司馬遼太郎のウソ | 中杉 弘の徒然日記

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司馬遼太郎の『故郷忘じがたく侯』で「第十四代沈壽官は名人だ」という話になっていますが、ネットで「司馬遼太郎はウソつきだ!」とバラした人間がいるのです。

 実は、第十四代の沈壽官は焼き物など焼いていないのです。当時、東京の早稲田大学政経学部にいたのです。『中杉 弘のブログ』「仏法対話(84)沈寿官の真実」でも一度、掲載しましたが司馬遼太郎は凄いウソつきです。

 この間、土方歳三資料館に行ってきました。土方家子孫の愛(めぐみ)さんに会ってきました。その資料館に土方歳三の愛刀があり、持っていた刀は、「和泉守兼定第十二代」と書かれています。それを司馬遼太郎の小説では、「和泉守兼定第二代」の之定(のさだ)になっているのです。司馬遼太郎の小説は全てウソです。それは、自分が一番よく知っているのです。二代目之定は、千両もする刀です。それを土方歳三が持っていることにして話をつくっているから、「燃えよ、剣」は全て創作です。「竜馬がゆく」もそうです。竜馬の名前が違うのです。

 金達寿(キム・ダルス)によってわかったことがあるのです。朝鮮人が日本に来て、はるばる上陸してきたのが神奈川県の大磯(おおいそ)です。大磯(おおいそ)とは、朝鮮語で「遠くからはるばる来た土地」という意味です。大磯に降りた朝鮮人の一団が世田谷に行って、砧(きぬた)で洗濯をして、ずっと北に向かって北上して西武線の高麗駅の辺りにたどり着いて、高麗王寂光の村をつくったのです。今から1300年前のことです。約1800人が武蔵国高麗郡に村をつくったのです。

 僕の見方はもっと進んでいて、その子孫が新選組だろうと思っているのです。近藤勇や土方歳三の先祖は高麗から来た連中で、1300年に来たのですから、日野の辺りまで広がったのです。その一連の流れの中に近藤や土方がいたのだと僕は見ています。原型は高麗人ではないかと思います。高麗人と言っても倭人の高麗人です。僕は偏っていないから幅広く勉強しています。

 先週、僕の「中杉 弘のブログ」に「無神論者」という名前で変なコメントを書き込みした人がいます。「このブログを書いている中杉さんは偏っていますね」と書いていました。偏っているのは、「無神論者」です。

 無神論者というのは、唯物論者になるのです。唯物論者になると進化論になるのです。唯物論は「神が人間をつくった」のではなく、「物資的な動きにより物質が進化する」というのですから、進化論です。

 この進化論が何を生んだのかといったら唯物弁証法を生んだのです。唯物弁証法は、共産主義を生んだのです。共産主義はワン・ワールド思想を生んだのです。グローバリズムです。このような流れです。

 グローバリズムを達成するために、フリードマン教授の新自由主義という思想をつくり、今はその思想で決まっているのです。ワン・ワールドに向けての流れがあるのです。「私は無神論です」と言ったらバカなのです。

 無神論は唯物論を生み、唯物論は進化論を生み、進化論が唯物弁証法を生み、唯物弁証法が共産主義を生み、共産主義思想が世界を一つにするワン・ワールドに流れていて、今は最後の段階でワン・ワールドをどのようにつくるのかという段階です。

 それを達成するための道具がTPPです。これがフリードマンの新自由主義です。「自由でいいではないか。国家なんていらないのだよ。みな自由に貿易ができるのだよ。そうすれば世界は活気づくのだ。そして、一つの世界になるのだ」というのが、ワン・ワールド思想です。安倍さんもそのように考えているのです。これは間違えなのです。

 ワン・ワールドにするなど神の領域の仕事であり。人間がワン・ワールドをつくったら奴隷になってしまうのです。一握りの支配者と、奴隷になった人間の社会がワン・ワールドなのです。こんなものはダメなのです。

 自然界の流れが入っていないといけません。人間が世界を一つにして、人間がそこに君臨するということは、神の領域です。人間が神になろうとすることです。世界を一つに束ねて自分が命令を出すのです。これは、間違った世界観です。

 人間が神の領域になれるのでしょうか。もっと人間は多様性があるのです。こんなやり方は間違っているのです。もっと、徹底的に思想戦をやっていかなければいけません。



「司馬史観」で文化功労者に選出

この間の十四代の経歴はどうなっていたのか。昭和二〇年十四代は旧制中学を卒業すると鹿児島医専(現鹿大医学部)に入学、中退。その後、早稲田大学政経学部卒のあと、鹿児島選出の自民党代議士床次の秘書となっている。その秘書稼業をやめ、帰鹿し窯場の苗代川に落ち着いても十四代が作陶に精出している姿を地元の陶工家で見た者はない。十四代は政治向きのことで奔走しているのだ。昭和四六年、四七年には大迫恵吉の名で鹿児島県PTA連合会会長となっている。そういう下地を作ったあと十四代は参議院選挙に打って出る準備もしている。こういう経歴の持ち主が、昭和四三年刊行の司馬の書では早くも名工扱いになっている。ここでも司馬の筆が踊る。十四代は十三代に「少年のころから作陶の技術を教わった。」と。これなど全くのインチキである。十四代はNHKの放映でもそのように喋っているのだが、十三代は京都帝大法科を卒業したあと朝鮮総督府の役人をやり、戦後は郷里で村会議員をしていたのだ。 十四代が名工などということが飛んでもないことは別の面からも証明出来る。




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【NET TV ニュース.報道】

朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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