松下幸之助について | 中杉 弘の徒然日記

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プライムニュースで松下幸之助(1894年~1989年)の特集番組を見ましたが、よくもウソを言ってくれています。この男は何も優れていません。まず、第一に小学校中退ですから学問がありません。難しいことは何もわかりません。

 何が名経営者なのでしょう。「名経営者」だとおだてあげていますが、ただ単に松下電器が成功しただけの話です。成功とはどのようなことかというと、その時代のニーズにあったという時の流れが一番大きいのです。

 ちょうど、その時代に成長できる企業だったのです。松下電器は二股ソケットをつくったり、自電車の電気をつくったりしていただけで何も偉大なことなどやってはいません。最後は松下政経塾をつくったのです。「事業は人である。松下はまず人をつくります。それで産業をつくります」と言っていました。

 しかし、民主党の馬鹿はほとんどが松下政経塾出身です。野田佳彦・前原誠司、何でこんな人間をつくったのでしょう。聞いて呆れます。「松下電器は公の機関である。私の機関ではない。社会の公機である。公の生産期間である」など、くだらないことを言うものではありません。

 この言葉の中に、松下幸之助の無学の馬鹿さ加減が現れています。松下電器は「乗っ取りの松下」と言われたのです。洗濯機・テレビ・冷蔵庫などの電気製品をつくり、「販売代理店になりませんか?」と言って、販売代理店を集めたのです。

 全国にフランチャイズをつくっていったのですが、電化製品は売れない製品がたくさんあるのです。テレビは売れても洗濯機や掃除機はうれなかったりするのです。そのような商品を集めてバサッと代理店に商品を入れたのです。

 すると代理店になった人達が根をあげて「売れませんがな」というと、「みんな大阪に集まれ!」と大阪に集めたのです。そこで、出した哲学が「血のションベン」です。「代理店になって松下電器の商品が売れないといわれていますが、自分で努力しましたか? 私は血のションベンが出るくらい努力したのです。そこまでやらないと事業はあきまへんで!」と松下幸之助が言ったのです。すると、代理店になった人々は、「そこまで言われたなら仕方ないや。俺の努力が足りなかったのなかな・・・」と言って帰ったのです。

 そのうち、松下電器は代理店になるためには土地を担保に入れさせたのです。その次に在庫をバンと送るので、代理店の経営がたちゆかなくなります。「あきまへんな。うちの社員が経営してあげましょう」と言って、社長と営業部長と経理の3人の人間が送り込まれてくるのです。すると、その店主の親父はお払い箱です。3人で店舗を乗っ取ってしまうのです。

 そのように乗っ取ってやってきたのです。3人の松下の社員が入り込んでん代理店を乗っ取り伸ばしてきた企業です。偉そうなことを言うものではありません。

 松下幸之助は、「信者は宗教団体に金を払い、教えを乞いに来ます。それで言うことを聞きます。我々は反対に金を社員に払っている側です。お金を払っても社員は言うことを聞きません」だから、「宗教団体をつくりたい」と本人は思ったのです。それでつくったものが「水道哲学」です。

「公園の水道の水を誰が飲んでも誰もドロボウといいません。なぜ、ドロボウと言われないのか? 水を盗んだことにかわりはないのではないか。水はいっぱいある。水はいくら飲んでも減りません。だから、ドロボウと言われないのです。

松下電器もどんどん物をつくり、物があふれれば、しまいに物は安く水と同じようなことになる。それまで事業はいかないといけない」と、くだらないことを言って、水道哲学をつくったのです。

 リチャードコシミズ氏によると、実際はホモだといわれています。松島幸之助はホモで美少年好きなのです。松下政経塾はホモが集まってホモの輪をつくったらしのです。一人も人材など育てていません。かってなことを言うものではありません。








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