「朝鮮とどう付き合うか?」日本の民族地政学 5―② | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 現在の朝鮮の骨格をつくったのは李成桂(1335年―1408年)です。李成桂は女真族です。それを朝鮮人は認めませんが、女真族です。ハッキリしているのです。この李成桂の奥さんはモンゴル人です。李成桂が高麗の王様をぶっ殺して「自分が王様だ」と言い出したのです。この李成桂は悪い奴です。高麗の家来のくせに王様を殺して自分が大王になったのです。

 ところが自分で王になっても誰かが王と認めてくれたほうがよいので、明に行って王位と国名をもらったのです。その前は明とモンゴルが戦争をしたときに、奥さんはモンゴル人だからモンゴルの味方をしなければいけません。ところがモンゴル人をぶっ殺したので、明に可愛がられたのです。

 明の皇帝に「私たちは朝鮮を治めますので、位をください」と言って位と国名をもらったのです。そして、明の家来としてきたのです。

 それから、明が清に変わるのですが、関係は清の時代も続きます。このような歴史が李氏朝鮮です。王朝の始めから裏切りです。兄弟同士も殺し合い、王様も殺したろくでもない奴です。この王様は「俺の命を狙う奴は軍を持って攻めてくるのに違いない。道路がなければ軍は攻めてこれないだろう。道路を造ってはいけない」という命令を出したのです。「橋をかけると兵隊が渡ってきて俺の首を取りに来る。そんなことはさせない。橋はいらない」「車があると巨大な軍隊が物資を運んできて俺を攻めてくるかもしれない。車を造ってはならない」と言ったのです。そのような命令書を出したのです。

 道路もない、橋もない、車もない、その後遺症が518年間の李氏朝鮮時代にわたって続いたのです。車を造っていけないので、車を造りません。そのうち技術者がいなくなってしまったのです。車を造るためには木を曲げます。その技術もなくなってしまったので、朝鮮は518年間も車がない国だったのです。

 それから針もありません。技術者が途絶えてしまいいできないのです。仕方なく、シナからいつも買っていたのです。

 車がなくてどのように荷物を運んだのかというと、オケもありませんから土甕をつくり、土甕で物資を運んだのです。土甕は中身が入っていなくても重いのです。それで物資の交易をおこなっていたのですから、そんなに大きな物資の交易はできません。

そんなことをやっていては国は富みません。物資の交流が盛んになってお金が動いて国は栄えていくのです。物資はみな土甕に入れて担いでいくのです。そんなことで交易はできません。

朝鮮人は不衛生、怠け者です。何故、怠け者かというと、李氏朝鮮の王様の下にいたのが両班(ヤンパン)という貴族です。両班は自分の領土にあるものはすべて自分の物だと思っています。農作物は収穫できたらすべて両班がもっていきます。よい娘がいても持っていかれるのです。領地の中の物はすべて両班の物です。税金などという制度はありません。

人々は働いても両班にすべてもっていかれるから働かないのです。「貧しくても今食べる物があればよい」という考えです。このような国ですから勤労意欲などありません。李氏朝鮮では富める者はいません。王様と両班以外はみな貧乏人です。

清王朝に毎年宦官と美女を3千名貢いでいたのです。清王朝に仕えていたのは、朝鮮人の宦官です。そのような関係ですから汚らしい関係です。このような風俗が朝鮮人の特徴です。

これが大日本帝国と接触を持つ前の李氏朝鮮です。朝鮮の役で豊臣秀吉が朝鮮に攻めたことを恐れて「いつかまた日本が攻めてくるのではないか」と恐れて、将軍が変わるときに恐る恐る朝鮮通信使をつくって、1500名で徳川将軍に挨拶に行ったのです。

NHKではウソをついて、「朝鮮が優れた文化を持って日本に来た」と言うのです。冗談を言うものではありません。日本の武力侵略を恐れて、貢物を持って朝鮮通信使を派遣したということが真相です。

ところがこれに日本は大迷惑です。1500名も泊まる旅館などありませんから、大部分はお寺に泊まります。お寺でも入り切りませんから民家に泊まるから、鶏は捕まえて食ってしまい、朝は1500名が一斉に立ち上がって道端にウンコをするのです。大変な迷惑です。鳥はかっぱらい食べ物はかっぱらうので、二度と朝鮮通信使など来てもらいたくないのです。

NHKでは「朝鮮通信使が来るのを待ち遠しいと思って漢文を教えてもらった」など、馬鹿なことを放送しているのです。冗談ではありません。道路中ウンコだらけです。半年間もかけて博多に上陸して江戸まで行ったので、日本人は大変な迷惑をこうむったのです。1500名もこられたら大変迷惑です。

これがお隣韓国の真実の姿です。ウソをつくのは当たり前、忠誠心はありません。両班はみんな持っていくのですから忠誠心など尽くせません。王様と庶民は関係ありません。間に両班がいるのです。両班は物を奪う、奪う奴に公の概念はありません。

造った物は両班がすべて持って行くので、庶民は怠けるのです。このような環境では優秀な職人や、技術者は韓国では育ちません。

ある程度のことは日本もわかっていたのですが、「教育すれば一人前になるだろう」と思って朝鮮併合を受け入れたのです。まず、第一番に学校を造ったのはそのような意味があったのです。この連中は字も書けない、何も知りません。白丁という階級は字を書いてはいけないのです。「字を書いたらぶっ殺せ!」というのです。

字を習うと反逆するので、白丁は字を覚える必要はありません。ただ、「奴隷として働けばよいのだ」という考えです。朴 正煕も怒って自著で書いています。

「我が半万年の歴史は、一言で言って退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」「(韓国社会は)姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」『国家・民族・私』

「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」『韓民族の進むべき道』

これが隣国の韓国の正体です。言葉も教えたのも日本です。「約束」という言葉を教えたのも日本です。朝鮮には「約束」「契約」「社会」という概念もありません。みんな日本がつくった言葉です。

日本が英語を訳して日本語として教えたのです。それまで朝鮮人には「約束する」「契約する」などという概念がありませんから、今でも「約束を守る」などという意識はありません。それは中国も同じです。中国は日本製の漢字を3千以上使っています。科学、家庭、資本主義、社会主義、人民、などとい言葉は日本がつくったのです。

日本がつくった漢字をつかって中国は「中華人民共和国」と言っているのです。元は日本人が造った言葉です。

これがおおざっぱな隣人の姿です。このようなことを知ったならば、付き合うのでしょうか? 付き合えないでしょう。隣人に詐欺師やドロボウがいるのに付き合う人は馬鹿です。詐欺師やドロボウと知らないから、日本人は「我々と同じだ」と思うのです。朝鮮人は我々と同じではありません。全く違う民族です。DNAも日本人と朝鮮人は全く違います。これを知った上で付き合わないと大けがをします。

朝鮮人でも中には良い人もいます。多分、それは倭人の流れです。朝鮮半島に残った倭人もいたのです。全員殺されたわけではありません。その倭人が朝鮮に残っているから、その連中の考え方は日本人です。

例えば一つの例は韓国のウロンニには沙也可(サヤカ)が住んでいます。これは朝鮮の役のときに豊臣秀吉の軍があまりにも無残に朝鮮人を殺すから、沙也加は裏切って朝鮮人に鉄砲を教えたのです。朝鮮は鉄砲がありませんから鉄砲がないと皆殺しです。それでは可哀想なので朝鮮に鉄砲を教えたのです。

 沙也加は朝鮮に残って今でも一族全員が両班です。そのような朝鮮人もいるのです。それは日本人ですから考え方も日本人に近いのだと思います。隣人について知ることが民族地政学の第一歩だということを忘れないようにしましょう。

 

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