男は精神、女は肉体 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 最近は「男女関係がどのようでなければいけないのか?」ということがわからなくなってきています。ホモを認めたり、どこかの役所が「ホモ同士が結婚できる」と決めたそうですが、この連中は何もわかっていません。

 男と女はどのような関係にあるのでしょう。わかりやすい例が「畑と大根」です。畑があります。そこに大根の種を植えます。すると大根が実ってきます。畑があります。そこに人参の種を植えると人参がなってきます。カブを植えればカブがなってきます。

土は同じです。土は同じですが、人参の種を植えたり、大根の種を植えれば、違う作物が出来てきます。この畑にあたるのが、女性です。そこに大根の種を植えて「柿の実がなれ」と言っても柿はできません。

大地は栄養を与えるものです。だから何でも受け入れます。人間で言うと、朝鮮人でも受け入れてしまいます。すると、それは朝鮮人の種が咲いてきます。クロンボを入れてしまえば、クロンボの種が育ってしまうのです。女性は関係ないのです。

女性はそこに植えられた種を育てる畑です。種を植えなければ、子供が生まれるということは、イエス・キリスト以外はないのです。

簡単な理屈ですが、全てのことを表しています。「男は中心点」だとよく言われます。中心点とは、精神です。男は気質であり、精神であり、血の流れとも言えます。だから、女性天皇論はあり得ないのです。簡単な理屈です。

女性天皇に朝鮮人の種を植えられたら、どうなるのでしょう。そこで王統は途絶えてしまいます。天皇のDNAはなくなってしまうのです。日本の皇室に朝鮮人が種をまいて朝鮮人の子供になってしまいます。だから、女性天皇はダメなのです。女性天皇論を振り回す奴は馬鹿なのです。

Aが男で、Bが女ならば、子供はABの2分1ではないのです。Aが育ってしまうのです。母親は形質が伝わるだけです。例えば、痩せている、太っている、そんなものは形質として伝わるかもしれませんが、あくまで種を植えた男性の頭のよさであり、太っているか、痩せているかは母親に影響されてくるのです。

絶対に女性には種はできないのです。精神を生むことはできないのです。畑に精神を一本植えられるから育ってくるのです。

また、その男の子供が畑に種を植えても精神は変わりません。日本の天皇制はよくできていて、男性の天皇しか認めないのです。女性天皇も2人くらいいますが、仮の天皇です。一時しのぎで、預かったことはありますが、すぐに遠くから天皇の血筋をひっぱってきて、またやり直しするのです。女性天皇はあり得ないのです。それをわからないといけません。

男は種です。逆に言うと、精神性のない種など意味がありません。そんな子供を身ごもったら大変なことです。中身がないスカスカ大根を植えられて、それを生んでしまったらどうなるのでしょう。やはり、中身の濃い立派な種を持った者を選んで、子供にして育てていかなければいけません。

人間は作物を見て「いいか、悪いか」を判断します。それと同じで、人間は無判断でよいのでしょうか。

だから日本では強姦は嫌われるのです。朝鮮人は種として受け入れるかどか関係ありません。他の畑に行って無理矢理種を入れてしまうのです。それは怒ります。

「私はあんたなんか好きじゃないのよ」と言うのに、無理矢理種を押し込んで、種を植えられたらむかつきます。相当な犯罪です。

エベンキ人(朝鮮人)は特に強姦が好きで、恋愛の結婚などありません。エベンキ人は女に威張ってくるのです。女は畑としてしか見ていないのです。「俺の種をまいてやる」と夜中に女を襲って、自分の種を植えてしまうのです。

植えられた女はたまったものではありません。植えた朝鮮人は「これで一丁あがり。他の畑に行ってまた種をまいてこようかな」と他の畑に行ってしまうのです。そこでまた種まきをしてくるのです。朝鮮人の物の考え方は「女は子供を産んだら逃げない」です。

作物が実ってしまうのですから、女は逃げようがありません。朝鮮人の男は、あちこちの畑に種をまき散らすのです。だから、朝鮮人には子供を一緒に育てるという気が最初からないのです。あるわけがありません。

朝鮮人は「種を植えてあげたのだから、お前が自分で育てるんだよ」そのような考えですから、「子供を一緒に育てて家庭をつくろう」などという考え方はないのです。これを見抜かなければいけません。

女は「私は畑なのだ。よい畑なのだ。どんな種でも育ちます。だから良い種が欲しいのです」と言わないと、関根麻里やスザンヌのようにとんでもないことになってしまいます。

今は種同士が関係してホモになったり、畑同士が関係して、「なんじゃらほい」ということになってしまいます。もう滅茶苦茶です。このような出鱈目な考え方は辞めていかなければいけません。次世代に渡していくものは、立派な人間です。立派な人間は立派な家庭からしか生まれません。

家庭が滅茶苦茶で生まれた子供は舛添要一です。舛添は東大を出て鳩山邦夫と同じクラスで一番・二番を争っていたのです。お互いに「一番は俺だ」と言っていたのです。鳩山さんは大臣の家柄ですからよいけれども、舛添は貧乏長屋の朝鮮人の子供です。

朝鮮人はなぜ頭がよい子ができたのかというと、孫正義もそうですが、頭が良い子供が生まれるのは近親相姦の結果です。近親相姦をやると極端に頭の良い子供も生まれます。しかし、反面精白児が生まれます。

朝鮮人の30%は精神疾患児です。頭がよいのもいるのです。そのわりにはノーベル賞がとれません。頭が狂っているのです。ノーベル賞がとれない原因は言語にあるという人がいます。朝鮮人の言語ではノーベル賞はとれないのです。

ハングルはアルファベットと同じです。すべての言葉をアルファベットで書くのです。日本語をアルファベットで書いたら、わけがわかりません。「橋」「端」「箸」は、「はし」という発音は同じです。「はし」と書いたら、どの「はし」かわかりません。ハングルは単純な言語です。

日本語の場合は漢字で書くから、どの「はし」かすぐにわかります。日本語は複雑な言語ですから複雑な思考ができるのです。だからノーベル賞がとれるのです。ハングルには、複雑な言語はないのです。

カタカナで「ワタシハキョウガッコウヘイキマシタ」と書きます。漢字も使わないと変です。漢字を使わないと複雑な表現はできません。

男と女はどのような関係なのか?これほど単純だけど明確にわからせていかなければいけません。女は畑、男は精神です。このお互いがあって、立派な人間が生まれてくるのです。ホモを何回やっても立派な人間は生まれません。やればはるほどエイズになってしまいます。もう一度、このような関係を単純明快に考えていきましょう。



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