朝鮮人の先祖は山葡萄原人とエベンキ人 ② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 朝鮮半島の新羅・百済は日本人が造った国です。これを言ってしまうと朝鮮人の歴史はありません。倭人が造った国です。何故、そのようなことを言えるのかというと、『三国史記』にそのように書いてあります。

 「百済の国も、新羅の国も倭人が治めた」と書いてあります。倭人が瓢箪(ひょうたん)をぶら下げて朝鮮半島に行ったから「瓢公(ここう)」と言ったのです。瓢箪のことを「朴(ぼく)」と言ったのです。だから韓国では朴という苗字が多いのです。

 新羅(紀元前356年―935年)を造ったのは、倭人だったのです。『三国史記』新羅本紀によれば、朴氏・昔氏・金氏の3姓の王系があり、そしてそれぞれに始祖説話を持っています。新羅はこの3王統により何度か王朝交代が起きており、それぞれの王統が王位を主にしめていた時代を朴氏新羅・昔氏新羅・金氏新羅と呼びます。

 朴氏の始祖説話では、林で馬の嘶くのが聞こえたので近寄ったところ、馬が消えて大きな卵がありました。卵を割ると中から幼児が出てきて育て上げたが、10歳を越える頃には人となりが優れていたことから六村の人たちは彼を王位につけたのです。卵が瓢箪(ひょうたん)ほどの大きさであったため、辰韓の語で瓠を表す「朴」を姓として名乗ったといいます。建国時に腰に瓢箪(ひょうたん)をぶら下げて日本から海を渡って来たことから瓢公(ここう)と称されるようになった倭人が、大輔という役職名の重臣になりました。また、瓠公(ここう)が、瓢箪(ひょうたん)を腰にぶら下げて海を渡ってきたことから瓠公(ここう)と朴赫居世を同定する、またはその同族とする説があります。

 昔氏の始祖説話では、倭国東北一千里のところにある多婆那国(現在の兵庫北部等の本州日本海側と比定される)の王妃が妊娠ののち7年たって大きな卵を生み、不吉であるとして箱に入れて海に流しました。やがて辰韓に流れ着き老婆の手で箱が開けられ、中から一人の男の子が出てきました。箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたので、鵲の字を略して「昔(せき)」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解(だっかい)」を名としました。

 金氏の始祖説話では、昔氏の脱解尼師今(だっかい にしきん)の治世時に、首都金城の西方の始林の地で鶏の鳴き声を聞き、夜明けになって瓢公(ここう)に調べさせたところ、金色の小箱が木の枝に引っかかっていました。その木の下で白い鶏が鳴いていました。小箱を持ち帰って開くと中から小さな男の子が現れ、容姿が優れていたので脱解尼師今(だっかい にしきん)は喜んで男の子を育てました。聡明であったので「閼智」(知恵者の意味)と名づけられ、金の小箱に入っていたので「金」を姓としました。

百済を造ったのも倭人です。百済(346年?-660年)は、通説では『三国志』に見える馬韓諸国のなかの伯済国が前身だと考えられていますが詳細は不明です。

百済の始祖仇台(クド)説では、『後漢書』『周書』『魏書』『隋書』によると「仇台(クド)」という者が、かつての帯方だった地に百済を建国した。それで「百済には仇台を祀る廟がある」と書かれています。

 百済は、扶余族中心の国でしたが、高句麗と対立していたため、倭国が強力に支援し始めてから、倭人中心の国となり、王家も倭系になったと見なしています。百済の王を代表する武寧王(ぶねいおう)も倭国の生まれであり、倭人の国だったのです。

 「寧東大将軍百済斯麻王」斯麻王のネーミングについては、海中の主嶋で生まれたので「斯麻」と名づけられたと言われています。この「主嶋」ですが、佐賀県玄海海中公園の加唐島を当てるのが、わが国では有力な説らしいです、つまり武寧王は、倭で生まれたことになります。

 母親が武寧王を身ごもったまま大和に来る途中、加唐島(かからのしま)で生まれたので、嶋王(しまおう)と呼ばれたという話が「日本書紀」に記されています。

 地上最も獰猛な野蛮人の山葡萄原人とエベンキ人の混血児が高句麗・新羅・百済を襲いだしたのです。男はみんな殺して女は犯して、財産をかっぱらったのです。それを何回もやられたのです。1回では終わりません。何回も襲ってきたのです。

 何回も皆殺しになり、略奪されるので引き上げてきた倭人もいます。それが島津の殿様の新羅三郎義光です。新羅の王様は倭人だったのです。こんな獰猛な奴らが襲ってきたのでは皆殺しになってしまいます。だから朝鮮半島から引き揚げてきたのです。

 山口県の大内家も百済の聖明王の第三皇子が先祖だと言っています。大内家は朝鮮人ではないのです。朝鮮半島にいた倭人の子孫です。

 朝鮮半島は山葡萄原人とエベンキ人の混血児に乗っ取られてしまったのです。それで奴らは何と言ったのかというと、「俺たちは朝鮮人だ」と言って、倭人の財産を片っ端から奪ったのです。

 日本近海には倭寇がいました。これも山葡萄原人とエベンキ人の混血児です。日本は豊かな国ですから、外国を襲いません。そのようなことを考えてみればよいのです。日本は「瑞穂の国」と言うのですから豊かな国です。

 田んぼは豊かで「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらちいほあきみずほのくに)」と言うのですから、お米が豊かに実り収穫できる国の人間が船に乗り朝鮮半島に行って倭寇となってドロボウを働くわけがありません。みな山葡萄原人とエベンキ人の混血児がやったのです。倭人の船を襲い倭人を殺して倭人の服を着て、周辺の村々を襲ったのです。

 蒙古にいたモンゴル人、満州にいた女真族、漢族、山葡萄原人とエベンキ人の混血児の集合体が渦巻くように民族ができてきたのが、朝鮮人です。朝鮮人の歴史はないのです。これを言われてしまうと朝鮮人は参ってしまうのです。

 北朝鮮の教科書に「我々の先祖は山葡萄原人である。現代人と違い、昔からそこに住んでいた人々だ」と書いてあるのです。後は『三国史記』に書いてある通りです。三国の歴史はあっても韓国の歴史はありません。

 朝鮮半島には72基の前方後円墳があります。あれは日本独自のものです。倭人がつくった国ですから、そこに前方後円墳を造って倭人の王様が葬られているのです。もっとあったのですが、朝鮮人は前方後円墳を見つけるとブルドーザーで壊してしまったのです。現在では72基は残っています。前方後円墳は倭人の風俗です。

 朝鮮人は妄想と現実の区別がつきません。朝鮮人の言語は希薄です。みんな知らないと思いますが、中国語の70%は日本人がつくった言葉です。何故でしょうか? 西洋と接触しても中国人には「社会」という概念がなかったのです。

 奴隷はあっても「社会」という言葉はありません。だから、「中国共産党社会主義」は全て日本語です。社会主義などという言葉もありません。日本人が訳した言葉をそのままシナ人が使っているのです。「社会主義」「民主主義」も日本語です。シナ人は70%の日本語をシナ語に読み替えて使っているだけです。韓国も同じです。

 文在寅も「民主主義」と言いますが、日本人がつくった言葉です。韓国にはそんな言葉はありません。概念がないのです。約束もないから「ヤクチョク」などと変な読み方をしているのです。日本人がつくった言葉を使っているのです。朝鮮人には「約束」という概念がありません。だから朝鮮人は平気で約束を破ります。約束など朝鮮人の頭の中にはありません。どのようなことが約束かもわかりません。

そのような野蛮な国が神国日本の隣につくられたということは歴史の皮肉です。最も凶暴な国を神の国である日本の隣に造ったのですから、「日本が処理しなさい!」ということです。

昔から日本は三韓征伐と言ったのです。悪者だから「成敗してやる!」という対象です。女性の天皇自ら出かけていき、「私が行く!」と言ったのです。すごい女性の天皇がいたのです。神功皇后といいます。

 「三韓を成敗しろ!」と神勅が下るのですが、夫の仲哀天皇は動きません。すると仲哀天皇はお亡くなりになり、その後で神功皇后が三韓征伐をするのです。悪いことをやっているから懲らしめにいくのです。

 今の北朝鮮もそうです。「核を日本にぶち込む」など、悪いことばかりやっています。麻薬はつくり、人さらいをする、核で脅す、やっていることはギャングです。昔からそうなのです。それはやはり成敗しなければいけません。

 今はアメリカがやりますが、当時は日本が成敗したのです。今ではアメリカのマスコミの論調も変わってしまい、「日本にやらせようではないか。日本はなぜやらないのか。ああそうか、憲法で動けなくしたのは我々だ。だったら憲法を改正させればよいではないか。日本に水爆も認めよう。何でも自由にやってもらい、北朝鮮をやっつけてもらおう」という世論に変わってきたのです。日本にとってはよいチャンスです。日本は原爆を持つべきです。

 アメリカは「持っていいよ」と言っているのですから、原爆を持つべきです。今、日本はアメリカと仲がよいのです。日本からアメリカに原爆を撃ち込むことはありません。「日本人は約束を守るから、そんなことはしない」と、みんなわかってきたのです。日本人は昔から「悪者はやっつけて、成敗する!」という思想を持ち、約束を守る民族です。

 

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