ヨハネの黙示録 | 中杉 弘の徒然日記

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※デンバー空港の黙示録第四の青い馬


聖書の最後の章に「ヨハネの黙示録」があります。13章の有名な言葉で「666」という獣(じゅう)が現れるのです。しかも、これはわけのわからないことが書いてあるので、とても正常な頭ではヨハネの黙示録は理解できません。

 ヨハネが死ぬ時に、ニガヨモギの葉を服用して幻覚症状が現れて、それで書かれたのがヨハネの黙示録だという説があります。

 それよりも、ヨハネの黙示録はキリスト教の聖典として認められているのです。キリスト教には聖典と外典があります。外典ははっきりしないのだけれども、「どうもキリストがこのように言ったらしい」というもので、それは聖典には入っていません。

 学者が集まって「これは、キリストの言葉である」と判断されたもの、或いは「これは聖典に入れた方がよい」というものが聖典です。

 その聖典の最終章がヨハネの黙示録です。恐ろしい事が書かれています。世界が終わる時の状況がヨハネの黙示録に書かれています。世界の終わりは、今のイスラエルの地において、各国からの軍隊が集まってくるのです。それで10億人くらいの大軍勢が集まって、そこで死闘が繰り返されるのです。そして、地球は終わりになるのです。一旦廃墟となって、その後に出てくるのがキリストです。キリストが再び再臨して、この世を救うのです。

 「信じる者は神の国へ、信じない者は地獄へ落とす」のです。ヨハネの黙示録は不思議な書です。ノストラダムスの予言と同じように抽象的な表現で書かれています。当たったとも言えるし、当たらないとも言えます。

 だいたい、ヨハネの黙示録を信じるキリスト教徒はバカであると言えます。こんな荒唐無稽なお話(ストーリー)を信じているのです。His storyとは、「キリストの歴史」です。これを神として崇めるという、信じられないバカです。キリスト教のような宗教を「外道(げどう)」と言うのです。

 仏教というものは、自分に注目したものであり、外なる神について注目したものではないのです。

キリスト教の初期の頃のマークは、魚のマークです。そして、洞窟で教えを説いていたのです。その中に病気の人や貧しい人が集まって、イエスが慰めていたのです。そんな宗教だったのです。

 「この中に目くらの人はいますか?」とイエスが言うと、「はい。私を治してください」と“目くら”が集まってきたのです。するとイエスは、「神を信じる者は治してあげよう」「はい。信じます!」と“目くら”が言うのです。「信じた人は目が明きます。目を開けてごらんなさい」とイエスが言うと「目が明きました!」と“目くら”だった人が言いました。

「神の力は凄いでしょう」とイエスが言うと、「目が明かないのです」という人には「貴方は、信じていないからです。神は全知全能なのですから、願いは全て聞いてくれるのです。私の目が神様の力に寄り治りますと信じた人は目が明きます。貴方は信じていないから目が明かないのです」そのような論調で病気を治したのです。

 信者「私は腰が抜けて立てません」イエス「立ちなさい。神を信じる者は立つのです。信じますか?」信者「はい、信じます」というといざりが治り、パッと立てるのです。立ち上がれない人ももちろんいるのです。

イエス「貴方は神を信じていますか?」信者「信じています」イエス「何故、立てないのですか? 貴方は神を信じていないではないか。信じた人は立てるのです。貴方は神を信じていないから立てないのです。」このような宗教だったのです。

 キリスト教は、魚のシンボルマークで洞窟の中で集まって、このような事をやっていたので、高尚な教義などではなかったのです。

 今のキリスト教の教義は、中世になってギリシャ哲学をもってつくられた、形而上学です。それまでは、土着の宗教ですから、新興宗教とあまり変わらないのです。「お腹はどんな形をしていますか? お腹は丸いでしょう。その丸いお腹が痛いということは、貴方は本部にお金を治めることをおしがりましたね。お金を治めれば、お腹は治ります」というような教えです。

 今のキリストの像は西洋人の顔ですが、あれは全くの間違いです。キリストは、ユダヤ人です。ユダヤ人の顔は西洋人の顔ではないのです。もっと色が浅黒くて東洋人の顔に近いのです。

 現在、十字架で磔になっているイエスの像は、西洋人の顔です。だいたい、形而上学を信じる人間はバカなのです。何故、形而所学なのかというと、「形(かたち)以上の形の無いもののこと」を言っているから形而上学と言うのです。

 如何に人間は形而上学に騙されてきたのでしょう。人間が勝手に想像するのです。想像して一つのストーリーをつくるのです。その意味においては、おとぎ話と同じです。「本当にあったことか」、「事実なのか」ということはあまり関係ないのです。

 このようなおとぎ話だから信じられないのです。信じられないから信じるのです。これを信仰と言うのです。

 キリスト教では、イエスは処女マリアから生まれたというのです。父親はいません。勝手にマリアが妊娠したのですから、処女から生まれたのです。これからして、おとぎ話です。キリストは磔になって死んだ。これは事実です。ところが、キリストは甦って、皆の前に現れたのです。死んだキリストが歩き回って「イエスは復活した」と思ったのです。しばらく皆と一緒に居て、それから天に昇って消えてしまったというのです。

 これは、おとぎ話以外、何物でもありません。処女から人間が生まれるのでしょうか。墓から甦って、死んだ人間が歩き回るのでしょうか。おかしいでしょう。こんな事は常識では考えられません。それがキリスト教の始めの教義ですから、これを信じないとキリスト教徒になれないのです。「父と精霊とキリストは一体である」三位一体といい、これを信じないとキリスト教徒になれないのです。

 「イエスはナザレの大工の子供ではないか」と言ったら、キリスト教徒にはなれないのです。「イエスは大工の子供ではないのだ。人間界に現れた神様の子供なのです」そんな事を信じ込んで、「イエスが言った言葉は絶対である」と信じ込んでいるのです。

 「イエスがしゃべったことは全て真実である。一つも残らず真実である」と思っているのです。その中の最後に出てきたのがヨハネです。これはキリストの教えではないのです。ヨハネという人が説いた幻覚です。

その中に、世の中に現れる悪魔のことを「666」と言うのです。しかし、我々は多くの「666」に直面していることも事実です。バーコードの左側は、「6」です。バーコードは、三つの柱があり、真ん中は「6」、右にあるものは「6」です。全てのバーコードは、「666」になっています。

 これは、どのようなことかというと、ヨハネの黙示録を利用しているのです。だから、悪人は「俺は666だ」という事のために利用しているのです。

 湾岸戦争は、1月の17日です。「1+17=18」です。18は、「6+6+6」です。そのようにあらゆるところで「666」の数字が入れられているのです。人間の側が利用しているのです。「俺はヨハネの黙示録に出てくる悪魔である。だから従いなさい」と言っているのです。

 これを見抜かなければいけません。聖書を利用する人間達と、「全て神の教えである」と、まともに全て信じている人間がいるのです。はっきり言ってバカなのです。

 歴代のローマ法王は、半数は暗殺、半数はホモです。ローマ法王庁には女はいないのですから全員がホモです。凄い世界です。金と権力と暴力が渦巻いた世界なのです。だから暗殺があるのです。

 権力の座は暗殺が多いのです。アメリカ大統領の半数は暗殺されています。権力はそのように脆い立場に立っているのです。カトリックは、異端者裁判、魔女裁判で10万人以上を焼き殺しています。昔はキリスト教の神父は、司法権・行政権・立法権を持っていたのです。今のように政教分離ではなく、三権を持って人々の上に君臨する大王だったのです。

 貧民を救うためにつくったキリスト教がいつの間にか、権力者の宗教になってしまったのです。創価学会も「貧乏人の宗教」と言われたのですが、今では徒党を組んで政権与党です。同じ構図です。

 だから宗教に騙されてはいけません。特にキリスト教は、三位一体を信じなければなれません。三位一体を信じる人間はバカだと分かるのです。

 僕はキリスト教を信じている奴は絶対に信用しません。そのような点においては、渡部昇一さんはカトリックの信者、安倍さんは統一教会のキリスト教徒です。バカなのです。

 宗教によって人間の価値が決まってくるのです。キリスト教などを信じ込んでいる人間はバカに違いないのです。





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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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