村山談話について | 中杉 弘の徒然日記

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まもなく安倍さんが戦後70年の総括をして、20日頃談話を発表すると言っています。それに先立ってプライムニュースで元総理大臣の村山富市と、元外務省の役人で今は大学教授をやっている東郷和彦さんが出て、反町(そりまち)さんと対談をしていました。

 この時に二人が「村山談話」を褒めているのです。村山さんは自分がつくったのですから当然ですが、この外務省の役人であった東郷さんが村山談話を「誠によくできた談話である」と、褒めているのです。この談話の影には禅の大家である鈴木大拙(すずきだいせつ)の哲学が入っているというのです。

 東郷さんは、今は大学教授ですが、「変なことを言うな」と思って僕は見ていました。「村山談話は定義をしなくて、植民地と言う言葉、侵略という言葉を使いお詫びをしている。これは、西洋だと必ず定義づけを行います。侵略とはこうだ、植民地とはこうだ、従ってそのようなことを行ったと、ドイツはそのような謝罪ですが、日本は定義しないで謝罪している」と言うのです。

 定義しないで言葉を使うという事は、両方からどのようにでもとれるのです。日本から言うと「そのような意味で植民地と言ったのではない」と言えるし、他国から見ると「植民地と詫びたな」と言えるのです。定義していないから、どうにでも解釈できるのです。

 「このようなものが植民地です」と定義してあれば、一方通行にはなりません。定義していないと、「我々はそのような意味で植民地という言葉を使ったのではない」と言えます。でも、他国から見れば「植民地にしたことを深く反省してお詫びします」と言っていると理解します。だから「それが哲学的だ」と東郷和彦さんは言うのです。変な話なのです。

 そんなやり方ではダメなのです。このような国際問題は、そんな曖昧模糊とした表現だと、必ず相手を有利にさせるのです。それは、日本国に有利になるような話ではありません。「侵略して、植民地にして多大な迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます」と村山談話では言っているのです。

 この東郷さんという人間を調べたのですが、案の定終戦当時の外務大臣・東郷茂徳の孫だったのです。日比谷高校から東大に入った秀才ですが、この人が「村山談話は素晴らしい」と変な事を言うのです。

 東郷さんは、「村山さんの外交姿勢を全面的に指示する」と言っています。村山談話は外国人にはいいかもしれませんが、日本人を満足させていません。問題の方程式は二つあって、「日本人がどのように満足するのか?」「外国人がどのように満足するのか?」という、XとYの両方が同時に満足しなければならないのですが村山談話は圧倒的に日本人を不愉快にさせています。

 日本は他国を侵略したことなど一度もないのです。植民地にしたこともないのです。それを「植民地にして侵略して申し訳ありません」という謝罪の仕方は、後々までに日本人の精神を傷つけます。これはふざけた話で、村山富一は左翼だと分かるのです。

 「この私の談話は死守してもらいたい」と村山富一は言っていますが、安倍さんもこれをどのようにひっくりかえすか苦心しているでしょう。あんまりひっくりかえすと、諸外国が怒るのです。怒ってもよいのです。「戦争で多くの国にご迷惑をおかけしたことは、事実だからそのことについては深くお詫びをして、二度と戦争を起こすようなことはしません」でいいのです。「侵略して植民地にした」など余分な事は言う必要はないのです。

 そのようにスカッとすればよいのです。詫びるものは詫びて、「二度とそのようなことはしません」と言えば済む話です。

 そうでないと、自衛隊が中東に出て行って歯止めがなくなって、戦争に巻き込まれてしまいます。

 経済大国は必ず軍事大国になると言っていました。これは、その通りです。だから日本は軍事大国にならないように歯止めをかけているのです。どうしてかというと、日本はGDPの1%以内の軍事費という歯止めをかけているのです。例えばGDPが500兆円あれば、自衛隊の予算は50兆円です。そのように決まっているのです。GDPが伸びれば、100兆円使えるのです。

 ところが、アメリカの場合は、無制限です。アメリカの軍事費は世界第一で、5521億ドルです。無制限に軍事費に使っています。日本の自衛隊は、2014年では世界第6位の軍事費です。

 経済大国は軍事大国になるという定理があるのです。軍事大国にならないと経済大国を維持できないという問題があるのです。

 東郷和彦さんの御爺さんの東郷茂徳さんは朝鮮人で明治まで朝鮮語をしゃべっていたのです。秀吉の朝鮮出兵で連れてこられた朝鮮人を鹿児島県の美山という町に住ませて朝鮮村をつくったのです。一族は朝鮮人としか結婚してはいけないのです。苗字も朝鮮風の苗字だったのです。東郷さんは朴(ぼく)と言ったのです。

 御爺さんの茂徳さんが中学校に上がった時に「この中に朝鮮人がおるど!」と苛められたのです。昔は、中学は県に一つしかなかったのです。地方からきて鹿児島の学校に通ったのです。旧制中学といったら、今の大学のようなものです。その中で苛められたのです。

 それで、東郷元帥と同じ名前が売られていたので、金を払って株を買って、「東郷」という苗字にしたのです。だから朝鮮人という自覚があるのです。明治までは、この村は朝鮮語をしゃべって、陶工をやってきたのです。

 それも朝鮮風の焼き物です。当時、朝鮮の文化は珍しかったのですが、300年も経っているから朝鮮人とも言えません。関ヶ原の戦いも薩摩士族として出陣しているのです。だから非常に日本的な朝鮮人です。

 司馬遼太郎の話では、朝鮮半島の友鹿里(ウロンリ)という所に日本人が住んでいるのです。その日本人は、秀吉の朝鮮出兵の時に朝鮮に渡って、あまりにも日本軍が強いので「朝鮮人がお可哀そう」と言って、朝鮮人に寝返りをうってしまったのです。名前は「沙也可(サヤカ)」というのです。「沙也可(サヤカ)」は、朝鮮語の発音では「サヤガ」といいます。

 司馬遼太郎がこの話を聞いて「沙也可(サヤカ)とは、誰だろう。誰が裏切ったのだろう?」と考えて「沙也門(サエモン)だ!」と司馬遼太郎は考えたのです。今は違うと分かっているのです。これは、和歌山にある鉄砲隊で、「雑賀衆(さいがしゅう)」という連中がいたのです。

 この連中が裏切って朝鮮側に寝返ったのです。それを朝鮮王が非常に喜んで、沙也可(サヤカ)を両班にしたのです。沙也可(サヤカ)の子孫一族は、完全な朝鮮人になっているのです。そこに司馬遼太郎が行って、御爺さんに「貴方達は、日本から来たのですが、何人ですか?」と聞くと「もちろん、朝鮮人だよ」と言うのです。「こっちからも日本に行っているし、日本からもこっちに来ているのだ。だから何人なんてどうでもいいのだよ」という話なのです。

 それと『故郷忘じがたく候』という朝鮮人の陶工の話はリンクしているのです。司馬遼太郎の歴史観は「そこに国土があって、色々な民族が来るのだから民族の差などない」という考え方なのです。

 蒙古人も日本に来ると、日本人になってしまうし、日本から蒙古へ行けば、蒙古人になってしまいます。日本に来た朝鮮人も純粋な日本人になってしまうのです。司馬遼太郎は「国土が生み出す力がある」という考え方なのです。

 「世界各国から日本列島に様々な民族が来て、この日本列島の先は太平洋ですから、もう行く所はないのです。だから、ここでは仲良くしましょう。という「和」の精神が生まれた原型なのだ」と司馬遼太郎は言っているのです。

 僕の考え方は違いますが、そのような話で、「東郷さんは朝鮮人なのか、日本人なのか」と聞かれた場合、答えが難しいのです。朝鮮から来たことは、はっきりと分かっているのです。それで、今は日本人なのです。司馬遼太郎はそこに興味を持って、沈壽官の話を書いたのです。「彼(沈壽官)は、非常に薩摩的で豪傑であって、日本人よりも薩摩人ぽい」と言っていたのです。でも、それは司馬遼太郎のウソだったのです。



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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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