日本にいても外国人 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 日本の国土に暮らしているけれども、日本の国籍がない者がいます。この代表的な人たちが在日朝鮮人です。70年もずっと日本にいるのに、日本国籍がなくて韓国籍のままなのです。帰化した者は別ですが、まだたっぷりと在日朝鮮人がいるのです。

 その他に日本人になっているのですが、メンタリティーが違う者達がいるのです。これが部落民です。それからアイヌ人もいるのです。アイヌ人は少なくて2~3万人らしいのです。しかし、アイヌ民族としてのアイデンティティーをもっていて日本国籍をもっているので、日本人ですが民族のメンタリティーが違います。「アイヌはアイヌである」ということです。

 そのうち、部落民は日本に長くいるのですが、明治5年に戸籍法が実施されて日本人になったのです。その前、部落民は戸籍がなかったのです。戸籍がない民族は他にもいて、サンカといったのです。

 昭和30年頃には、関東の秩父に「サンカがいる」と言われたのです。サンカは、絶対に一か所に住まないのです。河原に住んでテントを立てます。それも非常に簡単なテントで棒を1本立てます。布をかぶせるだけで、その中で生活します。テントの中に囲炉裏をつくり、火をくべて何でもその中で料理をするのです。

 財産はテントの布と鉄なべです。それがサンカの財産です。ナイフはウメガイという独特の短剣です。サンカは日本籍がなく、山から山を移動したのです。河原に来て竹細工の籠をつくり、それを村人に売りに行くのです。村人は籠を買い、お米をあげたのです。お米をもらって帰ったのです。

サンカは家族単位なので5~6人で生活しているのです。几帳面でお風呂は毎日入るのです。河が流れている傍なので、石を取り除いてお風呂をつくり、そこに水をはり、石をたき火で真っ赤に焼くのです。その焼いた石を水たまりに入れるとお湯になるのです。それがサンカのお風呂です。

サンカは言葉も文字も違います。サンカ文字があるのです。全国に10万人くらいはいたのだと思います。これが明治5年に戸籍が与えられて日本人になったのです。

部落民は町中や村はずれにいたのです。仕事は牛や馬の皮を剥いで干してなめしてそれを売ったのです。汚い仕事をやっているから穢多(えた)と呼ばれたのです。穢多(えた)とは、「汚い人々」という意味です。

河原で生き物を殺して動物の皮を剥ぐなど、普通の人はやらないので嫌われたのです。この穢多のルーツは、船に乗って大陸から来た渡来人だと僕は考えています。日本には村がでてきていて、村の戸籍があり、集団生活が行われていたのです。そこに後から船に乗ってやってきた渡来人は村人とは言葉も違いなじみません。

朝鮮人が船に乗ると日本海を渡り、西日本の海岸に着くのです。そこで村に行っても入れないのです。村に入れないから河原に住んだのです。何故河原に住んだのかというと、水があるからです。人間は水がないと生きてはおれません。河原のそばに住んだのです。だから、穢多(えた)のことを「河原者」と言ったのです。

歌舞伎もそうです。元はと言えば部落民です。河原でお芝居をしてお客を集めてお金をもらっていたので「河原者」と呼ばれたのです。船に乗って大陸から日本に来た人間は、村人になれません。或は村から逃げた人間が行く所がないので、穢多(えた)の仲間になったのです。

もう一つ、非人(ひにん)があります。非人とは平民の身分から借金だらけで村から逃げてしまい、戸籍がなくなった人間です。非人は、借金を返せば籍はもどれたのです。非人は戻れるのですが、部落民は本拠地ですから戻れません。この人たちも明治5年に戸籍法により苗字をもらったのですが日本政府はすごいことをやったのです。

「東・西・南・北」、「上・中・下」という名前をつけたのです。これは部落民につけた苗字です。部落民は元から苗字などないのです。その他、「神・仏」です。仏は「おさらぎ」と読みます。そのように読むのです。「上村(かみむら)」という名前も部落民です。それから人体の手・足・目・鼻をつけたのです。見目という苗字は、「見る目」ですから完全に部落民だとわかります。

それから動物の名前をつけたのです。猪口という国会議員がいますが、動物の名前に人体の「口」です。部落民はすぐにわかるようになっているのです。それを役所の人間はわかっているのです。苗字を見ると「これは部落民だ」とわかるのです。明治政府は「後々100年先までも出身がわかるように苗字をつけた」、ということなのです。

朝鮮人の場合、通名は自分でつけるのです。ロッテの重光武雄は、辛 格浩(シン・キョクホ)という朝鮮人です。「重光外相」の名前を勝手にとって、通名にしているのです。朝鮮人はよい名前をつけていますが、本名は違うのです。

穢多(えた)は関東にはほとんどいなかったのです。東北にもいません。四谷に少しはいたのですが、関西に行けば人口の3分1は部落民です。大阪に行って僕も驚きました。「同和会館」があるのです。同和会館は大きなビルになっていて、そこで結婚式や葬式などを行うのですが、普通の人は入れないのです。逆差別です。部落民は同和会館に入って優雅な生活を送るのです。

島崎藤村の『夜明け前』という小説は同和の問題を書いたのです。同和出身者が学校の先生になるのです。学校で差別される話です。島崎藤村本人も同和だったのです。僕の知っているある人も親戚が先生ばかりです。

「同和は差別されている」と言って政府からお金が出たのです。枠を設けて教育関係に多く部落民が入ったのです。島崎藤村も学校の先生だったのです。小説も話も同和の学校の先生の話です。主人公は東(あづま)というのです。東は部落民の苗字です。

この連中は法務省に入ったのです。これは同和枠です。「同和は差別されて就職できない。就職する枠をよこせ!」と日本政府に迫ったのです。「警察官に何名の枠をくれ、法務省に何人の枠をくれ」、という交渉をしたのです。

法務局へ行くと会社の謄本など出してもらいますが、あの職員はほとんど同和です。法務局は同和の利権です。今の同和は立派になっているので、逆差別です。「同和」と言うことにより、日本政府から如何にお金を引っ張り出すかということです。同和は精神的には日本人ですがメンタリティーがちょっとおかしのです。

僕が問題にしている帰化人は、日本籍をもった朝鮮人です。これは帰化人ではないのです。日本籍を持った日本人にならないと本当の帰化人にはならないのです。日本籍の台湾人、日本籍の中国人など、これらは日本人ではないのです。

そんなものは帰化として認めてはいけないのです。これがここで述べている大事なテーマです。日本人は日本国籍をもっと大事にして、日本国籍にプライドを持ち、プラチナカードにしていかなければいけません。


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