ジョルジュ・バタイユについて | 中杉 弘の徒然日記

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ジョルジュ・バタイユ(1897年~1962年)

 

 ジョルジュ・バタイユ(1897年~1962年)はフランスの作家です。代表作は『無神学大全』三部です。この人は非常に残酷なことを描きます。足が無いとか、胴体を裂くとか、残酷な小説を描くのです。

 これについて三島由紀夫は「ジョルジュ・バタイユがいなければフランス革命など成立しない」と言ったのです。フランス革命は王家の人々をギロチンにかけてぶっ殺して首をさらし者にしたのです。残酷極まりありません。

 「フランス革命が素晴らしい」と言うならば、ジョルジュ・バタイユを認めなければいけません。ところが、「ジョルジュ・バタイユは汚くて残酷な小説を描く」と言うならば、フランス革命はそれ以上に汚いことです。戦争などみんなそうです。それを肯定するならば、ジョルジュ・バタイユの文学も肯定しなければいけません。ジョルジュ・バタイユはすごく論理的です。

 世界は目に見えないけれども、残酷で情け容赦のない世界の上に成り立っているのです。目に見えないようにさせられているのです。9.11でビルが爆破されましたが、ビルの中にいた人の体はバラバラです。首はすっ飛び、手はすっ飛び、足はちぎれ、内臓は体からはみ出してみるに見れません。

飛行機事故も同じです。テレビの報道番組では全然死体は映しません。御巣鷹山の日航機墜落事故もそうです。木に肉片がぶら下がっていたり、足が飛んでしまっていたり、まったく見れたものではありません。

このような犠牲者の上に、現代文明はあるのですが、絶対にジョルジュ・バタイユを認めようとはしません。これを詭弁というのです。汚いもの、怖いもの、残酷なものは見ないのです。それはダチョウが地面に頭を突っ込んで「何も見えない」と言っているのと同じです。

飛行機に乗る人は、この現実を覚悟する必要があります。いつ飛行機が落ちても不思議ではありません。あんなデッカイ物が空を飛んでいるのです。快適でも何でもありません。恐怖の飛行時間です。

それをわからなくするために、様々なサービスを提供して「快適な空の旅」を演出しているのです。飛行機は墜落してしまえば、ジョルジュ・バタイユの世界になってしまいます。

そのように現代社会は「覚悟」がありません。汚いもの、残酷なものを隠すのです。ごまかしはダメです。

原爆事故もそうです。福島では恐ろしいことが起きています。未だに何十万人が家に帰れません。恐ろしい問題です。これに目をつぶって原発を輸出するなど、馬鹿なことを考えている政府の連中は何を考えているのでしょう。世界を崩壊させたいのでしょうか?

全ての影にジョルジュ・バタイユがあるのです。ジョルジュ・バタイユを見て、このような「残酷な文明の上に現代文明はある」と見たのが三島由紀夫の厳しい感性です。平和に見える何もない楽しい生活、明るい生活の奥にジョルジュ・バタイユの世界があるのです。

フランスはISISのテロで、あっという間に100名以上の人間が死傷しています。悲惨なものです。昨日まで明るくシャンデリアがついて楽しい世界だったのが、一瞬にして地獄になってしまうのです。

これは文明の方向について言っているのです。そのようなものがない文明を造っていかなければならないと思います。21世紀は物質革命・変革・イノベーションと盛んに言われて「新しい物を産業界に出していこう」と言っていますが、そのようなものではありません。

スピリット・イノベーション(精神革命)を起こさなければいけません。このイノベーションを行わないで、物ばかりどんどん増やしていけば資本主義は終わりになってしまいます。すでに資本主義は終わっているのです。

ここでまさに、スピリット・イノベーション、精神の大変革と「人間が何のために生きているのか?」ということをしっかりと考え直す時期が今年から始まるのです。そのような精神性を持たない奴は大馬鹿者であり、インテリでもなければ何でもありません。単なる馬鹿です。物を追及する馬鹿、飽くなき欲望を追及する野望の持ち主です。

このスピリット・イノベーションの走りを正理会はやっています。だから、正理会は大事なのです。様々な妨害も入るわけです。

 

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