人類の夜明け | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

人間は生まれたときには純粋であるから悪人はいない。

赤ん坊は殺し合いをしない。

小学生も珍しい例をのぞいては人殺しはしない。

だんだん大人になるにつれて知恵がついてくる。

そして、知恵がつくにつれてお互いに仲良くしないで殺し合いを始める。

これはどのようなことなのでしょう。

昔、ギリシャの母親が「子供は体を鍛えていますが、やがてこの子の頭は斧でかち割られる。なんという可哀想なことか」という詩が残っています。

考えてみてください。

知恵がある大人、子供より知恵がある大人が、ライフル・機関銃・ミサイル・戦車で大量に人を殺し憎みあい、お前たちは何なのでしょう。

人間ではないのだね。

殺しあっている奴らは人間ではないのだ。

もう一度言う。

子供のときには誰も人殺しをしなかっただろう。

それが大人になるにしたがって、大戦争を起こして、手足が吹っ飛び、内蔵が飛び散り、なぜそのようなむごいことを平気でできるのだ。

親が死んだ子供は泣き叫び、食料もなく家も焼かれて、何が楽しいのだ。

これは大鉄槌を下していかなければならない。

神はこの現状を見て絶対に許すはずがない。

ライオンだって同じ種族で殺しあってなどいない。

ある程度まで傷つけたらやめるのに、人間は徹底的に殺し合い、一瞬にして何千万人と焼き殺せる水爆を持ち、潜水艦に水爆を積んで、航空機には原爆を積んでいるのだ。

まさに悪魔の所業としか言いようがない。

人類は大反省をする必要があるのだ。


何故、このようなことになるのかというと、人生の目的がわかっていないからこうなるのだ。

人生の目的は殺し合いではない。

悪魔に魅入られてしまっているのだ。

長ずるに従って人間は神になっていくのではなく、悪魔になっていくのだ。

ということは、人類は悪魔の眷属である。

これに気が付いて神の眷属、或は仏の眷属に人生を変えていかなければいけない。


わが日本の教えは世界に冠たる教えだ。

人間は神から生まれたものである。

大部分の世界の国の人々の先祖は動物である。

北朝鮮は白頭山の熊です。

熊から人間が生まれたのだ。

成吉思汗は青き狼が先祖、ローマ帝国の先祖は双頭の鷲。

先祖をたずねれば動物になってしまうのだ。


わが民族だけは違うのだ。

我らの先祖は神であり、神から人間が生まれた。

人間は神の子であるから、人間は神なのだ。


神は霊界からこの世を創ったけれども、まだ不不十分であるから、人間達が力を合わせて、悪いものをのぞいて明るい神の国をこの地上に造っていかなければいけない。

日本の教えはこのような教えだ。

神様から我が国に与えられた第一神勅は「修理固成(すりこせい)を成せ」ということだ。

「人間の生きる目的とは、世界を修理して固めて素晴らしい国にしていくのだ」これが第一神勅であり、人間の生きる目的だ。

人間の目的は殺し合いではない。

頭をかち割るのが人間の目的ではない。

なんという愚かな姿をしめしているのだ。


中国人は人間を食べる。

人間が人間を食べるということは神の教えではないのだ。

悪魔だということを物語っている。

中国人は人間を兵隊に連れていき、兵隊は食料だ。

馬鹿なことを言うものではない。

人間の料理の仕方が何種類あるのだ。

塩辛、なます、生肉、まんじゅう、餃子、これらに人間の肉を入れてつくるのだ。

これが中国人であり、中国人は食人種なのだ。

なんという慈悲のない哀れな姿なのだろうか。


キリスト教は愛を説き、仏教は慈悲を説く。

慈悲と愛はどのように違うのか。

愛は人を愛することだ。

愛する反対の言葉はヘイト(憎しみ)だ。

慈悲の言葉の中には、憎しみはない。

慈悲の中では「人間は馬鹿で、気の毒で、哀れなものだな」と思っている。

哀れと思っているのでので、憎しみはでてこない。

哀れな人間に知恵を授けて立派な人間にしていくことが、仏教の目的であるから、仏教は光を説き、キリストは愛と憎しみの明暗を生んでしまうのだ。

それでは世界は救えない。

やはり仏教の慈悲を中心にして、生きとし生ける者は反省して、愚かな生き方をやめていくのだ。

そして、人間の生きる目的は仏陀になっていくという崇高な目的である。

神はもともと神であるから、磨いていけばいいのだ。

世界に仏の慈悲と神の目的、この二つを教えていくのである。

もともと我々は神であるから、完璧な神になるように努力していくことが大事なのだ。

世界の人類がこの考え方になったならば、世界に戦争は起きない。


子供は殺し合いをしない。

なぜ知恵ある大人になって殺し合いをするのか。

このくらい愚かなことはないのだ。

しかし、これを生むのは宗教である。

形而上学の宗教を信じることにより、他の宗教を信じる者を憎み、頭をかち割っていくという考えは人間の考えではない。

もし、本当の神がいるならば、三つの神に分かれて現れるわけがない。

ユダヤの神、イエス・キリスト、マホメットに現れたアラーの神に分かれるはずがない。

神は一つでいいのだ。

いきなり神が出てきて「わしが神だよ」と言えばみなが納得する。

たくさんの神がでてくるからいけないのだ。

そのようなものは人間がつくりだした悪魔の形而上学だと知る必要がある。

それを人類が知ったときに、本当にこの地上から戦争がなくなり、みなが楽しい生活を送れるようになるのだ。



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