安倍晋太郎は「俺は朝鮮人だ」と言っていたのです。自分で自慢しているのではなく嘆いているのです。「どうも俺は朝鮮人らしい」と悩んでいたのです。それが李王家の血を引くらしいという話なのです。
安倍晋三は、李 垠殿下から三代目と言う話らしいのです。だから次男でも「晋三」というのです。李 垠殿下と方子様の子供は李晋といいます。李 晋 1921年8月18日生まれ、大韓帝国最後の皇太子で李垠の第一子。母は日本の皇族・方子女王。1922年5月11日に謀殺されたとされています。安倍晋太郎 1924年4月29日生まれです。
皇室を終わりにして、同時に李王家の血筋のものを立てて、日本国に朝鮮王国を造るというのが統一教会の流れです。日本国を解体して李国の首都は大阪。大阪都構想はその流れです。統一教会が頑固として譲らないのは、「朝鮮人が世界を制覇する」ということです。そのように考えているのですから、この考えと李王家の復活は合致しているのです。
安倍晋三記念小学校の応接室は「玉座の間」があったのです。実は統一教会の信者は安倍が李王朝の後継者と信じているらしいのです。
「清和会=征倭会、安倍晋三=李晋三、清和会事務所=旧李王邸宅、安倍晋三記念小学校の応接室=玉座の間、昭恵=昭恵さま~」これが統一教会の認識です。
だから安倍さんも、ここぞというときに煮え切らないのです。憲法第9条はどう考えても破棄です。憲法第9条をもったままで自衛隊を明記しても、そんなものは使いものにはなりません。
憲法第9条で「交戦権がない」と言っているのですから、それは止めるべきです。「交戦権がない」と言っておいて「自衛隊を明記する」とは、どのようなことでしょうか? 自衛隊は交戦権がありません。そのように憲法に書いてあるのです。二項を抜かなければいけません。
「他国から攻められた場合、自衛隊が戦えばいいじゃない」と創価学会員はいいます。二項で「交戦権がない」と言っているのですから、自衛隊が戦えば憲法の中で争いが起こります。
二項で「交戦権がない」と言っているのですから、それをそのままにしておいて、「自衛隊は他国から攻められたら戦うのだ」などと、そんな馬鹿な理屈はありません。「自衛隊の存在を明記する」というだけで、交戦権のない自衛隊ができるのです。今と同じです。公明党はそんな屁理屈を言っています。
創価学会も統一教会も日本に交戦権がない状態にしておいて、天皇家を崩壊させて、日本の中心になるものをぶっ壊しているのです。それがプー小室の問題、秋篠宮様の問題、雅子様の問題です。日本の権威を貶めているのです。「皇太子が天皇になったときには、それは終わりだ」と朝鮮人が言っているのです。何が終わりなのでしょう。「天皇は終わりになる」と思いたいのです。そうはなりません。
そこで神罰が働くのです。神の怒りがこみあげてきて神罰が下ります。宮内庁の役人、皇室関係者もよく聞きなさい。こんな朝鮮人の陰謀に屈してはいけません。もっとしっかりとせんかい! 国民の良家の代表が天皇ではありません。
歴史と伝統を保っているのは天皇です。ずっと一貫して流れているものは、天皇です。そこから文化が出てきているのです。天皇をなくしてしまうと、その歴史の糸が全てなくなってしまうのですから、後は烏合の衆の馬鹿な人間が集まる国家にしたいのです。
そこに朝鮮系の王統を立てるなど許されないのです。本来ならば、日本の天皇を乗っ取ろうとする者は死刑にしなければいけません。
■安倍寛
安倍 寛(あべ かん、1894年(明治27年)4月29日 - 1946年(昭和21年)1月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算2期。第20、21期)。日本進歩党に所属した。
東京に移ったのちに本堂静子と結婚し長男晋太郎を儲けるが、直後に離婚し以降は独身で暮らした。その後、「金権腐敗打破」を叫んで1928年(昭和3年)の総選挙に立憲政友会公認で立候補するも落選した。
戦後、日本進歩党に加入し1946年(昭和21年)4月の総選挙に向けて準備していたが、直前に心臓麻痺で急死した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%AF%9B
■李 晋
(り しん、1921年8月18日 - 1922年5月11日[1])は、李垠の第一子。母は日本の皇族・方子女王。敬称は「殿下」。
■安倍 晋太郎(あべ しんたろう、1924年(大正13年)4月29日 - 1991年(平成3年)5月15日)は、日本の政治家。
(※安倍晋太郎の誕生日は、お父さんの安倍寛と同じ誕生日です。こんなことがあり得るのでしょうか?)
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