毛沢東の文化大革命 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※毛沢東の文化大革命(紅衛兵)

 

 NHKのBSで文化大革命50年知られざる負の連鎖語り始めた在米中国人 」を放送していました。これを見ると中国とはどのような国家であるのかということがよくわかります。

 中国共産党は戦時中、「八路軍」と言って逃げ回っていたのです。毛沢東が主導権を握ったときに、農村の大躍進という時代をつくったのです。「これから中国民族は大躍進しようではないか。イギリスを5年で追い抜こう。それには皆が一丸となって働けば、イギリスを超えることができるのだ」と毛沢東が言ったのです。

 シナ人はそれに乗っかったのです。今は船を造る、自動車を造る、農業は別です。それを毛沢東は一緒に考えたのです。「分散させてはいけない。一つの村で、米を作れ。鉄器も造れ、石炭も掘れ」このような政策です。そうすれば「皆が幸せになれるのだ」と言うのです。

 国民はそのようなことをやったことがないので、毛沢東を支持してしまったのです。「資本家や大金持ちが邪魔をして独り占めをしているのだから、俺たちで造ろう!」となったのです。中華人民共和国旗のマークは星です。中国共産党の旗のマークはカマとハンマーです。「自分で生産しよう。富をはく奪されるな」という意味です。

 富とは人間がつくったものです。資本家は人に働かせて造ったものはすべて持っていきます。それをさせないためには、全て自分たちで造ればよいのです。この革命が大失敗だったのです。

 素人が農業をやるのですから米は収穫できません。毛沢東は「平等に農業をやれ」と言うのです。実行すれば上手くいくはずがありません。農業には技術があります。今まで工場で働いていた人間が農業をやっても上手くいきません。それで大凶作になったのです。中国全土で3千万人餓死したのです。信じられません。

 隣村でも同じことをやっているのですから、食べ物がありません。これを分散してつくっておけば、「あそこから米を買ってこよう」となりますが、自分たちの村だけで生産するのです。その村が収穫できなければどこにも頼れないのです。だから3千万人死んだのです。

 毛沢東は多くの同志と共に革命をやってきたのです。大幹部が大勢いたのです。その幹部が「毛沢東の政策はおかしいのではないか」と言い出したのです。すると毛沢東はすごくセコイ野郎で、「では、俺の失敗を隠そう」と紅衛兵運動を始めたのです。紅衛兵とは、中学生から高校生に赤い手帳の「毛沢東語録」を持たせて、腕章を巻いて、軍服を着せて中国全土で紅衛兵運動をやらせたのです。

 自分が失敗したことを言わせないように目くらましするために紅衛兵を立ち上げたのです。少年たちを「君達こそが、本当の革命の闘志だ!」とおだて上げたものですから、少年たちは舞い上がってしまい、「万世、毛沢東!」となったのです。

 「まず、君たちがやることは、地主・学校の先生・インテリ階級、労働しないでのし上がってきた者達をぶっ殺せ!それが諸悪の根源だ」とやったのです。毛沢東は自分の政策の失敗の問題をすり替えたのです。

 少年たちにはそんなことはわからないから、「そうだ、インテリを引きずり出せ!」と町の中を紅衛兵が行進して歩いて、インテリ階級を捕まえてトラックに乗せて、町中を引きずり回したのです。「こいつらが悪いのだ!」本当は毛沢東が悪いのです。

 挙句の果ては暴行を加えてインテリを殺したのです。その数が3千万人です。中には食べられた人たちもいます。中国には「悪者を食べたほうがよい」という考えがあります。の校庭に引きずり出して、インテリたちの腹を十文字に裂いて、内蔵や腸など我先にと食べてしまったのです。「俺はこんな悪い奴は食ってしまうのだ!」と証明するために食べたのです。すると英雄に思えてくるのです。

 大多数のインテリ達は死んだのですが、毛沢東以外の共産党幹部は残ってしまいました。毛沢東は絶対権力者です。凶作で失敗して紅衛兵により自分の権力はできましたが、地方には軍閥のような共産党幹部が大勢いたのです。毛沢東が紅衛兵をつくったことによって軍閥が潤ってしまい、権力がついてしまったのです。

 「紅衛兵は俺のものだ!」ということです。そのようになりかかったのです。そこで毛沢東が考えたことは、「俺以外の共産党の幹部が紅衛兵を使うなどとんでもない」と考えて造反派という組織をつくったのです。紅衛兵と造反派を一緒に考えていますが違う組織です。今度の敵は共産党幹部です。紅衛兵がインテリを殺して権力をつくってきた共産党幹部に造反するということです。

 今度は誰を使ったのかというと、インテリを使ったのです。毛沢東は「お前達こそ本当の革命の党首である。一部は誤解されたこともあるけれども、君たちに未来の共産党を引っ張っていってもらいたい。君達こそ英雄だ!」と言ったのです。

 するとインテリは今まで紅衛兵に苛められてきたので、「毛沢東先生は我々のことを忘れていなかった」ということで、インテリたちは歓喜したのです。「俺たちの事は忘れていなかったのだ。俺達こそ革命の党首だと言ったのだ!」と歓喜した連中がインテリ層の大学の連中などで、それが紅衛兵を攻撃しだしたのです。

 紅衛兵をやっつけるのが目的ではありません。紅衛兵によって潤った共産党幹部を倒して自分への批判を避けるということが毛沢東の目的です。「毛沢東が間違っているなどという奴は殺してしまえ」という命令ですから、その場で殺したのです。

 今度は造反派に力がつきすぎてしまったのです。すると今度は次の造反をつくったのです。「あれは悪い造反だから、あいつらをぶち殺せ!」と、造反と造反を戦わせたのです。

 アメリカの大学の計算では内乱で6千万人くらい殺しています。それは一切新聞には出ませんから皆知りません。「文化大革命とは何であったのか?」というと、「毛沢東、万世!」ということではなくて、殺し合いの暴力です。

 最後の造反派と造反派は青と赤に分けられて武器を使ったのです。本当の殺し合いです。それが文化大革命です。毛沢東の手口にみな驚きます。自分の責任を転化して「あいつが悪い!」という手法は今でも使われています。本当は自分が失敗したのに「あいつのせいだ!」と言うのです。

 韓国ではこの手法は徹底的に日本に向けて使っています。「日本が悪いからこうなったのだ」ネタはいくらでもあります。「あいつが悪いのだ」「金持ちが悪いのだ」といいます。僕が共産革命が嫌いなのは、それです。次から次へと殺し合っていく理論です。

 これは易姓革命と同じで前の奴を殺さないと、自分は権力を握れません。そのためには話し合いなど行いません。殺し合いがあるのみです。その上に権力者が乗っかるのです。AとBを喧嘩させて、Aが勝つとCを出してぶつけてきます。Cが勝ったらDをぶつけるのです。基本は造反有理です。「権力に逆らうことは理屈がある」ということです。中国の共産との場合は露骨でわかりやすいのです。

一般に日本でもこのような政治の手法が取られています。日本は殺し合いまでいきませんが、中国は命まで奪います。朝鮮もそうです。新しい大統領は「前の大統領が悪い。だからこうなったのだ」まず、そこから政治を始めます。「朴 槿惠が悪いのだ。だからこうなったのだ」「日本が悪いのだ。朴 槿惠が日本にすり寄ったのだろう。だからこうなったのだ。この大統領は許せない」と始まるのです。

 次の大統領が終わると「こいつはこんな悪いことをした悪い奴なのだ。だから俺が出るのだ」といいます。権力の構造は同じです。どこの国でもそうで、いつの時代でもそうです。

 日本も多少はありますが、ここまでひどくありません。ひどくなった例もあります。源頼朝は兄弟をみな殺してしまいました。義経も木曽義仲も殺したのです。殺しておかないと自分が危ないのです。朝廷から見ると頼朝が鎌倉幕府をつくりました。だんだんそこに権力がついてきます。権力がつきすぎると、「朝廷をなくせ」という連中が出てくるかもしれません。その時に玉として使われたのが義経だったのです。

 義経は検非違使(けびいしという今でいうと警視総監のような身分を朝廷から与えて京都の守護職となったのです。それを聞いた頼朝は怒ったのです。「あいつは俺に逆らう気ではないか」と疑ったのです。

義経にその気はなくても、それを利用しようとする公家たちがいるのです。「義経が来たら俺は殺されるな。殺さなければいけない」と思い、頼朝は兄弟を殺してしまうのです。それを繰り返していくから、最後は独りになってしまいます。頼朝の最後は可哀想です。「天下は取ったけれども誰もいなくなってしまった」と石橋山で毎日泣いていたそうです。誰もいなくなってしまったのです。それが権力の実体です。

 安倍さんも最後はどうなるか危ないものです。

 

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