三島由紀夫と幽玄の美 ③ | 中杉 弘の徒然日記

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村松英子さんの話によると、三島由紀夫先生が一番好んだのはです。「能こそが日本の文化の最たるものだ」と言っていたらしいのです。

能といえば思い出すことがあります。昔、黒澤明監督の『影武者』という映画あります。これは僕もみたのですが妙なものを感じ取りました。それは、この映画全体が白けているのです。死ぬ場面も出てきて、血が流れているのですが、その血がリアルではないのです。影絵のように赤い紙を切ってベタと貼り付けて「これが血ですよ」という感じなのです。映画をつくった側は、そうではないと思いますが、僕にはそのように見えたのです。

「ああ、そうか」と僕はピンときました。黒澤明がこの影武者を通して描こうとしたのは、武田信玄に影武者がいたとかいう話ではないのです。彼はすでに老齢であり、見ている世界は能の世界を見ているのです。主人公はどうでもいい話です。「能の世界を物語にして、映画にして見せたい」という欲望があったのに違いないのです。

一度、僕もご縁があって奥伊豆天城・吉奈温泉のさか屋旅館に泊まったことがあるのですが、ここに「黒澤先生が1か月お泊りになりました」という部屋があったのです。僕もその部屋に泊まりました。真ん中にロッキングチェアーがあって、窓のそばに机が置いてあり、外を見ると山が見えるのですが、それが映像の原点です。それを見て妙に感動したことがありました。

黒澤さんは、『羅生門』、『七人の侍』のような映画や、ドタバタの映画も多く作っていますが、この影武者はちょっと違うのです。能の世界です。

能の世界とは何かというと、幽玄の美を現したものなのです。「この世は夢かうつつか幻か」と言われます。信長の人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」(敦盛)
にもあらわれています。我々は現実を生きていると思っていますが、実はすべて妄想です。これは仏教の教えるところです。

どんなに金持ちになっても、転倒して夢の中でお金持ちになったのです。どんな苦しい死に方をしても夢の中であなたは死んだのです。何十万という大軍をそろえて戦を行っても、それもすべて夢の中のことなのです。

能の世界はそうなのです。幽玄というものに意味をもっているのです。人生はもっと赤裸々として欲望に満ちているのです。

最近、ヒストリーチャンネルで「古代の技術」を放送していて、ローマ時代の技術がたくさん出てきますが、すごいものです。今から2200年~2500年くらい前の世界です。ローマ時代は、今と同じ生活です。建物もマンションもあり、鉄筋のマンションもあり、コンクリートもあり、プールもあり、巨大船もあり、道路もあります。道路は何千キロも続いています。何十キロにわたる城壁もあり、何よりすごいのは水道橋です。水道橋という立派な建物からローマ市内に水を運んで、下水道もあったのです。全く現代の生活と同じです。違うのは奴隷がいるかいないかです。娯楽はコロシウムでの人殺しです。

そのような野蛮人がつくった文明ですが、大理石を造って使った文明です。その時、日本はまだ縄文時代です。

しかし、西洋人はそのような物をつくっても現実と思っているのです。現実の欲望がそのようなものを造らせるのです。巨大な軍隊、一斉に統率して行軍する姿、まさにローマ軍は現代の軍隊と同じです。

何がないのかというと、幽玄(ゆうげん)がないのです。日本のお城とは、スケールが全く違います。ピラミッドも5千年前と言われています。日本は縄文時代です。日本に花咲いたものは、精神文明です。ローマのような物質文明ではなく精神文明が進んでいたのです。物事を幽玄として見ているのです。

泡のように夢のように人は生き、そして夢の中に死んでいく、まさに人生とは幽と玄なのです。「夢かうつつか幻か」の夢とはドリームです。うつつとは夢から覚めた状態です。幻とは昼間から見る夢のことです。ありもしないものが見えてしまうのです。聞こえもしないものが聞こえてしまうと、危ないのです。それは、幻の世界です。

能というものは、そこに美を感じたのです。人間が生まれて死んでいくその一生のはかないものの中に美を感じ取ったのです。能面の顔は同じ顔です。一つのお面が見方により、下から見た顔、横から見た顔、全然違って見えるのです。同じ顔でも悲しいように見えたり、笑っているように見えたりするのが能です。

能面の自慢をする人は、「これを見てください。右から見てください。笑って見えるでしょう。左から見てください。泣いているように見えるでしょう」と、見方によって変わるのです。そこはかとなき面白さを感じ取ったのが能の芸です。

ですから能は現実離れしているのです。「王様、助けてください。殺さないでください!」という西洋の劇とは、全然違うものです。能は夢の中で舞い、立って、踊りもゆるやかに踊り、現実の世界ではないのです。

三島由紀夫は作家として幽玄の世界にあこがれたのです。「人生は幽玄だ」と思っているのです。彼が晩年にやったことは、楯の会の制服をつくり幽玄の世界を行ったのです。楯の会の制服も2~3回かえています。最後はかっこいい制服になったのです。

幻の世界、幽玄の世界であり、現実でもあるのです。現実の世界なのですが、現実の世界も幽と玄から成り立っているのです。それを極めているのです。「どこまで象徴的な中に現実を盛り込んでいるのか」ということが、能を見る楽しみであり、あんなものを見てもストーリーは何も面白くないのです。

消えていく人間のはかない美ではなく、永遠の美を能によって表現されたから三島先生は、そのへんのところを能の中に見ていたのに違いありません。

「自分の一生も能の中に生きたようにしたい」ということです。生臭く、青臭く、息苦しいようではなくて、能を見ているように人生を達観して上から見てそのようの自分の人生を仕上げたかったのです。自決はもう決まっていたのです。その前に二つの劇があるのです。薔薇と海賊』では、主人公が私は決して夢なんぞ見たことはありませんというのです。もう一つの作品は三島由紀夫の自決の後に『サロメ』が公開されます。『サロメ』では、サロメが生首をもって踊るのです。その間にたってみたときにあの死は計画されていたのです。

「三島由紀夫の死後は、どのように評価されるだろうか」と自分で考えておそらく「馬鹿、キチガイ、夢をみやがって、」と言われるのです。だから「夢ではないよ」と劇で言わせたのです。

ここが難しいのです。現実なのですが、三島由紀夫は夢のようにしたいのです。能のように自分の一生を達観したかったのです。45歳で死んだ三島由紀夫が達観して絵を描いて「ここで死ぬのだ」と描き、それによって自分の絵が完了するのです。完了した姿をもって自分の一生が絵になるのです。

これは、能の舞になるのです。黒澤先生も晩年に気が付いて、殺し合い、泣きわめき、情けない人生を達観して、能の世界から見るとどうってことはないのです。皆、夢かうつつか幻なのです。

三島先生には、このような一つの見方があったのだと思います。「能が好きだった」ということは、村松英子さんに聞くまでは僕は知りませんでした。

(④に続く)






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