三島由紀夫と日本刀 ⑦ | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 この間、イラクに派遣された自衛隊員は「全員無事で帰ってきました」とヒゲの佐藤隊長がいいましたが、実際はウソで35名の自衛隊員が死んだのです。これが真相です。

 35人の死因は「半数は病気で、半数は事故で死んだ」とこのような発表をしています。どうやらこれも本当は戦死らしいのです。

 まず、「全員無事で帰ってきました!」と言っておいて、「病気・事故で死んだ者が35人いた」というのです。ウソなのです。実際は戦闘に参加していたというのです。米軍を戦闘先まで輸送していたというのです。

 イラクの海外派遣から無事に帰ってきた自衛隊員はノイローゼになってしまったのです。帰国後に自衛隊員が28名も自殺をしています。精神不安や睡眠障害になってしまい夜中になると眠れないのです。それはそうです。寝ているところに砲弾が吹っ飛んできて隣の人間がグチャグチャになって内臓が飛び出し脳みそが飛び出して死んでしまった経験を1回でもあれば、怖くて夜になるとうなされます。またいつ弾が飛んでくるかわからないので怖くて眠れません。アメリカ兵も心の病PTSDPosttraumatic stress disorder:心的外傷後ストレス障害)に悩まされています。

 イラクから帰ってきた人間がほしがったのが銃です。「銃をくれ、弾も用意してくれ!」というのです。ここがポイントです。銃を抱いて弾をそばに置かなければ眠れないのです。ところが、自衛隊はそんな人間に銃を貸しません。銃をしまって鍵をかけてしまいます。だから何も武器はもてないのです。すると夜中に「銃をくれ!」「弾をくれ!」というのです。それが実話です。そのようなものだと思います。

 戦争は戦って「怖い」と思うのになぜやれるのでしょうか。それは、武器をもっているからです。もし武器をもたないで戦場に行けば虐殺されるだけです。それは悲惨なことです。ところがもし銃の1個でもあれば、やはり気分が違います。「俺はやられるかもしれないけれども、あの野郎をやっつけることもできる!」と思うと急に気が強くなります。アメリカ国民は「戦争が好きで戦争に強い」ということにも原因があるのです。

 アメリカには2億5千万丁の銃が売られているのです。一般の国民がみな銃をもっているのです。家庭の奥さんも、お父さんも、お爺ちゃんも、おばあちゃんも銃をもっているのです。枕元には拳銃が置いてあるので、お父さんがいない間にドロボウが来ても、奥さんはすぐに拳銃をもって相手をやれるのです。だから平気で野原の中に家を建てているのです。何もなかったらそんなことはできません。

 武器というものは「相手を殺す」ということよりも、自分の気持ちが変わってくるのです。今でもイエメンでは、男は全員短剣をもっています。男は三日月方の短剣を腰にさしてもっているのです。剣は男の自覚を与えるのです。短剣を1本持つということは、急に強くなったような気がして「俺も大人なのだな」と考え方が変わります。これが武器を持つという大事な点です。

では、どこまで武器を持てばいいのかというと、きりがありません。「機関銃を持たなければ眠れない」とか、「大砲を持たないと眠れない」など、ここまでいくとやりすぎですが、やはり最低限の武器を持つことが大事です。

自衛隊の将校は必ず拳銃を持ちます。将校は、ライフルなどはもちません。武器というものは、魂の象徴だとわかります。武器には、機関銃・小銃などありますが、一番シンプルな武器はやはり剣です。

昨日も時代劇チャンネルで『龍馬伝』を少し見ましたが、武士はみな刀を差しています。気合が違うのです。「何かあったらお前を殺すぞ!」ということですから、同じ議論をして「俺の意見を通さなかったらお前を斬るぞ!」という気迫が『龍馬伝』の中にみなぎっています。

「間違っていたらお前を殺す、俺が間違っていたら俺を殺せ!」というようなすごい気迫があるのです。あれは、やはり刀からでてくるのです。刀を武士は2本もっています。「俺はお前を殺せるぞ!」「この刀1本あれば大暴れができる!」ということで、非常に人間を強くしているということがわかります。

 商人は刀を持たないので、そんな気迫はありませんが、武士は刀を持つことにより、「やる気」「正義感」「妥協しない」「負けないぞ!」という気持ちが出てくるのだということがよくわかります。

 江戸時代には武士の子女は懐剣(袋に入れて胸に差す短い刀)を必ずもっていました。それで初めて「武士の娘だ」という自覚ができてくるのです。丸腰ではそんな自覚は出てきません。

今の自衛隊に関して言うと自衛隊はサーベルをもっています。儀仗刀(ぎじょうとう)というのですが、儀式で使う刀です。

 これは非常によいことです。いつの頃からか、防衛大学は式典のときに持つようになりました。20年くらい前に「短剣をつるべきだ」という意見があったのです。防衛大学学生が短剣をつると、昔の海軍兵学校みたいにかっこいいのです。すると「時代遅れだ。こんなのはみっともないからやめよう」という意見があってやめたのですが、いつの頃からか長剣をつるようになってしまいました。

 最近はこの儀仗刀がどんどん広がっています。防衛大学の学生はみなもっています。高等工科学校(高校)でも剣をもっています。陸上自衛隊も剣を使っています。その前は海上自衛隊が一部使っていたのです。外国の軍人は剣を下げます。海上自衛隊は外国へ行くので剣がないと格好がつきません。それで服装の一貫として「剣を帯剣してもよい」ということになり、それから儀仗隊や陸上自衛隊でも剣を使うようになったのです。

 非常によいことです。しかし、もう一つ問題があります。彼らが使っている儀仗刀は、中身は青銅です。青銅にクロムメッキをした要するにおもちゃの剣です。斬ることもつくこともできない剣です。それではやはり気合が入りません。

 ここまできたら次は刀身には本身(ほんみ)を使わないと気合が入りません。斬れない剣で行進したらマンガです。一時的にはやむを得ませんが、やがてそれは本身(ほんみ)にするべきです。これが僕の意見です。

 ちなみに三島由紀夫は自衛隊に乱入した時にもっていったのは、名刀の関孫六(せきのまぎろく)です。相当よい刀だったらしいのです。関孫六をわざわざ注文して旧軍の軍刀造りにして、できた刀を自分の愛刀にしていたのです。

 これをみなに見せて「どうだ、いい刀だろう!」と、自慢していたのです。これを自衛隊に乱入したときにはちゃんと腰に帯びていったのです。指揮刀ではなく本身(ほんみ)ですから、本人は気持ちいいのです。だからあのようなすごい行動ができたのです。

 すごい行動、勇気ある行動に、男は剣が絶対に必要です。今は剣をもって歩けないからやむを得ません。今は、刀剣をもって5.5センチ以上の刃物をもっていると警察に捕まるのです。それ以上の刃物をもってはいけないのです。

 戦後はどこの金物屋にも、白鞘(しらざや)の短刀は売っていたのです。ヤクザ映画で使うドスはその辺の金物屋で売っていたのです。それももう持ち歩けません。5.5センチ以上の刃物を持ったら銃刀法違反で本当に捕まってしまいます。それまでは15センチだったのです。15センチまではよかったのですが、今は5.5センチです。ふざけるのではありません。

 これは日本人の精神を奪うことなのです。「刃物くらい持たせろ! 人生は危険があるのだ。やられる可能性もあるけれども、やられたらやるぞ!」という気迫でいくのです。素手の人間では屠殺(とさつされるだけで、勇気ある国民はできません。

 これが三島先生から見たところの日本人と日本刀という流れです。せめて我々も自宅には1本だけでも日本刀を持とうではありませんか。持って歩けないけれども、魂をその1本の日本刀にしまい込んでおく必要があります。

(⑧に続く)




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