西部邁さんは日曜日の朝、多摩川に入水して自殺しました。この寒いのに明け方6時頃に多摩川に飛び込んだらしいのです。そんな死に方は寒くて嫌ですね。僕は絶対に御免蒙ります。
西部邁のことはみんな知っていると思いますが、学生時代は全共闘の委員長です。10万人くらいいた全学連の連中は、みんな西部邁さんの指示を仰いだのです。一種の英雄です。革命を祭りあげたのです。
ところが太田竜もそうですが、2人もおだて上げるのは上手いのです。子分をつくって、子分が2階へ上がったとたんにはしごを降ろすのです。西部邁のおかげで、どれだけ左翼運動にのめった人達がいたのでしょう。一生を棒に振った連中も大勢いるのです。
今の革マルや中核は、その流れです。その連中は70歳過ぎてよい年になっているのに、まだ住み込みで革命家です。これは本当です。70歳で腕立て伏せをやって、武闘に備えているのです。
西部邁はそんなキチガイを大勢つくって、それが未だに尾を引いているのです。如何に思想的に影響力があったのかわかります。
みんながかなり左に行って2階へ上がった段階で、西部邁はサッとはしごを降ろして「僕は保守だ」と言いだしたのです。一体これは何なのでしょう。おだて上げられて、祭り上げられて、2階に登った連中は大迷惑です。一生を棒に振ったのです。左翼運動をやった連中は就職できません。結局、赤の新聞社などに行ったわけです。
「西部邁の正体は一体何か?」ということを考えてみると、西部邁は「ええかっこしい」です。あのものの言い方、しゃべり方、評論家としての振る舞い、よい格好がついているのです。言うことがまたすごいのです。「保守主義」ということを言います。だから左翼を離れたのです。
保守と革新とは違います。西部邁は「自分は保守なのだ」と言いだしたのです。それをわからせるために英国の例を出すのです。「英国の保守主義とは何か?」というのです。「伝統的な保守主義とはこうだ」と、得々と説明するのです。
「先祖がもっていたことも保守です。今生きている我々も保守なのだ。その連続性をもって保守主義というのだ」と言うのです。ところが、「一番大事な天皇は敬うのか?」ということについては聞いたことがありません。西部邁は天皇については一言も言いません。「日本の歴史とは何か?」ということについても、ほとんど触れません。西部邁は西洋の話をもってくるのです。「西洋はこうだ。本当の保守主義とはこうだ」とイギリスの例をもってきて得々と述べますが、「日本の保守主義」については言いません。大田龍は少し言いだしましたが偽物臭いのです。
そこで、「日本人とは何か?」というテーマを出せばすぐにわかります。「日本人とは何か?」というと漠然として難しいこともありますが、単純明快に考えればよいのです。
「日本人とは何ですか?」というと、この3つです。1.天皇をご尊敬申し上げます。2.日本の2800年の歴史を誇りに思います。3.1.2を大事にして自分も一生懸命国のために頑張ります。「日本の保守主義」というならば、この3つがなければいけません。
イギリスの保守主義はイギリスの保守主義です。イギリスの真似をしても仕方ありません。日本は独自の保守があります。この3つを外すことはできません。この3つがない奴は、如何なることを言おうとも「日本人ではない」と断定しています。
「日本人とは何ですか?」というと、この3つです。1.天皇をご尊敬申し上げます。2.日本の2800年の歴史を誇りに思います。3.1.2を大事にして自分も一生懸命国のために頑張ります。この3つがあるならば、例え外国から来た人間でも日本人と言えるのです。
天皇を認めないで、「馬鹿憲法を守れ」と言っている共産党や立憲民主党など何を言っているのでしょう。頭が狂っているのでしょうか? このような奴は保守でもなければ何でもありません。みんな帰化人です。
僕は「帰化人でもいいのだよ」と言っているのです。帰化人でもこの3つの精神をもっていれば日本人です。日本籍日本人です。共産党も立憲民主党もこの3つの精神をもっていません。
この3つの精神で「日本人か、日本人ではないのか」ということを判断するのです。すると、この人間は日本人か、朝鮮人か、中国人かわかるのです。
西部邁は西洋の歴史にやたらと詳しくて、日本の歴史についてはあまり言いません。もちろん知っているのだろうけれども言いません。おかしいでしょう。西部邁は念仏の寺の生まれです。父は夕張郡長沼町の浄土真宗派の末寺の末男の農協職員です。
念仏の寺は嫌世思想(けんせいしそう)を持つのです。念仏は「この世は穢土で地獄だ」と言っているのです。「この世に幸せはありません。だから、死んだ後に阿弥陀様の導きによって極楽浄土に生を受けるのだ」という思想です。
だから念仏は「往生(おうじょう)する」というのです。「極楽浄土に往生する」これが念仏の理想の形です。その念仏のお寺に生まれた西部邁は、必ずこの嫌世思想が身についているのに違いありません。だから自殺したのです。この世に絶望してしまったのです。
変な奴らばかりで正しいことが通らない、だから自殺したのです。東條英機もそうですが、「この世は穢土である」という悪い思想を持ったのです。「この世は汚れて汚いのだ。だから早く死ぬのだ」この念仏思想を抱いて、戦国時代や江戸時代でも村ごと死んだ例もあります。
村の年貢の取り立てが厳しくて「みんなで死ぬべ。この世はいいことはないから、早く死んで極楽浄土へ逝くべ」と、海に向かって歩いていくのです。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら海に入っていくのです。これを入水念仏といいます。
そのまま溺れて死んでしまうのです。それで「極楽浄土へ逝くべ」という思想です。この思想を持つと戦争は強いのです。「この世は穢土で汚れているのですから、暴れまくってやる。死んだら阿弥陀様が救ってくれるのだから何も怖いことはない。やってしまうべ!」というので、念仏宗を織田信長もなかなか退治できなかったのです。
加賀一国などは念仏宗に取られてしまったのです。念仏が国を取ってしまうのです。念仏宗は死ぬことを恐れません。
これは怖い思想です。西部邁もその考え方があったのに違いありません。入水念仏は念仏宗がやってきたことです。太宰治もそうです。あれも念仏の家です。
このように宗教(思想)というものは、人間に大きく影響を与えているのです。僕が主張していることから見ると、そのようなことがみんなわかってしまうのです。これが西部邁さんの正体です。何もこの寒いのに水に入ることはありません。これも嫌世思想のせいです。「早く極楽浄土に逝くべ、俺はもうこの国は嫌なのだよ。何を言ってもわからないし、筋が通らない」と思っていたのです。
筋が通らなかったら、筋が通るように戦いをやればよいのです。僕は念仏の信者ではないから、そのような嫌世思想は持ちません。僕は「この世を少しでもよくしていかなければいけない!」と思っています。念仏の宗教を持っている人は注意する必要があります。
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