権力について | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

世界は権力の仕組みによって動いているのです。権力ということは、それを行使する人間性とは何の関係もないのです。どんな馬鹿でも権力を与えれば、馬鹿なりに仕事ができるのです。何故ならば、人々は権力についてくるからであり、その人物についてくるからではないのです。

「ちょっと馬鹿だな」と思う人間が警視総監になったとします。すると警視総監という地位と権力を人々は恐れてついてくるのです。「立派な人だから警視総監になった」など、誰も思いません。権力に人格は関係ないのです。これが権力の秘密です。「立派な人格者が立派な権力を持つ」、これならよいのですが、人格と権力は関係ないのです。

権力者は自分に権力が付くと、自分の人格を全肯定するのです。「俺はこんなに権力がついた。俺の一声で警察官が18万人も動くのだ」となると、すごい権力です。「俺の人格のどこが悪いのだ?」と考える必要はありません。

自分が権力を持ち、18万人が一斉に行動するのです。自分が「大したものだな」と思いこんでしまうのです。「ここを直そう」、「ここを反省しよう」など、まったく考えない人間になってしまうのです。それは警察権力だけではなく、国家権力を持った役人もそうです。役人は、すべての認可権を持っているのです。

「あのお役人様に逆らったら許可がもらえない」などということが、たくさんあります。みな役人が握っているのです。新幹線も役人が判子を押さないとできないのです。役人が「ちょっと待て!」と言うと、止まってしまうのです。そのような恐るべき権力をもっているのです。

それで政治家になると、それが最高峰です。今、国家予算が約100兆円です。100兆円の金額をすべて自由にできるという権力を持っているのです。

そうなると、もう人格などというものは、どこにもないということがわかるのです。権力と相対するものに金力があります。金力というものも、権力を生みます。「池田大作が物怪(もっけ)である」と言っても、その背後に人々は何を見ているのかというと、金力を見ているのです。

池田大作に権力も金力もなければ、「あそこにキチガイがいる」で終わりです。ところが、膨大な何兆円というお金をもって、人々を支配するのですから、「ハッハッー」とひれ伏した方はそう思うのです。

ひれ伏させた方は、「俺は大したものだ、すごい力を持っている」と思っています。だから、人格を変更しようとか、「俺は間違っていた」という考えは、何もなくなってしまうのです。だから、妖怪=物怪(もっけ)になってしまうのです。

人間は自分の人格を向上させる人間と、それを振り回して無限に夜郎自大になって「俺は大したものだ」と思うのです。大したものは、お前の金力と権力であって、人格が大したものではないのです。

人格をいくら振り回しても、権力も金力もない奴が振り回しても「何を言っているのだ。お前なんか何もできないだろう」で、終わってしまうのです。しかし、我々庶民は金力も権力もないのです。

では、何をもって金力と権力と戦うのかというと、道理で戦うのです。権力者の側には道理はないのです。「俺の裁判官としての判決は道理がある」など、考えないのです。自分が道理なのです。「自分の判定はすべて正しい」と考えて判決を下すから変な判決が出てくるのです。

我々、受けて立つ庶民は、すべてを道理で考えなければいけません。国家権力ではない、金力ではない、物事の道理で考えるのです。庶民は道理をもって戦わなければいけないのです。

権力者に道理を求めることは無理です。絶対にできません。我々がしっかりと道理と正義感をもって、「間違っているだろう!」と大きな声を出さないといけないのです。そのためには「何が正しくて、何が間違っているのか?」ということを、ちゃんと勉強してわかっていかなければいけません。そのために教えているのです。

「正しい考えとはどのようなことか?」、「お前は間違っている」、「どうして間違っているのか」ということです。権力者に言われると人間は「そうですか」と言うのですが、権力がない人に言われると「何を言っているのか。お前の考えと俺の考えは同じだろう。考えが違うだけで、どちらの価値があるなどわからないよ」と馬鹿にするのです。

そうではないのです。価値はどちらかにあるのです。正しい理で考えているのか、デタラメに考えているのか、それにより「理(り)」というものが生まれてくるのです。

正理会は、日本全国に正理(しょうり)=道理ということを正していく目的でつくられた会です。道理のない社会は、暗黒の社会です。

「お前、こっちへ来い、豚箱へ入れ」こんな社会は何の道理もありません。権力をもっている人間は今でもそうしているのです。「あいつは疑わしいぞ。捕まえてしまえ。豚箱に放り込んでおけ!」放り込まれた方は大変です。拷問です。「お前、自白しろ、自白しないなら豚箱にぶちこむぞ!」と脅かされてしまい、無実であっても罪がどんどんつくられてしまうのです。それに対して庶民は道理で戦うしかないのです。

宗教界でも道理のない宗教がのさばっているのです。それは、「宗教は力だ」と思っているからです。「会員を増やして、信者を増やして、宗教団体を大きくして力を持てば、正義になる」と考えるのです。逆なのです。正義をもっている人が「力をつけよう」ということではないのです。

「俺たちが大きくなれば、俺たちが正義だ」ということになるのです。そのようなゲス野郎の考えで、創価学会や統一教会が日本の国を汚しているのです。そのためには、道理をしっかりと知ることが大事です。「日本がどのような人間によって支配されているのか?」ということを、誰も知らないのです。

日本における朝鮮人支配を明確にわかることが大事です。小泉純一郎も安倍晋三も他民族ですから、日本人を愛するわけがありません。では、「彼らは朝鮮人を愛しているのか?」というと、愛していません。彼らは朝鮮を迫害されて出てきた連中です。朝鮮を迫害されて追い出されて逃げてきた連中です。それで日本に住み着いた奴らです。それは、朝鮮を愛するわけがないのです。朝鮮を恨んでいるのです。

済州島においては、李承晩が10万人も朝鮮人を殺したのです。「助けてくれ!」とみな日本に逃げてきたのです。逃げてきた人間が朝鮮を尊敬したりしないのです。朝鮮人は朝鮮人を愛してなどいないのです。朝鮮人を恨んでいるのです。

日本で政治的権力をつくり、孫正義のように実業家になっても、日本人も恨んでいるのです。彼らはどちらも恨んでいるのです。朝鮮人が日本籍を取って、韓国に尽くすことはあり得ないのです。

では、日本にいる朝鮮人はどのように思っているのかというと、日本を“第二の韓国”だと思っているのです。このように言うとわかりやすいのです。日本という名前の、第二韓国をこの国に造ろうとしているのです。名前は日本です。

権力を取った日本籍朝鮮人達は、まず日本が大嫌い、日本の歴史が嫌い、日本の天皇が嫌い、日本の皇室が嫌いなのです。

2800年の歴史に伝統を感じ、先祖を尊敬して、「この国を発展させていこう」と思う人が日本人です。日本籍朝鮮人にとっては、“第二朝鮮”ですから、そのように思わないのです。

「日本は労働力があり、お金があり、それを俺たちに提供してくれる有難い奴隷たち」このような考えです。これが彼らの政治姿勢です。これを知るか知らないかにより、日本人の意識が全然違ってくるのです。

「安倍さんはご立派」など、冗談ではありません。すでに経済はマイナス成長です。そして、中近東の戦闘にも加われば、日本にもテロがやがて起きるでしょう。その土台を安倍さんはつくっているのです。

日本人を馬鹿にしている目つきです。そのようなことをちゃんと見ていくと、「何が正しいのか」ということがわかってくるのです。「この連中は口で言っていることと、やっていることは違うな」とわかってくるのです。

天皇を亡き者にして、女性天皇にして、そこに朝鮮人が入り込めば、完全に日本という名の第二韓国ができてしまうのです。このようなことをよく見て、正しい目を養っていくことが大事です。


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