安倍首相戦後70年のお詫び | 中杉 弘の徒然日記

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 いよいよ8月15日の終戦記念日の1日前、安倍首相の戦後70年談話が発表になるらしいのですが、そこでガッカリしたことがあります。

 村山首相が言った「侵略・植民地・お詫び」という文句がすべて入り、ほとんどこれは村山談話の継承だと言われています。村山は左翼の代表であの内閣自体おかしいのです。自民党の方が多数なのに左翼の村山さんを首相にして「村山談話」など馬鹿なことを言って、河野談話も、小泉談話も「継承する」というのです。

 しかし、これは計画であり、根本にあるものは安保法案です。安倍はなんとしても安保法案を通したいのです。諸外国の反発を恐れて「安保法案などやって軍国主義の復活だ!」と言われてはかなわないので、それを抑えるために「すみませんでした。日本は邪悪な国でした」と言って、安保法案を通そうとしていることが読めるのです。今回の談話は本心ではないのです。

 戦後70年の談話を出すのであれば、日本人に対するメンタリティーもしなければいけません。安倍は前半の部分で謝罪しながら、後半では「戦後我々は平和国家です。様々な平和活動をして一人も殺していません。これが我々の生き方であり、どうか見守ってもらいたい」ともっていくはずです。

 しかし、談話を聞くのは外国人だけではありません。日本人に向けてはどうやって説明してくれるのでしょう。この視点がないのです。外国人はそれでおさまりますが、多くの日本人は傷つくのです。多くの日本人のメンタリティーは、「あの戦争はアメリカにだまされて引きずり込まれた戦争だ」とわかっています。ルーズベルトがほくそえんでいるのです。「ざまあみろ、日本は罠にかかったのだよ」と言っているのです。

 ルーズベルトの罠にかかり、真珠湾攻撃をした日本は、根本的な間違いがあるのです。どうしてかというと、日本が先に手を出したということです。これは間違いです。絶対に喧嘩は先に手を出してはいけないのです。

 「手を先に出したほうが悪い」と言われるのです。西部劇でも喧嘩をする場合は銃を「おい、抜け!」と言います。相手が銃を抜いていないのに撃ち殺すと大問題になるのです。相手が抜くということは、相手に殺人の意思があるのですから、それに対して撃ち返したならば正当防衛が成り立つのです。先に撃ったり、後ろから撃ってはいけないのです。そのようなルールがあるのです。

 真珠湾攻撃では、2千名近い水兵を殺してしまったのです。これは何と言われても仕方ありません。日本のミスです。理由はいくらでもありますが、先に手を出してはダメなのです。本当の名将ならば、ずっとこらえて「これでもまだのってこないか!」と言った時にまだのらないのです。アメリカがしびれを切らせて攻撃をしてくるという状況を作り上げなければいけなかったのです。

 その状況をつくりあげれば、「日本が先制攻撃をした」とは言われないのです。ここまでじっと我慢しなければいけないのです。「もう我慢ができない」と爆発してしまったら、爆発したほうが悪いのです。忠臣蔵もそうです。浅野内匠頭が我慢できなくてやってしまったのです。殿中で刀を抜いたら切腹です。浅野が悪いのです。吉良上野介に刀を抜かせればよかったのです。そうすれば、殺してもかまわないのです。先制攻撃はいけないのです。これは絶対に守らなければいけないルールです。

 9.11以来、アメリカは先制攻撃ができるように法律を変えてしまったのです。普通はそんなことはしません。

 日本は、ハーグ国際条約を守り無辜の市民は殺しませんでした。捕虜は殺さないと徹底しているのです。ところが捕虜を殺すというのは、国際法違反です。アメリカ人は日本の捕虜をずいぶん殺したのです。「捕虜はとるな。ブチ殺せ」と言って殺したのです。ひどいものです。沖縄では多くの日本兵が殺されて、首をはねてグタグタとドラム缶で煮て、アメリカ人はガイコツをおみやげに持ち帰ったのです。このようなひどいことをやったのです。

 それだけではありません。東京大空襲、横浜大空襲、名古屋大空襲、大阪大空襲、九州大空襲で、200万から250万人の無辜の市民が殺されたのです。これはハーグ国際法の違反です。アメリカが悪いのです。

 しかも原爆を広島と長崎に落としたのです。プーチンは「アメリカを訴えろ!」と言っています。原爆の日がくるたびにアメリカ人は胸が痛むのです。「しまった! やってしまった!」と心が痛むのです。これもアメリカの先制攻撃です。

 どの国も使っていないのにアメリカは原爆を日本に使ったのです。原爆の日がくるたびにアメリカ人は「あんな悪いことをやったのだ」と胸がいたむのです。これこそ人道に対する罪です。

 東京裁判で裁かれたのは「人道に対する罪」です。「人道に対する罪」とはアメリカのしてきたことです。東京に丸く爆弾を落として、中にいる人間が逃げられないようにして、十字に爆弾を落としたのです。すると中にいる人間はみな焼き殺されたのです。こんなことは人道に反する罪です。

 戦争のやり方もそうです。山本五十六司令長官が最低の人間だったということを覚えておく必要があるのです。「1年くらいなら戦えるけれど、後は知りません」など、そんな司令官があるのでしょうか。

 「1年は戦ってみせます」これは見せ場です。「あとは知りません」そんな軍人がいるのでしょうか。本当に先制攻撃をするならば、徹底的にやればよかったのです。それはハワイ島の占領です。ハワイのパールハーバーを滅茶苦茶にしたのだから、占領すればよかったのです。たっぷりのガソリンもあったのです。市民をすべて捕虜にすればよかったのです。

もともとハワイ王国があり、「日本に入れてくれ」ときたのです。それをアメリカの関係もあるので、「日本に編入するわけにはいかない」と断ったのです。そのスキにアメリカがハワイをとったのですから、別に日本がハワイをとっても不思議ではないのです。

 ハワイを浮沈空母にして米本土に爆撃をすればよかったのです。そうすれば、「助けてくれ」と言います。準備ができないうちにやってしまえばよいのです。確かにアメリカは国力がありますが、立ち上がるスキを与えないように本土爆撃をしてしまえばよかったのです。アメリカ人はそのような攻撃に弱いのです。「参りました!」ということになったのです。

 何しろアメリカは本土が攻撃されたことは一度もないのです。そこで空爆をやっていれば「何とか助けてくれ!」ということになったのです。それをやらなかった山本五十六司令長官は馬鹿です。部下の源田少将が「やりましょう!」と言っても山本五十六は「もういい、目的を達成したのだからもう帰るのだよ」と言ったのです。「空母が四艦も逃げていますよ!」と言うと「それはいいのだよ」と山本五十六は言ったのです。このような奴なのです。何が名将なのでしょう。こんな人間が名将なわけがありません。

 先の大戦は天皇陛下の詔にあるがごとく、『開戦の詔勅』があるのです。「このようなわけで戦争します」このようなことをやっているのは、日本だけです。どのような意味でこの戦争を始めるのか? 「大東亜の侵略の500年史、アジアの国々はみな白人の植民地になっていたのです。日本も植民地にしようと思っているのです。この横暴に対して立ち上がったのです。目的は大東亜の解放です。白人から大東亜を解放して同じ民族になることだ」とはっきり書いてあるのです。

 そのような意味でいうと、大義は日本にあったのです。これをふまえた談話にしなければいけません。「お詫び・植民地・侵略」を談話に入れるなど、何を馬鹿なことを言っているのでしょう。これでは日本国民は傷つきます。外人が喜んで日本国民が傷ついてこれでよいのでしょうか。談話は日本国民を奮い立たせるような立派な内容でなければいけません。「あれは正義の戦いであった。我々の戦いによりすべての植民地がなくなったのです。これは日本軍の働きによるものだ」と堂々と言えばよいのです。

その反面「迷惑をかけました」と言えばよいのです。「目的は達成しました。我々は命がけでこの戦争を戦ったのです」と言えばよいのです。目的は白人支配からの脱却です。そのようなことを入れないと外人は喜んで、日本人は傷つくのです。こんな姑息なことをやってはいけません。日本人にも誇りをもてるようにやらなければいけません。「あの戦争はすべて無意味だった。すべて日本が悪いのだ」などありえないのです。しっかりしてくれ安倍さん!



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