三島由紀夫の魂ふり | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。



※海上自衛隊横須賀地方総監部(横須賀市)の護衛艦「やまぎり」艦長に29日、大谷三穂2等海佐(44)が着任した。


 今度、女性の戦闘艦の艦長が出現しました。前にも女性の艦長はいたのですが、戦闘艦の艦長ではありません。

 今度の艦長は本当に戦闘をする船の艦長です。これがまた美人で世界各国から称賛の声が上がっています。本当に美人です。世界各国から絶賛されています。

 今の自衛隊は本当に立派だと思います。世界各国のあこがれの的です。「日本の自衛隊はカッコイイ」「超カッコイイ!」と言われています。アメリカ軍までも「自衛隊は優秀である!」と、絶賛しています。

 日本は徴兵制ではありません。徴兵制で無理矢理ひっぱってきてクロンボにコンピュータの技術を教えてもわかりはしません。複雑な機械の操作などできません。日本の自衛隊は志願だから、優秀な人間が集まるのです。自衛隊の応募率は5~6倍らしいのです。誰でもなれないのです。

 自衛隊は、災害救助の実績を持ち、平和憲法の下で軍隊以上の立派な軍隊です。「何故、このような立派な自衛隊になったのか?」と考えてみると、昭和45年の三島事件の影響が大きいのだと僕は思います。

 三島由紀夫が立ち上がる前の自衛隊はどのようなものかというと、自衛隊員は職業訓練に行ってくるような感じだったのです。「自衛隊に行って大型の免許を取ってくるべ」という感じで自衛隊に行っていたのです。指揮官のレベルもその程度です。

 訓練所のように思っているから、2年くらいで除隊したのです。除隊して運転手になった人はたくさんいたのです。そのような雰囲気で、軍人という自覚ではないのです。「●●訓練所」のような感じで楽にやっていたのです。

 ところが佐藤守さんの本を読むと、幹部の自覚は全然違います。幹部は「軍人である」という自覚を持っていたのです。所謂「防人(さきもり)」です。日本の国を守る防人としての自覚を持っていたのです。

 当時、自衛隊の地位は低く、左翼全盛の時代だから「親が自衛隊の子供は入学させない」という嫌がらせもあったのです。或は石を投げられたりしたのです。防衛大学の学生が街を歩いていると、「税金泥棒!」というヤジがすごかったのです。

 そのような時代をじっと耐えてきたのです。皆、戦争があるとも思っていないし、楽になって、遊技場みたいになっていた面もあったのです。

 だから、楯の会の三島由紀夫が「諸君は武士だろう」と呼びかけをしたのです。すると「お前、何を言っているのだ! 何が武士なものか。俺たちは土方(どかた)まがいの自衛隊よ」という感じで見ていたのです。

 そこで三島由紀夫は煌々と演説したのです。しかも、切腹して果てたという、見事な死に方です。三島由紀夫がキチガイでない証拠に一人の青年と殉死したのです。三島由紀夫一人だと「気が狂った」と言われてしまいます。

 「そうではない」という若者の代表と一緒に死んだのです。その辺が三島先生のすごいところです。キチガイだったら原稿を破り捨てられて終わりです。そうではなかったのです。

 あの頃から変わってきたのです。皆、わからなかったのです。三島由紀夫が死ぬことにより、恐ろしいものを見てしまったのです。「なんだ、俺たちは武士だったのか。兵隊ごっこをやっている偽軍人ではなくて、武士だったのだ」ということに気が付いたのです。

 「将来のことは自衛隊に頼むしかない」と三島由紀夫は言ったのです。三島由紀夫がそのように言った意味は、憲法の改正です。憲法が矛盾しています。それと同時にGHQにより押し付けられた憲法だから、この憲法を持っている限り日本は復興しません。三島由紀夫の趣旨はそうなのです。

 「自衛隊の諸君は、憲法により否定されている。憲法では軍人がいないことになっている。では、君たちは矛盾しているではないか。なんだ、その鉄砲は。なんだ、その戦車は。自分たちの存在を認めない憲法を命を賭けて守るのか?」三島由紀夫の論調は鋭いのです。「そんなもののために命を賭けて守れるのか?」この一言です。

 皆「ハッ」と気が付いて、「そうだ。憲法は改正しなければならない」とわかったのです。ところが安倍さんの言っている改憲論は意味が違うのです。三島由紀夫は「戦前に戻った憲法をつくらなければいけない」と言ったのです。おためおかしの平和憲法に、「戦争に行ける」という条項を取り付ければ、それでいいのでしょうか。いいわけがありません。

 「国の根本とは何か。それは天皇です。それを守ってきたのが、日本の文化と歴史です。それを守らないで、何を守るのか。それは諸君たちの命より尊いのだ」と言ったのです。その証拠に、三島由紀夫は「自分が割腹自殺をして、命より尊いものがあるという証拠を見せてやる!」ということやったのです。これは震え上がってしまいます。口先だけではないのです。

 「命よりも尊いものが存在するのです。だから諸君は命をかけられるのだ。それでこそ本当の軍人なのだ。それを引き継いでいくのは君たちなのだ」と言ったのです。

 この三島由紀夫の切腹事件の後に変わったのが石原慎太郎です。石原慎太郎は、当時インテリで田中康夫のように、わけのわからないことを言っていたのです。最初はリベラルだったのです。「日本が大事だ」とは言っていましたが、精神がなってなかったのです。自殺の後、石原慎太郎に三島先生の霊が憑りついてしまったのです。

 時々石原慎太郎はおかしくなって、「ああ、三島先生が歩いている」と言ったらしいのです。「先生来ていたのですか」と言ったり、人格が豹変したのです。

 三島由紀夫は石原慎太郎に会うときには、必ず刀を持っていたのです。天皇を否定したり、くだらないことを言ったら「斬り殺す!」という決意を持っていたのです。石原慎太郎は後でそれを知って震えたのです。「あの刀は本物だったのだ。俺を斬るためにもっていたのか」とわかると震え上がってしまったのです。石原慎太郎は、三島由紀夫と何回も会っていたのです。

 あれから46年経って論評もずいぶん変わってきました。時間はかかりましたが、元全学連の西部邁まで右になってしまい、朝までテレビの田原総一朗も右に変わってしまいました。もう左翼の論客などいなくなってしまったのです。すべて、口火を切って出る発言は右です。

 しかし、精神がわかっていません。安倍の馬鹿は憲法を改正しないで、日本を戦争の出来る国にしたのです。そんなことではいけません。昔の日本人の精神に戻すものでなければ意味がないのです。安倍は精神を忘れて、日本が戦争をできる国にしたのです。それに気が付いてきて、皆が怒っているのです。何が憲法改正でしょう。憲法改正に反対しているのではありません。お前のような男に憲法改正ができるのでしょうか。

 憲法とは国の礎(いしづえ)です。一番大事なことを考えていかなければいけません。安倍さんのような精神では憲法の改正はできません。そのようなことから安倍批判があがっているのです。

 それを安倍さんはまだ気が付いていません。安倍さんが書いた「美しい国日本」という本ガあります。どこが美しいのでしょう。

この美しい国の結論は、日本には死を超えて守らなければいけないものがあります。それは美しいことなのです。日本の特攻隊を考える場合に、「お母さん!」と言って死んだという馬鹿がいますが、そんな奴は一人もいません。皆、喜んで「靖国神社で会いましょう」と行ったのです。これが日本精神です。

現代人は生きることばかり考えていますが、命より大事なものがあるのです。それを知ったときに人間は強くなるし、命以上の大切なものがあるから、「それに命を捧げてもよい」という気持ちになるのです。

 自分の命が一番大切だったらそんな行動はできません。「俺は泣きわめいても、俺一人生き延びることが大事なのだ!」そんな人間を美しいとは言いません。

命よりも尊いもののために、まっしぐらに行く特攻隊のような精神、そこに美しさがあるのです。単に「平和だ」ということは美しさではないのです。

 「文化の中心は天皇である」と、三島由紀夫は見抜いたのです。文化はすべて天皇から出ています。2800年の歴史と悠久の大義を持った、世界最高の文化と歴史があります。これを表に立てて、世界に広めていかなければいけません。

 「いつまでも野蛮なことをやっていないで、貴方がたもこうしなさい」という規範を示すのです。これこそが文化と伝統というものです。三島由紀夫の魂ふりです。それが日本精神に入ってしまったのです。自衛隊がまず変わってしまったのです。

自衛隊の美しさを見てください。世界が憧れています。「軍隊を持ってはいけない」という憲法を持ちながら、軍をつくったのです。まず第一番に日本の自衛隊は精神の軍隊でなければいけません。

もうすでに世界中から「自衛隊は美しい」「カッコイイ」と言われています。最近では、米軍の戦闘機が「カッコイイ」と、旭日旗をつけています。そこまできてしまったのです。

 しかも戦闘艦の艦長が美人です。すごい軍隊になってきたのです。三島先生の魂ふりが今の自衛隊に大きくかかわっているのです。


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