戦後70年・三島由紀夫 ① | 中杉 弘の徒然日記

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プライムニュースで、元女優の村松英子さんと、電気通信大学名誉教授の西尾幹二先生が出ていました。非常に中身が濃かったことと、三島由紀夫先生について普段知りえないことがあかされて大変興味深く拝見しました。

 しかし、三島由紀夫論は、非常に難しくてわからない点があります。名前を見てわかります。三島由紀夫の本名は平岡公威(ひらおかきみたけ)といいます。三島由紀夫はペンネームですが彼の説明によるとその意味は「魅死魔幽鬼男(死魔に魅せられた幽鬼の男)」という意味です。
 何が難しいのかというと、三島由紀夫は文学者であり、哲学者であり、芸術家であり、劇作家であり、かつ武道家であり、武士であり、軍人であり、活動家でもあります。しかし、三島由紀夫の行動形式は武士道の切腹そのものでした。したがって三島由紀夫くらい理解しにくい人はいません。
 ダイヤモンド理論という経営学の用語がありますが、優れた経営者はダイヤモンドのように36面体のいろいろな角度をもっている宝石のようなものです。一つの角度と別の角度では、もう全然違うものをもっているのです。
 右翼の青年たちが三島由紀夫にあこがれていても、右翼の青年たちには一つの面しか見えないのです。後の隠れた光り輝く35面体は見えないのです。「俺は三島由紀夫がわかったぞ!」という人はたくさんいますが、実は何もわかっていないのです。

 そのような人です。だから、難しいのです。「肉体の門」「文学の門」「芸術の門」「行動の門」をもっているのです。ボディビル、ボクシング、剣道、自衛隊の体験入隊は3回やっています。楯の会をつくり、国立競技場で朝早くマラソンもやっています。このことは『太陽と鉄』という非常によい作品に書かれています。素晴らしい作品です。僕にとって宝物です。
 しかも『不道徳教育講座』という本は大変面白いのです。しかも逆説の真理に満ちています。非常に面白い作品ですが、真理に満ちているのです。やさしく書いて真理に到達するという本です。このようなことを感じ取ったので、僕も若いころは、三島先生の作品を暗記するほど読んだものです。
 さて、そこで一般の人が「何がわかっていないのか?」ということについて述べると、このようなことなのです。人間は「生き甲斐」というものは誰でももっています。これはわかるのです。「私の生き甲斐は登山です」「私の生き甲斐は俳句です」というように生き甲斐はなんだっていいのです。「生き甲斐をもって生きる」ということは当たり前です。
 しかし、三島由紀夫は「人間は生き甲斐だけでいいのか。死に甲斐ということもあるのではないか?」と考えたのです。「洗礼された文化というものは人々に生き甲斐を与えると同時に、死に甲斐も与えていくものなのだ。この死に甲斐がない文化は偏っているし、虚妄の文化だ。なぜならば人間は死ぬからです。何のために人間は死ぬのか?」と考えてみると、家族のために死ぬのか、或は自分のために死ぬ人間もいます。自己目的を貫通して自殺するのもいます。それから「国家のために」、或は「民族のために」、或は「世界平和のために俺は死ぬのだ」というように生き甲斐は広がっていきます。


 その中で「自分のために死ぬ」ということが一番くだらない考え方です。あるいは自然死はいいように見えますが、これは生き甲斐がないのです。だらだら生きていくのです。死に甲斐がある人は「ここらが死に甲斐だ」と思うのです。

 その「死に甲斐」ということについて、非常に興味をもって研究した作家が三島由紀夫です。これが、普通の人にはわからないのです。文芸評論を読んでも、ほかの人の評論を読んでもまったくつかめていないのです。


 「劇がどうの」とか、「小説がどうの」とか、「50年安保がどうの」とか、そのような話はありますが、三島由紀夫が「何をテーマにしたのか?」というと、「幽鬼に魅せられた男」=「死に魅せられた三島由紀夫」とは、そこからきているのです。

 彼が若い時に読んだ本は『葉隠(はがくれ)』です。『葉隠』は、佐賀鍋島藩の藩士山本常朝(1659年ー1719年)の武士としての心得についての見解を「武士道」という用語で説明した言葉を田代陣基(つらもと)が筆録した書です。戦争中は盛んに読まれた本です。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という有名な一節です。三島由紀夫も『葉隠入門』という本を書いています。僕も読んだことがあるのです。

 武士とは何のために死ぬのでしょう。武士は主人のために死ぬのです。主人とはだれかというと殿様です。殿様のために「いつでも死ねる」という心を養っていかないと武士道は完成しないのです。

 武士道とは、殿様のために死ぬことなのです。しかも、喜んで死ぬのです。これが侍の原点です。この本を書いた人はそんなに古い人ではないのです。江戸の中期頃の人です。その『葉隠』が三島由紀夫の座右の書だというのです。死に魅せられているのですから、何度も・何度もこれを読んだのです。

 それが原点なのです。三島由紀夫が言っているのです。日本人というものの探求は、この探求なのです。「何のために死ぬのか?」神風特攻隊で二十歳で敵機に突っ込んで死ぬという生き方は、今の人々から見たらそれは全くナンセンスです。「お父さん、お母さん!」と泣きわめきながら死んだであろうということをいうのです。
 とんでもありません。当時の人々は、死ぬことを歓喜したのです。死ぬ時も一番元気なときに死ぬことが一番いい死に方です。ヨボヨボになって、あちこちに管を打たれてベッドにくぎ付けとなり、薬漬けになって死んだら意味がないのです。
 やはり一番自分が若くて力があって、生の絶頂期において死ぬことが、「人間として最高の死に甲斐なのだ」ということです。
 ローマの闘技場コロシアムでは、ローマ時代に剣闘士が殺しあったのです。ローマ皇帝と大衆の前で一日に何百人も殺すのです。剣闘士はでてきたときに「ありがとうございます。私は感謝します。この場においてこんな名誉の死に方ができるということは、本当にローマ皇帝のおかげです」と言って、戦いを始めるのです。これは歓喜なのです。訓練して強くなった肉体で戦って死ねるのは、最高の生き方です。死に方は即生き方です。
 三島由紀夫は「神風特攻隊のような生き方・死に方をもった生命は最高に素晴らしい」ということをいうのです。当然、そのような人間からみると吉田松陰も素晴らしいのです。一回も助命嘆願(じょめいたんがん)などしないのです。まっすぐに道を行くのです。
 そのまっすぐな道を行けばかならずぶつかるのです。当然、死んでしまうこともあるのです。普通はよけていくのですが、まっすぐ進むのですから、当然どこかでぶつかるのです。吉田松陰の生き方はそのような生き方です。それは自分が「大義である」とつかんだことをみつけたならばまっすぐに進むのです。妨害されようが、捕まろうが、何だろうがかまわないのです。まっすぐ行くのです。その先、殺されても「満足である」と言って29歳の生涯を閉じたのです。11月25日です。

 三島由紀夫の死も11月25日です。吉田松陰の命日の日を選んで決行の日にあてたのです。

(続く)





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