朝鮮人の先祖は山葡萄原人とエベンキ人 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

※左ー朝鮮の村にある天下大将軍のトーテムポール

 右ーエベンキ人のトーテムポール

 

 朝鮮の村に行くと北も南も同じですが、トーテムポールが立っています。天下大将軍・地下女将軍です。木に人形が掘ってあるのです。

 このトーテムポールはエベンキ人が持っていた習慣です。それを見て「トーテムポールとは何だろう?」と考えていくと、「ああこれはエベンキ人達がもっている風習だ」と気がついて韓国人の学者が「朝鮮人の先祖はエベンキ人だ」と言ったのです。大学の教授が言ったのです。

 「アリラン」を韓国語の意味を考えてみると全然わかりません。それがエベンキ語で考えるとアリランの意味がわかってしまうのです。「アリラン」はエベンキ語で「迎える」という意味です。そのような言葉が韓国語にはたくさんあります。韓国語でわからない言葉はエベンキ人の言葉です。「韓国語はエベンキ語ではないのか?」と言って韓国の大学の教授が韓国人から袋たたきにあってしまったのです。

 エベンキ人は肉食です。トナカイの生肉を食うのです。テントを立てて、真ん中にトイレがあります。穴を掘っただけのトイレです。そのトイレに頭を向けて放射線状に寝るのです。夜中に起きて小便をしたくなると、寝ている頭の上にトイレがあるのですから、すぐに小便できるので、便利なのです。それだから部屋中が臭いのです。

 エベンキ人の臭さはそれだけではありません。テントの中ではトナカイを殺した生肉と生皮がぶら下がっています。皮を剥ぐと腐臭がします。エベンキ人は腸の中にある細菌が好きで、腸をズルズルと引きだして、生で腸を食べてしまうのです。その匂いはものすごい悪臭ですから、普通の人は食べられません。失神するくらいの臭い匂いですから、トイレの匂いなどというものではありません。

 エベンキ人はトイレを中心にして頭を向けて寝る、そのような習俗です。農耕は一切しません。これがエベンキ人です。エベンキ人はシナ人から濊族(わいぞく)と呼ばれていたのです。「濊族(わいぞく)は世界一不潔な民族だ」と言われているのです。

 エベンキ人は生肉を食らうのです。それしか食い物はありません。これがエベンキ人です。「エベンキ人が韓国人の先祖だ」と言われていたのですが、まだ甘いのです。そんなものではありません。その前に山葡萄原人がいたのです。エベンキ人は人間ですが、山葡萄原人は人間ではありません。「人になる前の人」という意味で「原人」です。

 山葡萄原人は悪魔の洞窟門と言われるアムール川の畔に住み着いていたのです。人間は「悪魔の洞窟門には行ってはいけない」と言われていたのです。旅人が通るとあっという間にいなくなってしまうのです。悪魔の洞窟門の洞窟に引きずり込まれてしまうのです。それで人間を食ってしまうのです。人間も食って、動物でも何でも食ってしまうのです。

 悪魔の洞窟門の前を通ると人間が洞窟に引きずり込まれるので、消えたように思うのです。だから「悪魔の洞窟門」と言われたのです。普通は人間が消えても、洞窟の中に引きずり込まれて食われてしまうとは思いません。そのようにして山葡萄原人は生き延びてきたのです。

 氷河期が終わって山葡萄原人は徐々に洞窟から出てきて、平原に向かって歩き出したのです。最初にぶつかったのがエベンキ人です。エベンキ人も獰猛です。奴らを食おうと思ったら、奴らも肉食です。歯と歯をむき出しにして「ギャオーーー」とやっている間に、仲良くなりエベンキ人と山葡萄原人は混血したのです。

 山葡萄原人はエベンキ人を乗っ取り、もうエベンキ人になってしまったのです。それでエベンキ人がどんどん増えてきたのです。これが朝鮮人の秘密です。

 そして、朝鮮史で一番大事なことは、5千年前~3千年前は誰もいなかったのです。これを忘れてもらっては困ります。朝鮮半島に朝鮮人などというものはいなかったのです。誰がいたのでしょう。倭人がいたのです。日本人がいたのです。

 何故それがわかるのかというと、地層を掘ればすぐにわかるのです。5千年前の土器は朝鮮半島からは出てきません。日本はどこを掘っても縄文土器など出てきますが、朝鮮半島はどこを掘っても出てきません。

 朝鮮半島から出てくるのは縄文土器です。何を物語っているのかというと、朝鮮半島は誰も住んでいなかったのです。当時、土地はたくさんあったのです。「あこに土地があるぞ」と倭人が瓢箪(ひょうたん)をぶら下げて船に乗って出かけていったのです。そこに田んぼをつくり、畑を造って倭人が住み着いたのです。朝鮮半島は倭人の土地だったのです。朝鮮人の土地ではありません。

 これがわかると朝鮮史はみんなわかってきます。朝鮮人という民族が住んでいたように思いますが、そんなものはいません。倭人が朝鮮半島に住み着いて、一生懸命働いて田んぼを耕したのです。田んぼは、日本起源です。それまでは三内丸山遺跡からお米が出てきますが、それは“おかぼ”です

 南方は湿気が多く雨が多いのです。日本列島は湿気があまりありませんが“おかぼ”はできます。その収穫量をもっとあげるために田んぼをつくったのです。田んぼには水をはりますから、ちょうど南方系の湿気の多い土地のように栽培したのです。

 お米の改良をしたのは日本人です。その改良した技術をもって倭人が朝鮮半島に渡ったのです。そこに倭人の集落ができたのです。倭人の集落は後々まで残っているのです。(続く)

 

 

■韓国外国語大学ロシア語科のカン・トクス教授が朝鮮人のルーツの研究をしました。

それで、結論は、「エベンキ人が朝鮮人にそっくりだ」ということを言いだして、言語学的な研究を行っています。

カン・トクス教授はサハ共和国南北辺境に住んでいるエベンキ人たちが使うエベンキ(ツングース)語は数字や一家親戚を称する単語が韓国語と非常に似ていると話しました。
韓国人のルーツはエベンキ人ではないかと主張しています。

言語学的に研究して今まだに分からないと言われている朝鮮語が「アリラン」という言葉です。「アリラン」という歌がありますが、これはエベンキ人の歌なのです。近隣の少数民族であるエベンキ族は現在まで「アリラン」と「スリラン」という単語を使っています。韓国でもっとも有名な民謡である「アリラン」の歌詞の「アリラン」は「迎える」、「スリラン」は「感じて知る」という意味なのです。

 

エベンキ語のデョルは韓国語のドルで「石」
デュルはドゥルで「2(二)」
デュル-レはドゥル-レで「周り」
ムはムルで「水」
アミはアビで「父」
エニはエミで「母」
アシはアッシで「若い女性(アガシ)」
アキはアチで「おじさん(アジョシ)」
べイェはべで「輩」
~ンイは~ウイで「~の」を意味する。

 

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