安倍談話について | 中杉 弘の徒然日記

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 内閣総理大臣談話を検証していきたいと思います。

内閣総理大臣談話

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。」

これはその通りです。全く何も言うことはありません。

 「百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」

 これもその通りです。これはよく言ったと思います。今までの総理談話は、主語が「日本」です。「日本が侵略しました。日本が植民地にしました。従って日本人はお詫びします」というやり方です。

安倍さんは違うのです。「西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。」と言うのですから、植民地追及をすると、西洋も追及されてしまうことになるのです。これはよく言えたと思います。本当は日本も植民地にされるところだったのです。それをされないようにして頑張ったのが日本国です。これで西洋の植民地政策をバチッと切っています。これはよいことです。

 「世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。」

 これもその通りです。第一次世界大戦を通して、植民地にされた人々が「民族は独立しなければいけない」という動きが世界的に広まったのです。さらに抑圧するためには武力をもって戦ったのですが、あまりにも悲惨な戦争なので「戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました」これもその通りです。

 「当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。」

 これもこの通りです。アメリカ、ヨーロッパでブロック経済が生まれたのです。日本はどこにも入っていません。非常に締め付けられる形になりました。それを打開しようとしたのです。日本を孤立化させるために、どんどんブロック経済を強めていったのです。それで日本は孤立したのです。

 日本は孤独になったところを武力によって突破口を開こうとしたのです。その通りです。

 「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。」

 これはちょっと文句があります。満州は日本が頼まれたことなのです。満州に独立国を造り、列強が怒ったのです。日本にしてみれば、独自のブロックを造りたかったのですが、それは世界の兆候に逆行します。自分たちはブロックをやりながら、人が新しいブルックを造ると、西洋列強がすぐに逆上してきたのです。自分はたっぷりと植民地をもっているクセに、今度は日本が一つでも植民地にしたら逆上して怒ったのです。これは西洋人の特性です。よくこれも書いています。その通りです。主語は「日本」ではないのです。「満州事変、そして国際連盟からの脱退」意見が合わないのです。

 「そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。」

 これもその通りです。

 「先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。」

 これはNHKで面白いことを言っていました。終戦時、どのくらい戦力があったのかというと、800万人の勢力が大陸にあったのです。その戦いでは一つも負けていないのです。全勝しているので意気盛んです。「負けるってなんだよ。俺たちは勝ち続けてきているのに、何が負けなのだ!」という考えです。大陸から見たら、日本列島が原爆ですべてやられても大した問題ではないのです。こっちが残っているぞ」と考えて、満州国に独立国を造ろうとする考えもあったのです。それから特攻機はどのくらいあったのかといと、1万機です。それから6メートルくらいの特殊ボートは、2千300艇あったのです。すごいのです。それがすべて特攻で突っ込んでいけば戦況はずいぶん違います。

 アメリカ軍は日本上陸のために、70万人の軍隊をそろえなければならなかったのです。あの戦争はすぐに終わっていないのです。「やるべし!」という意見が強かったのです。天皇の玉音放送は「あんなものはインチキだ。誰かがかってにやっているのに違いない」と思って、皆やる気満々だったのです。それをどのようになだめるのかが大変だったという話をNHKでやっていました。

 「戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。」


 こんなことはくだらないのです。戦争は我が国だけがやったのではありません。第一次世界対戦では、約1億人の人間が死んでいるのです。我が国だけが「損害と苦痛」を与えたのではないのですから、こんなことは言わなくてよいのです。戦争などというものは、悲惨で苦痛だということは当たり前のことです。そんなことで詫びる馬鹿はいないのです。

 「これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。」

 全然違います。犠牲の上に平和がるのではありません。すぐにアメリカとソ連が仲たがいして原爆戦が始まって、ケネディー大統領の頃には本当に水爆戦が起こると思って防空壕を掘って大変な恐怖だったのです。何もこんな戦争の上に平和があるのではありません。戦争は人類につきものです。無しにすることはできないのです。

 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。」

 安倍さんはどのようなために、このようなことを言っているのでしょう。こんなことを言ったら集団的自衛権は成り立ちません。「国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」と言っているのですそれなのになぜアメリカと集団的自衛権を組むのでしょう。集団的自衛権は武力です。おかしいのです。これは矛盾しているのです。内閣総理大臣談話として発表しているので、これでは戦争はできません。ストッパーをかけるつもりで言ったのならばよいのです。

 「先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。」

 これは違います。これは日本だけでできることではありません。「米軍が背後にいて日米安全保障条約を置いて、アメリカの核に守られながら日本は平和と安全を保ってきました」というべきです。平和と安全を自国で守ったのではありません。アメリカ軍がいたからできたのです」なぜ、このように言わないのでしょう。

 「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。」

 これはODAということです。アジアの国に迷惑をかけたから、ODAを差し上げました。アジアの国々が繁栄するように努力してまいりました。このように言うべきです。アジアの国々も「日本のおかげで繁栄しました」と言えばよいのです。

 「こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。」

 こんなことはどうでもよいのです。

大事なところは解説しました。こんなところです。


 「ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。」


                平成二十七年八月十四日
                内閣総理大臣  安倍 晋三


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