中杉先生は排他(差別)主義者ではないのですか? | 中杉 弘の徒然日記

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4月19日の僕のブログで創価学会・統一教会は、日本人ではない!のコメント欄に「中杉先生は排他(差別)主義者ではないのですか?」という質問がありました。答えは、そうです。普通は「そうではありません」と弁解しようとするので、おかしなことになってしまうのです。

 そうです。何か悪いのでしょうか? 社会はみんな差別で生きています。貴方がたも差別しているでしょう。「あれは東大何期生だ」というもの差別(区別)です。自分たちが散々やっていることがわからないのです。

 国もそれと同じです。国は上級職と一般職に別れています。差別しないと物事は上手くいきません。上級職で最初から入ってくるのです。普通の会社でも幹部候補生は幹部職に入れなければいけません。すると「下からやれ」「切符切りからやれ」と言われます。

 それをやったらダメなのです。大会社でも最初から幹部職と一般職に分けています。それをやらないと民衆は納得しません。下から上がっていくと、同機で入社した連中は何と思うでしょう。「なんであいつだけ偉くなっているのだ?」と納得しません。だから、最初から区別して「お前は上級職採用」と決めるのです。そのようにやれば治まるのです。

 幹部職と一般職は給料も待遇も違います。そのようにやっていけば、会社は治められるのです。そのような考えがわからないと、僕の考えは理解できません。理解できない人は、ハッキリ言って馬鹿なのです。

天皇も下からいったのでしょうか? 生まれながらにして天皇です。そのような智慧がわからないのです。上から下まで身分が同じでグチャグチャやっていたら民主主義です。そんなことでは国はまとまりません。

「国」というものを考えた場合、必ず中心者がいて家来がいてド平民がいるのです。それは選民主義です。それでよいのです。国を維持していくためには、そうでなければならないから言っているのです。

 「国」ということから考えたら、国には上下身分があり、なければ国は治まりません。「国主が邪魔だ。民衆はみんな同じではないか」と考えたら、国主という考え方は出てきません。

 「みんな同じ人間だから選挙で代表者を決めればいいじゃないか」というのは大統領制です。大統領制には身分はありません。それは必ず崩壊します。そのようなことを言っているのです。

僕は選民思想です。それを誤魔化そうとして「選民思想ではない」と言う必要はありません。正々堂々と選民思想です。選民思想がなければ国は治まりません。

 例えば「私は天皇である。従ってこれはやってはいけない、これはやっていいこと」と言ったら、選民思想です。国民と同じだったら選民思想はありません。選民思想がなくなるから、眞子様問題が起きてくるのです。規律がないからこのような問題が起きてくるのです。

 ネットでは皇太子様が「皇位にもつかないでひっそりと3人で幸せに送りたい」とデマが書いてあるのです。そんなことはウソです。皇太子様はそんなことを言っていません。天皇陛下が「愛子様を天皇にしろと言った」などもウソです。皇太子様が天皇にまだなっていないのに、そんなことは絶対に言っていません。天皇になれば皇太子様はきちっとします。天皇の自覚がそうなるのです。

 国という面を考えたら、選民思想でなければ、治まらない面があります。当然のことです。天皇は選民思想です。我々と違います。その二つを認めるだけで選民思想です。「神聖にして侵すべからず」と言われている天皇と我らは分かれているのです。天皇に選ばれたら選民思想です。

 我々の中にも階級があります。昔は公侯伯子男がありました。平民とは違います。これも選民思想です。その代わり責任を持っていたのです。「武士たるものは、こんなことはやらん。無礼者!」という自覚があったのです。それは選民思想の良いところです。

 これがあんまり行き過ぎてしまうと、「お前は足軽だろう」となってしまいます。それはダメです。そこまでいってはダメなのです。選民思想も行き過ぎてはダメなのです。上品・中品・下品くらいで止めておけばよいのです。人間の資質について、上品・中品・下品と論じることは、当たり前です。

 そうしないと土佐藩のようになってしまいます。土佐藩は山之内家の家臣団が治めて、長曾我部元親の侍は郷士になったのです。郷士とは武士ですが、「百姓をやれ」ということです。自分で畑を耕すために土地をもらい、身分は武士です。

 その代わりほら貝がなったら、お城にかけつけるのです。郷士は下士の足軽です。足軽としてお城に集まるのです。田んぼの真ん中には、杭を打って、それに鎧兜をつけて常時、お城にかけつけていけるようにしたのです。それでも武士なのです。

 何が違うのかというと、山之内家の占領軍に対して郷士は履物をはいてはいけなかったのです。凄いでしょう。雨の中で上士が傘をさして向こうから歩いてきたら、パッとはいつくばって土下座をしなければいけません。そこまでやったらいきすぎです。そのようなことはダメです。

 その上士と下士の間にいたのが、白札郷士です。これが武市半平太です。上の意見を聞いて下に伝えて、下の意見を上に伝えたのです。だから、武市半平太は権力がついていたのです。坂本龍馬は下士です。下士はお城に行きません。お城に行くのを上士といいます。

徳川幕府もそうです。家来が8万騎いても、お城に行くのは旗本です。御家人はお城には行きません。何もしないのですから、仕事がありません。年間に米俵四俵をもらい、一切のやりくりをしなければいけません。百姓をやるのはよいのですが、商売をしてはいけません。だから暇で暇で仕方ありません。長屋は与えられていますが、遊び暮らせるほどの財産はありません。長屋に入って1年間で米が四俵もらえるのです。それで家族を養っていたのです。

御家人の生まれが勝海舟です。徳川の家来でも旗本と御家人は全然違います。御家人の身分に生まれたら、もう終わりです。一生涯飼い殺しです。勝海舟のお父さんの勝小吉は道具屋をやっていたのです。道具屋が商売で、喧嘩仲裁業もやっていたのです。半分、ヤクザ者です。そのような中に勝海舟が生まれたのです。

お金がないから寒くなると壁をブチ破ってみんな燃したのです。天井も穴が開いてきて、燃すものがなくなってしまうのです。冬でも着物1枚で過ごしたのです。米がなくなったら赤土を水で溶いて団子をつくるのです。本当の空腹のときに食べるのはよいのですが、それぐらい極貧だったのです。

鬼平は旗本です。その下で十手をもっているのは御家人です。奉行は旗本です。給料はケタ違いです。鬼平がもらった金額は1500石くらいです。一月に百俵食べても余ります。お米はそのような計算になっています。

1年一俵で一人分です。4人家族で四俵です。残りで醤油や味噌を買うのです。四人扶持だけもらっても、何もできません。家も治せないし、何もできません。

着流しに着て、黒い羽織を着て刀を差した同心は、御家人です。奉行は旗本です。それがもうちょっと偉くなると与力といいます。与力は旗本です。与力以下の同心は足軽ですが身分は武士です。同心が町方を使います。それが岡っ引きです。岡っ引きがまた岡っ引きを使います。それが下っ引きです。

いつの時代も「国」というものを考えた場合、必ず中心者がいて家来がいてド平民がいるのです。それは選民主義です。それでよいのです。

 

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