創価学会・統一教会は、日本人ではない! | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 一般世間では「人種と宗教は関係ない」と思っています。これは間違いです。昔ハザール人がハザール帝国を造っていましたが、王様が「ユダヤ教に改宗する」と言ったのです。ハザール帝国はキリスト教徒とイスラム教徒に攻撃されていました。「彼らより、もっと古い宗教にすれば攻めてこられないのではないか?」ということを勝手に考えたのです。

 それで、ハザール帝国は国を挙げてユダヤ教に改宗したのです。するとどうなったのかというと、ユダヤ教徒ハザール人が、「俺たちはユダヤ人だ」と言ってしまったのです。これが宗教と民族を考える一つの鍵です。

 日本には538年に仏教が入り、仏教が広まりました。聖武天皇は自ら「仏の奴(やっこ)である」と言ったのです。仏教を信じると、仏教の教祖はお釈迦様です。釈迦牟尼仏が崇拝の対象になってしまうのです。

 釈迦が生まれた国は天竺国です。天竺国とは、今のインドではなく、ネパールのルンビニにいた民族です。仏教徒にとっては天竺が本国になってしまうのです。「仏教徒日本人」という言い方をすればよいのですが、それをしないで「仏教徒である」とうことが先にくるのです。

 仏教徒に「どこに住んでいますか?」と聞くと「日本に住んでいますが、母国は天竺です」といいます。このような感覚になってしまうのです。538年に仏像が入ってから、日本に仏教が定着して、「母国は天竺である」と頭に入ってしまった人がたくさん増えてきたのです。

 従来の物部氏に代表される神道派の人々は、「日本国の日本人」です。これでは戦争になってしまいます。宗教を信じると母国が違ってしまうのです。「私は天竺国が母国だ」という住民が大和に住んでいるというだけです。それは従来からの大和民族と争いになるのに決まっています。

 敵国に新しい宗教を計画的に導入すれば、その国は滅茶苦茶になってしまいます。このような見方をしている人はほとんどいないのではないでしょうか? 滅びの始まりが538年の仏教導入です。

 仏教徒などロクなことをやっていません。真言密教はインチキ宗教です。禅宗もインチキです。念仏もインチキです。みんなインチキですから、ロクなことをやっていません。天皇もご丁寧に真言密教に深く傾倒し、或は浄土真宗を深く信仰されて、法然は天皇から大師号をもらったのです。大師とは、「国の師」という意味です。どういうことなのでしょうか?

 浄土真宗は「この世は穢土といい、汚れた土地だ」というのです。この世で幸せは得られません。だから完璧な世界が浄土にはあります。その浄土に死んだら逝くのです。それが阿弥陀信仰です。阿弥陀仏を信じた人は、この世が終わるときに、浄土に生まれると思っているのです。

 念仏宗では死ぬことを往生(おうじょう)といいます。往生(おうじょう)とは、「西方極楽浄土へ逝く」という意味です。本当の仏教は成仏(じょうぶつ)というのですが、仏に成るという考え方と、浄土に生まれるという考え方は全然違います。

本来の仏教は成仏しかありません。凡夫の自分を仏として切り開いていくことが、「仏に成る」ということです。それ以外に仏教はありません。

 往生する仏教はあるはずありません。だから日蓮大聖人様は、「念仏無間・善天魔・真言亡国・律国賊」と言われたのです。天皇は神であるから仏教を信じた天皇は、本来ありえません。しかし、現実にはたくさんありました。天皇を譲位して上皇になると、仏門に入って法皇になったのです。仏門に入ると頭を剃って、法名をつけて法皇と言ったのです。本来ならば天皇は「神」なのですからあり得ません。

 もう法皇になると日本人ではありません。身も心も仏に捧げてしまったのだから、日本人の要素は何もありません。服装もインドの服装の真似をして袈裟を着て、インドの仏教の真似をして頭を剃り、インド人になったのだということです。これは日本人ではありません。

 明解なことです。今まで日本人でキリストを信じた天皇はいません。それは幸いです。仏教という邪教を信じ込んだ天皇は大勢いたのです。そんなものを天皇が信じ込んでいると、国に神の力は充満してきません。

 民衆にも仏の力がありますが、それは充満してきません。邪教の力に充満されて、天皇が本来持っている神通力は発揮することはできません。天皇が神通力を発揮するためには、本当に「自分は神である」と思い、「神から生まれた自分は神である」と心底から思わなければいけません。神から生まれたこの国の国民もまた、神国の民であるから「私は神である」と思わなければいけません。

 天皇に仏教という横のものを入れられたら国がおかしくなってしまいます。「私は仏の奴(奴隷)だ」などと思ったら、天皇の神通力はでません。過去はそうだったのです。

 近代の天皇を見てもそうなのです。憲法が最初から間違っているのです。日本国憲法第20条第1項「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と書かれていますが、信仰は自由ではありません。おかしいのです。だから「私は何を信じてもよいのだ」ということです。

 信じるとは何を信じるのでしょう。世の中には詐欺師もいれば、悪人もいれば、結婚詐欺師もいれば、振込詐欺師もいます。それを信じるならば、文句も言えません。「結婚詐欺師にだまされても信じたのですから、それでいいではないですか」そうなってしまいます。

 振込詐欺も同じことです。「私は信じたのだからお金を振り込んだのだ」そのように言ってしまうと、詐欺はなくなってしまいます。世の中には悪い人間もいるし、悪い宗教もあります。悪い宗教は淫祠邪教です。

 江戸時代も淫祠邪教はありました。淫祠邪教とは、全ての教えをSEXに結びつけるのです。インドの仏像を見てください。男女が混じりあっているレリーフがあります。足をあげたり、やっている最中のレリーフです。それがインドにはあちこちにあります。男根が神になり、土人が拝んでいます。これらは淫祠邪教です。

 人間は仲良くするのだから、交わらなければいけない。どうやって交わるのかというと、SEXで交わるのです。隣のオジさんもオバサンも、変な像の前で混じりあうのです。誰とでも混じりあうのですから乱交です。

 「エクスタシーを得るのが成仏だ」というのです。こんな教えが現実的にあるのです。立川真言流といいます。これは邪教です。これを信ずればよいのでしょうか? それは違います。

 仏教にも邪教があります。反対に邪教があるからと言って、全てが邪教ではありません。正しい教えもあります。「仏教として正しい教えなのか?」ということを知らないから、「信仰の自由だ」と馬鹿なことを言うのです。

 統一教会を信じるのも、創価学会を信じるのも、幸福の科学を信じるのも、信仰の自由なのでしょうか? そんなものを信じたら人間が滅茶苦茶になるのです。それがわかるでしょう。だから「邪教だ」と決めつけなければいけません。

 それを文部科学省の連中は「宗教は自由です。我々は宗教の中身について触れられないのです」と言います。中身に触れられないということがあるのでしょうか? 「何を信じるのか?」ということは、非常に大事なことであり、宗教には善悪があるのです。

 これをわきまえないと人間が滅茶苦茶になってしまいます。「憲法で保障しているから、宗教は何を信じてもよいのだ。だから私の宗教に文句をつける筋合いはない!」と言うのです。それは違います。大いに間違っています。

 考えればわかることです。詐欺師を信じれば不幸になるのです。何を信じてもよいということはありません。そのように考えてみると、宗教の正邪をピシッと出さなければいけません。

 では、創価学会を信じた人は一体、どのようになってしまうのでしょうか? 創価学会を信じた人は日本人ではなくなってしまいます。これを知らなかったでしょう。創価学会会員は日本人ではなくなってしまうのです。

 天竺に生まれたお釈迦様を信じると、世界人になってしまうので国籍はありません。「日本人など関係ないよ。俺たちは世界人だ」という考えになるのです。だから創価学会員は「インターナショナル」と言うのです。

 統一教会を信じたらどうなるのでしょうか? 簡単なことです。「神の国は朝鮮である。日本は神の国の朝鮮から、あらゆるものを奪った悪魔の国である」このように教えるのです。

 統一教会の人間は「私たちは悪い人間です。ごめんなさいお父様!」と懺悔してムチを自分で打っているのです。これは悪い宗教です。統一教会を信じた人間は朝鮮人になってしまうのです。「統一教会の信者は朝鮮人だ!」これを教えていかなければいけません。

 創価学会も同じです。インターナショナルで、民族差別はいけない。創価学会は朝鮮奴隷になる朝鮮学会です。統一教会も朝鮮人です。この宗教を信じた人間は日本人ではなくなってしまうのです。

 おかしな話があります。幸福の科学の大川隆法の別れた奥さんは今、何をやっているのか知っていますか? 奥さんはキリスト教に入信したのです。大川隆法の別れた奥さんはキリスト教徒になったのです。

 宗教を信じると外国人になってしまうのです。創価学会員は「日本人だ」などと思っていません。「創価学会員」と思っているのです。創価学会員の意識は「創価学会」という国にいる住民だと思っているのです。

 統一教会に入った人間は「統一教会のムーミィである。私は日本人ではない」と思っているのに違いありません。そのような意識を持たせる宗教を政治家は野放しにしてはいけないのです。

 それにもかかわらず、安倍晋三のお爺さんの岸信介が邪教統一教会を日本に持ち込んで、渋谷区松濤町の自宅を本部にしたのです。安倍さんが統一教会でないわけがありません。「関係ない」というわけがありません。大いに関係があります。

 名前が表に出ているということではありません。竹田恒泰さんもそうです。大いに関係があります。統一教会のダミー団体「世界戦略総合研究所」で講演をやっています。統一教会の講演会に講師として出ています。これは証明されています。(安倍さんの写真もあります)(http://poligion.wpblog.jp/sekaisoken#i

 だから、日本人的な保守的なことを言いますが、竹田恒泰さんの頭の中は日本人ではありません。だから力がでないのです。天皇陛下に対する心構えもよくありません。「私は天皇にはなりたくない」とは言っていますが、結婚式で奥様には十二単を着せて、自分は衣冠束帯で太刀を帯びています。自分では王朝絵巻のような結婚式を挙げています。

 「自分についてくることが日本を治し、天皇陛下をお守りすることになるのだ」と信じ込んでいるから講演会をやっています。講演会に来ているフアンを「ご家来衆」と言っています。このような考え方です。

 統一教会の信者はもう日本人ではありません。朝鮮人なのです。創価学会もそうです。これをハッキリさせておくことが大事なのです。

 

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