三島由紀夫と行動哲学 ⑤ | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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2~3日前に退転者のY君から電話がありました。「今、三島由紀夫を読んでいます。いろいろ教わりたいのですが」と言いました。「何を読んでいるのだ?」と聞いたら、「『豊饒の海』をこれから読むのですが、『豊饒の海』について先生のお考えをお聞かせください」と言ってきたのです。

 このY君はデタラメな男で半分韓国人の血が入っている人間で、こんなデタラメな人間はいません。ウソつきで、強欲で、裏切り者で、ヤクザが大好きです。このような人は悪いけれども、絶対に三島先生のことはわかりません。

三島先生は純粋な人ですから、ウソつき、強欲、裏切り者が三島由紀夫を読んでもわからないのです。

 それで三島由紀夫論を続けようという気になったのですが、三島先生は、「『自分の小説を読んで関心しました』と言ってくる奴は信用できない。なぜかというと、小説など所詮は作り物であり、絵空事です。そんなものを読んで『先生の弟子になりたい』と言ってくる奴にロクな奴はいないのだ」そのようにはっきり言っています。

 では、三島由紀夫の本体はどこにあるのかというと、ここにあるのです。『愛国心』です。これは僕が30年前につくった本です。世界に1冊しかありません。『愛国心』は、三島先生がつけた名前ではなくて、僕がつけた名前です。

 もちろん、著作権があるので勝手な印刷はできませんが、ともかく世界に1冊しかない本です。このようなことをやっていたのです。世界に1冊しかない貴重な本です。

 三島先生は小説の合間にエッセイを書いていて、あちこち飛んでいるので、まとまったエッセイ集はなかったので、それを整理してみたのです。

 これを入れたのがH子です。タバコを加えながら、ワープロでつくったのです。『行動学入門』という本は出版されていますが、世界に1冊しかない『愛国心』の中に出てくるのが、『第一部 行動学入門』です。第一部は、十二章から成り立っています。「第一章 行動とは何か、第二章 軍事行動、第三章 行動の心理、第四章 行動のパターン、第五章 行動の効果、第六章 行動と待機、第七章 行動の計画、第八章 行動の美、第九章 行動と集団、第十章 行動と法律、第十一章 行動の合間、第十二章 行動の終焉」。

 三島先生は、このような中にあるのです。小説の中にはないのです。小説は所詮、金儲けですから作り物です。本当はこれが好きなのです。

 『行動学入門』という本の中から、「行動とは何か」ということについて説明したいと思います。「行動は短い。一瞬である」これは三島哲学です。行動は短いのです。何が行動なのでしょう。自分の思想など現実に本を書いたりするのは行動ではないのです。体をもって体現するのが行動です。

 吉田松陰は行動の人なのです。頼山陽のように本で「こうしなければならない」というものは書いていないのです。すべて行動です。下田に行って外国船に乗り込みます。これも行動です。それを断られて追い返されます。これも行動です。

 そして、老中の暗殺計画に奔走するのです。これも行動です。その計画がバレて死刑になってしまうのです。一環としてすべて行動です。一般的には吉田松陰は、思想家として考えられていますが、吉田松陰は思想家ではなく行動家です。

 三島由紀夫はそのことが常に頭の中にあって、「行動をしなければならない」と思っていたのです。しかし、行動をすると後戻りはできないのです。三島由紀夫のように切腹して首と胴が離れてしまったら、元に戻りしようがないのです。行動は一瞬にして決まるのです。

 世間を印象付けたり、歴史的に残る行動とは、そのわずかな行動の中にこそあるのです。「吉田松陰が首を斬られた」という行動の中に明治維新は入っているのです。三島先生はそのことがいつも頭の中にあったのです。

 行動の原理は何かというと、家に帰って用意したり、企んだりしていると行動はできなくなります。「さあ、これから行動だ!」と、鉢巻をしめたりしているうちに、準備が長引けば長引くほど、行動はできないのです。そのように言っています。

 これは、薩摩の示現流の原理です。普通の剣道は袴・稽古着をつけてやりますが、示現流(じげんりゅう)は今でもそれをやりません。着の身着のままでいいのです。ジーパンでいいのです。野良着でいいのです。寝間着でいいのです。ただちに行動するのです。

 ただちに行動するのですから、家に帰って袴をはいたり、鉢巻をしたりする時間はないのです。今、すぐ、鍬(クワ)をもっていた手を離れて、ただちに槍・刀に持ち替えてスッと行動するのです。考える必要はないのです。それが示現流の極意です。

 だから示現流は怖がられたのです。生麦事件(1862年)では、薩摩の殿様の前をイギリス人が通ったのです。もう無条件の行動です。スパッとイギリス人を斬ってしまったのです。その結果はどうなるか後で考えるのです。

 そんなことを先に考えたら行動はできません。「あの野郎をブン殴ったらいいかもしれないけど、後で警察へ行くことになる」そんなことを考えたら行動はできません。

 考えない奴が行動をするのです。行動は短く、瞬時である。そして、文章を書いたり、仕事をする時間は長いのだ。この一瞬の行動の中に行動学が入っているというように思うと言っているのです。

 西郷隆盛が城山で戦死したのは、切腹したのですから行動です。三島由紀夫は自衛隊に乱入したのです。三島由紀夫は自衛隊の市谷駐屯地の門を入るときに、堂々と軍刀をつって5人でいったのです。「なぜか?」もう死ぬと決めていたからです。死ぬという人間には邪魔がありません。なんだってやりたいことをやるのです。ですから、軍刀をつって歩くのです。守衛に案の定呼び止められて「先生、そのお刀は何ですか?」と聞かれるのです。

 「これは指揮刀だ」と言われて守衛達も引き下がってしまったのです。堂々と軍刀をつって歩いて陸上自衛隊東部方面総監部二階の総監室を訪問したのです。三島由紀夫によると、「人間は死を覚悟した瞬間こそが人生のもっとも有意義な生き甲斐を感じるときだ」と言っています。

 それまで借金におびえたり、恨みつらみがあって、ムラムラしているのですが、「そうだ、俺は死ぬのだ!」と思った瞬間にあらゆるものがバラ色に見えてくるのです。ごはん食べても普段は「これは栄養になるのか、ならないのか」「これは体によくないのではないか」と、そんなことばかり気にしていますが、もう死ぬのですから考えることもないので、堂々と食べるのです。

 タバコも吸うのです。将来、肺がんになるなど、もう死ぬと決めたのですから関係ないのです。曲がった道も、目的地を目指してまっすぐに歩くのです。「どけ、どけ、どくんだお前!」と堂々と歩むのです。それが生命の輝きをもった最高の瞬間だろうとも言っています。

 このようなことを『行動学入門』の中で言っているのです。「行動は瞬間だ。それを待機する時間は長い。しかし、その一瞬の間に意義あることができるのであり、生命の燃焼は行動によって始まると考える」と言われています。

(⑥に続く)



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