義を言うな! | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。



※薩摩の刀は鍔(つば)が小さい


一番、日本で男らしいと言われているのは、薩摩隼人です。本当に男らしいのです。「薩摩隼人が来た!」と言うと、皆逃げてしまいます。そのくらい獰猛で勇敢です。今の薩摩は違います。

 どうして、そのようになったのかというと郷中教育(ごじゅうきょういく)があったからです。14歳くらいから、22歳くらいまでの男子が親元を離れて一緒に生活をするのです。そこには郷中の頭(かしら)がいます。当時はたくさん郷中があったのです。郷中は普通の民家です。まとめて何千名も入れませんから、村ごとにあったのです。

 この郷の頭の一人が西郷隆盛だったのです。一緒に寝起きして、ご飯を食べて、一緒に農作業をして、一緒に教育を受けたのです。考えてみれば、吉田松陰の松下村塾がたくさんあったようなものです。松下村塾だけではなかったのです。

 先輩・後輩の区別がつき、先生・大先輩・弟子が一緒に生活をしていたのです。武士としての教育ですから、剣術・槍術もやり、独特の薩摩隼人の教育が行われたのです。この教育は、今はありません。今の薩摩人は、普通の人と同じです。

 薩摩人がつくった剣術に「東郷示現流」というのがあります。または、「示現流」というものがあります。普通、剣道の稽古をするときには胴衣に着替えます。示現流の稽古では、そんなものは着ません。今でもやっています。ジーパン、野良仕事、Tシャツ、そのままで稽古をするのです。何故かというと、「いざ!」という時に、着替えてなどいられません。

 仲間が「やられた!」と言ったら、「よし仕返しに行こう!」と羽織袴に着替えていくことはないのです。いつもの仕事の状態で、ジーパンのまま、野良着のままで出かけるのです。「辱めを受けた」という場合は、直ちに行動に出るのです。

 辱めには2つあります。自己が軽蔑され場合です。「この田舎侍!」と言われたら、ただちに戦闘をしなければいけません。2つ目は、主君が侮辱を受けた場合です。島津の殿様の悪口を言われたら、ただちに行動しなければいけません。

 それによって起きたのが、生麦事件です。殿様の行列が行くときに、英国人が馬に乗って横切ったのです。馬に乗っていたところ「降りろ!」と言ったのでしょう。彼らは、日本語がわかりません。すると、とたんに薩摩隼人が物も言わない、理由も聞かない、ただちにすっ飛んで行き殺してしまったのです。これは、条件反射です。考えている余裕はありません。「やがてここで殺せば自分も切腹になるな」そんなことは考えないのです。

 「殿さまに無礼である! 許さん!」気が付いたら、もう斬ってしまうのです。これは怖いです。殿様の悪口など言えません。どこでも喧嘩にり、どこでも斬り合いになってしまいます。すごい気性です。

 池田屋事件のときに薩摩が二手に分かれて、裏切り者が出たときに殿様が「成敗して来い!」と言うのです。裏切り者を見つけて、取っ組み合いの喧嘩になるのです。そして、「おいごと刺せ!」と言ったのです。後ろから仲間を貫通して裏切り者を殺したのです。そのような激しい気性を持っています。

 太刀もそうです。示現流は一の太刀のみです。遠くから走ってきて、「チェスト!」と相手を斬るのです。二の太刀はありません。普通、一撃がはずれたら、二の太刀の練習をするのですが、二の太刀はないのです。薩摩の剣術は一撃しかないのです。ということは、絶対によけないのです。だから、薩摩の刀は鍔(つば)が小さいのです。普通の半分くらいしかありません。

 鍔(つば)でよけようとか、刀で受けるという発想はありません。一撃でただ、斬るのみです。一撃で斬ると、相手の刀が0.3秒で振り下ろしたならば、こちらは0.1秒で振り下ろせばよいのです。すると同時に斬ることになります。「太刀行き」といいます。刀の降りが早い方が相手を殺せるのです。

 西郷隆盛はこの薩摩の武士の気風を愛したのです。「この気風がなければ日本が滅びる」と考えて薩摩の武士を可愛がったのです。

 その可愛がっていた薩摩の武士が反乱を起こしたのです。「よし、乗った。弟子がやるならば俺は反対だけど、そんなことは言わん。よか、命をくれてやる」西南戦争で西郷さんは一回も指揮を取っていないと言われています。

 「お前らと一緒に死のう」ということです。これが本当の政治家です。おおかれすくなかれ、明治の志士たちはこのような気風を持っていたのです。皆、剣術の修行をやったのです。坂本龍馬は北辰一刀流の免許皆伝、勝海舟は直心影流の免許皆伝、桂小五郎は神道無念流の免許皆伝です。みな剣術で気概を養ったのです。

 剣術をやるということは、命を捨てることです。「命を捨てるよりも、大なる価値はどこにあるのか」ということです。三島由紀夫の理論と同じです。命よりも大事なものは何か」といつも考えていたのです。

 命は軽いのです。「命が一番大事だ」と言えば命が一番重くなってしまいます。すると死ぬことなどできません。「命は羽毛が如し」命は軽いもので、羽毛のような軽さです。だからいつでも死ねるのです。

 それよりも「大義」ということ、「何によって死ぬのか」ということが大事です。そのために男は「義を言うな!」と薩摩では教えたのです。「義(ぎ)」とは屁理屈、及び言いわけです。「自分は正当である」と滔々と言います。自分が正当だと言うならば、相手を殺せば話がつきます。そのような考えです。

 「ああでもない、こうでもない」と議論などする必要はないのです。「義を言うな!」これには「ウソを言うな」という意味も含まれています。「ウソを言うな」「自己弁護をするな」ということです。申し訳ができないことになったら、切腹して果てるのです。理屈はいらないのです。切腹することにより、無罪だと証明できます。理屈で言うことではないのです。すごい考え方です。「義を言うな!」を思い起こすことも必要です。




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