憲法改正にあたっての提案 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※日本に占領基本法を押し付けた人(マッカーサー)

 

憲法は国の礎です。我が国において初めてできた憲法は聖徳太子の十七条の憲法です。これは今でいう憲法と違い、「篤く三宝を敬え」という内容ですから教えのようなものです。今で言うところの憲法ではありません。

 いずれにしても憲法は国の礎であり、国の中心になる教えであり、「国の形」ともいえます。何が国の形なのでしょう。どこの国にも「国の形」などありはしません。アメリカ合衆国のトーマス・ジェファーソンの「独立宣言」程度のものがあっても、国の形などありません。フランスはフランス革命から始まっても国の形などありません。中国に建国の憲法などありません。中国共産党は国ではありません。

 唯一2800年の堂々たる歴史をもった大国の日本だけが本当の憲法を持っています。今の憲法はGHQの占領下で昭和21年に押し付けられた占領基本法です。GHQの占領が終わったのは昭和26年です。日本が独立したのは、国際法上では26年です。「占領国がその国の憲法をいじってはならない」という規約があるのにもかかわらず、憲法を押し付けたのです。どうやって押し付けたのかというと、戦前の帝国憲法の変更という手続きを取ったのです。

 だから「マッカサーがつくったのではない」といいはったのです。草案も原稿もすべて英文であって、憲法をつくった人間はユダヤ人です。これが日本に押し付けたのです。だからこんなものは憲法でも何でもないのです。

 日本を治めるための占領基本法です。その第一骨子は「日本が馬鹿な国であり、暴虐な国であり、民主国家と反対の国であり、だから人権を重要視しなければいけない、主権は国民にある」ということになったのです。

 一番ひどいのは憲法第九条です。

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

いかなる国が無理難題を言ってきても日本は交戦権がないのですから戦えません。それを知っているから韓国はウソばかり言って日本を陥れようとして、次から次へとウソを言ってくるのです。竹島も占領され放題です。

 もう間もなく尖閣列島もシナ人に取られてしまいます。すると沖縄も中国のものにされてしまいます。その次には日本列島です。シナ人が一番欲しいのは日本列島です。シナ人は「ハワイまで自分たちの物だ」と言っています。だから日本列島が一番欲しいので、虎視眈々と狙っているのです。

 それに対して日本は「交戦権を有しない」のですから文句言うことができません。それが日本の憲法です。そんな憲法はありえません。だから安倍さんが「憲法改正」というのは当然のことです。誰が考えてもそうなのです。

 戦後、吉田茂首相は頭を悩まして、「何としても軍隊をつくらなければならない」と思っていたのです。「国際政治とはどのようなものか」ということを当時の政治家は知っていたのです。国際政治は殺し合いですから、軍隊がなければやっていけません。

 そこで考え抜いたのが、憲法9条の2項の解釈です。「交戦権は有しないかれども、自衛のためには軍隊を持てる」という苦肉の策を考えたのです。「この解釈に基づいて次世代の人間が軍隊をつくるであろう」と考えたのです。

 最初にできた軍隊は「警察予備隊」と言いました。警察予備隊だからお巡りさんの第二軍の機動隊のようなものです。それが戦車をもったのです。そこから始まっていつの間にか、自衛隊Japan Self-Defense Forcesになったのです。最初から無理があるのです。

 日本は今では世界で第二位の軍隊は持ったけれども、交戦権がありません。戦えないのです。どんな無理を言われも戦えません。ひどい話です。これでは奴隷です。だから憲法を改正するのです。これはよいのです。

 我が国の特徴を出さなければ憲法改正の意味がありません。我が国の特徴とは何でしょう。皆さん驚くかもしれませんが、「神国」だということです。我が国が世界と違う国であるということは「神国だ」ということです。

 戦前では「大日本帝国は神国なり」という本がたくさん出ていました。これを頭に置かないと憲法をつくっても意味がありません。アメリカの憲法を真似したり、フランスの憲法を真似しても、国柄が違うからダメなのです。

 「我が国は神国である」という言葉が、我が国の特性を言い表しています。憲法の前文には「我が国は神が創った国である」これを入れなければいけません。「そんな時代錯誤だ」というかもしれませんが、これが一番大事なことです。

 「神国」を入れることにより、我が国は他の国と違うということを認識させることができるのです。その神国の継承者が天皇です。二項に「天皇」が入るべきなのです。しかも、万世一系とまで言わなくても「日本は2800年の歴史を持つ世界最古の国家である。これが国民の誇りである」と入れるのです。

 神国の中には様々な意味が入っています。他の国は、先祖は動物です。神国ではありません。朝鮮人は白頭山の熊と人間から生まれたのです。これが朝鮮人のルーツです。モンゴル人は蒼き狼が先祖です。或は双頭の鷲がアメリカ人の先祖です。他の国は先祖は動物です。「我らの先祖は神である」と言えるのは日本だけなのです。

次に、「神の国とは一体何か?」と思います。我々には神の神勅があります。第一神勅から始まって、2千回以上のご神勅が出ています。「日本の国はこうしなさい」という神様からのご命令が出ているのです。

この神の国の第一神勅は「修理固成(すりこせい)」です。神様が「人間とはこのようなものだよ」と教えてくれているのです。「お前達も神であるけれども、その目的は修理固成なのだ。世の中は不完全に漂っているから固め成せ。修理して固め成せ」ということが修理固成です。これが第一神勅です。

それから八紘は一宇です。世界は一つだから、皆が仲良くしなければいけません。皆、神の子なのですから仲良くしなければいけません。これが我が国の国是です。その御精神を体現されているのが天皇陛下です。肉体と共に神の御精神を引き続いているのです。

天皇陛下の発せられるお言葉を詔勅といいます。詔勅とは神の言葉です。だから天皇の詔勅には一つも間違いはありません。大東亜戦争の開戦の詔勅でも、なぜ戦争をするのか明確に述べられています。東洋は白人の植民地にされていました。これを解放しなければ世界は平和になりません。だから「大東亜戦争」と言ったのです。太平洋戦争などどこにも書かれていません。神の御言葉ですから間違いありません。

そして、その通りになったのです。東南アジアはすべて白人国家から独立しました。もう植民地ではありません。これは天皇の詔勅に基づいて日本が戦ったからです。その目的を達成したのですから「大東亜戦争は勝った!」と言えるのです。戦争は目的を達成すればよいのです。ちゃんと詔勅が残っているのです。これは大事なことです。そのために天皇は詔勅を残されているのです。詔勅は神武天皇から続いています。こんな国家はありません。これを第一番に置かなければいけません。

この国は当然主権というものは国民の側にはありません。天皇が神の子孫として主権を持っているのです。結果的には我々も神の子孫ですが、宗家として天皇に主権があって当たり前です。

そこから「公共心」が生まれるのです。「上に立つものはどうでなければいけないのか」「公共の利益をどのように量っていくのか」上にいる人はそうでなければいけません。ところが、ロシアに国民はいません。KGBしかいないのです。後は奴隷です。こんな奴らが政治をやって、どうするのでしょう。公の心が全くありません。

「我々はKGBだ。税金を持って来い。お前達はKGBのためにいるのだ」という考えです。今の政治家はだいたい似たり寄ったりです。「政治家のために国民がいるのだ。早く税金を持って来い。税金を持ってきたら政治家同士でわけるのだ」ハッキリと言えばそういうことです。だから公共心などあるわけがありません。

天皇によって初めて天皇のお心である「国民が豊かになっていけるように」という大御心が出てくるのです。それを持って「公(おおやけ)」というのです。

他の国に「公」はありません。公のない代表の国が韓国です。各人が主張するだけですから、全員がウソをつくのです。ウソをついて人の物をだまし取るのです。恐ろしい国です。公という概念が全くありません。ゴミは捨てっぱなし、不潔、汚いのです。シナ人も同じです。公がないとそうなってしまうのです。

「公」の反対のことが「私」です。「私」は闘争します。「公」が頭にあったときに、「私」は闘争するけれどもブレーキがかかるのです。人と人の争いがなくなることはありませんが、「公」を見ていると「上があるのだな」と思い、ブレーキがかかるのです。

タイの亡くなったプミポン国王は立派だったのです。国民は公を持ちます。タイは軍事革命が起きても両方のトップを呼ぶと国王に頭を下げるのです。国王が「止めなさい」と言えば「わかりました」と革命を止めたのです。タイは立派な国です。タイは植民地になったことがありません。

それを頭に置いて我が国が憲法を改正する場合は、神国から始めないといけません。神国だから天皇がいるのです。天皇は神の子供です。そのまた子供が我々日本国民です。常に我々国民には「私」があっても「公」があります。

源氏平氏と争った時代にも天皇がいます。国民は天皇を忘れたことは一度もありません。天皇を奪おうと思った奴はいないのです。だからある程度まで戦争をしても、きちっと治まるのが日本人です。これが大事なことです。

そして、この憲法を世界に教えていかなければいけません。これを守れば日本は立派な国になります。交戦権がないなどとんでもない話です。日本は神武天皇以来戦争をしてきて、悪人は成敗してきたのです。この思想がなければ一家など維持していけません。ドロボウが家の中に入ってきたら成敗するのです。ドロボウと話し合うものではありません。ドロボウは成敗するものです。

交戦権が認められないと成敗することができません。「ドロボウが家に入ってきたら話し合いをしなさい。言う通りにお金を払えば何もされません」そんな馬鹿な話はありません。我が国の思想には「成敗する」という考えがあります。

日本には神功皇后の三韓征伐があり、三韓は昔から悪さをするのです。人間ではありません。悪人には「成敗」という言葉を使います。悪いことをするから罰するのです。新羅・百済・高麗の三韓を成敗したのです。日本にはこの明確な考え方があります。この考え方をなくしてはいけません。

麻薬王が出てくれば殺してよいのです。そのような国を造っていかなければ、世界に尊敬される国はできません。これを新年にあたって提案しておくので、自民党の諸君もよく考えてもらいたいと思います。

 

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