勇気の出る話 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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※若い頃の東郷平八郎(東郷元帥)


 なかなか世知辛い世の中で元気がなくなる話が多いのですが、このような時に本当に勇気が出る話を知っておく必要があります。

 まず、第一番に東郷元帥についてです。東郷平八郎(1848年―1934年)薩摩藩藩士に生まれて、元服するまでは武士だったのです。それからイギリスに留学するのですが、鉄道の技師になりたかったのですが、当初ダートマスの王立海軍兵学校への留学を希望したがイギリス側の事情で許されず、ゴスポートにある海軍予備校バーニーズアカデミーで学び、その後に商船学校のウースター協会で学ぶことになる。留学先では「To go, China(支那に行け!)」と言われたりしていじめられたのです。

しかし宮古湾開戦に参戦していたことを告げると、一躍英雄として扱われることとなったのです。

 横須賀の三笠記念館に行くとわかりますが、東郷元帥は非常に小さい人です。靴が残っているのですが、非常に小さくて子供の靴かと思うくらいです。戦艦の中の東郷元帥の部屋には小さいベットがあり「こんな小さな人だな」とわかります。今でいうと145センチくらいだと思います。

 連合艦隊司令長官に任命されるときに、日高壮之丞(ひだかそうのじょう)に「お前、今回は降りてくれ。今回は国をあげての大戦争だからおぬしはおりてもらう」と言うとキチガイのように怒って、「わしを提督から降ろすとは何事だ!」と怒るのです。「適任は東郷どんだ!」と言うと、おさまったのです。それくらい人徳があったのです。

 東郷さんは、いい男です。俳優にでもなれるような男で滅茶苦茶モテたのです。芸者を買いに行って1週間くらい居続けたという話もあるのです。ともかく緻密な人です。若い頃に大久保利通に「留学させてくれ」と言うと、断られたのです。「なぜダメなのですか?」と聞くと、「お前はダメなのだよ」と言われたのです。

 後で大久保利通が人に語った話で「東郷はおしゃべりだからダメだ」と聞いたのです。東郷さんは西郷さんに「留学させてくれ」と頼むのです。最後は二つ返事で決まったのです。自分が「おしゃべり」ということに気が付いてしゃべらなくなったのです。最後は「寡黙の東郷」です。ほとんどしゃべらなかったのです。それで凄みを増してきたのです。

 横須賀の戦艦三笠を見るとわかりますが、東郷元帥の立った位置があるのですが、三笠は何発も弾が当たって灰が積もってくるのですが、1歩たりとも動かないのです。このような話は勇気が出る話です。「艦長中へ!」と言われても「ここでよい、俺に弾は当たらない!」と言ったのです。これは勇気のある話です。我々もこのような行動をしなければなりません。

 それから騎兵隊の生みの親である秋山好古(1859年―1930年)です。秋山は戦場で弾がどんどん飛んでくるのですが、ものすごいお酒好きで、いつも水筒の中にお酒が入っていて、弾が飛んでくる方向に仁王立ちしたのです。「部隊長、弾が飛んできます!」と言うと、「黙れ、わしに弾は当たらない!」と言うのです。この勢いがすごいのです。このような話は覚えておいて損はありません。

 それから太閤秀吉です。太閤秀吉が大仏をつくっていました。大地震で大仏が壊れてしまい「大事故が起きるのではないか」、「仏様が壊れたのだから災いがふってくるのではないか」と、京都の人々が恐れおののくのです。

 その時に太閤秀吉がそれを聞いて「わしがその偽仏を退治してやる!」と言って、大仏にむかって弓矢を射るのです。すごい度胸です。今と違い「神仏は絶対」と思われている頃です。その仏に向かって弓を射るのです。「仏とは衆生を守るものだろう。それが自分で壊れるなど、偽物に違いない。偽物ならば余が退治してやる!」と言って弓を射ったのです。すると「太閤様は凄い!」となり人々の恐怖がおさまったのです。

それから新撰組では隊士を40名切腹させています。2~3年の間に隊士を40名切腹させているのです。ちょうど新撰組の宿営地の裏に壬生寺があり、そこで「幽霊が出る」というウワサになったのです。それを聞いた土方は「古来より武士に怨霊なし」と言ったのです。武士は古来より恨みを持ちません。死ぬのが職業です。殺すのも職業ですが、自分も殺されるかもしれません。そのような職業が武士であるから、「武士に怨霊なし」と古来から言われています。

それを「幽霊になって出るとは何事か、斬り方が足らないのに違いない。切りなおしてくれる!」と一人でその墓地に行ったのですが、幽霊は出なかったのです。すると「土方さんはたいしたものだ」というウワサが広がったのです。

このようなことが「人間が元気になる話」と言うのです。せせこましく計算ばかりしている世の中で、このような話は非情に参考になるのです。「いざ!」と言う時に人間に弾は当たりません。英雄豪傑には弾が当たらないのです。ちょっとずれていれば死んでしまうところが大丈夫なのです。

大久保利通が襲われたときにピストルがなかったのは運のつきです。たまたま自分の護身用の6連発の拳銃を修理に出していて襲われたときにはもっていなかったのです。その時に襲われてしまったのです。これは運のつきです。

つきのある人間になっていきましょう。何事も恐れないつきのある人生を送っていきましょう。


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