朝鮮人の研究 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 ここまで朝鮮人のことが分かったのは、僕は司馬遼太郎の文学が好きだったのです。司馬遼太郎は、「朝鮮人の友達がたくさんいる」と言っていました。その前に 達寿キム・ダルス)という人が、『日本の中の朝鮮文化』という本が全17巻くらいあるのです。そのような本を読んでいたのです。

 それが先です。まず、「朝鮮文化は凄いな」と頭に入ってしまい、司馬遼太郎が朝鮮好きで、朝鮮人に興味をもって更に勉強を進めていくと、「なんだ、韓国の話は全てウソだったのか。文化大恩の国も、仏教伝来も、韓国から教わる物など何も無かったのだな」と、段階を追って気が付いてきたのです。

 僕は韓国には絶対に行きませんが、韓国の歌謡曲は聞いています。(爆笑)朝鮮音楽は聞いています。

 『日本の中の朝鮮文化』を読んできて、それから司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』など、ずっと読んできて韓人というものをよく知ったつもりでいたのです。その時は、どちらかというと朝鮮びいきだったのです。

 司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』とは、鹿児島県の苗代川(なえしろがわ)というところがあり、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に、朝鮮人の陶工が島津藩により連れてこられたのです。「ここで焼き物をつくれ」と言われて朝鮮人が焼き物に合う土を探すのです。そこで、焼き物に合う土がやっとみつかるのです。そこで薩摩焼ができてくるのです。薩摩焼の党首が沈壽官(ちんじゅかん)というのです。司馬遼太郎がそこに訪ねていくのです。

 薩摩藩は、その連中を武士にしたのです。陶工が薩摩武士になるのです。その連中は、関ヶ原の戦いにも参加したのです。三百年間も日本にいて、「全くの日本人だ」と司馬遼太郎は言うのです。

 物の考え方も、言っていることも日本人です。では、「民族とは何か?」という考え方を司馬遼太郎はするのです。「日本で育てば日本人。韓国で育てば韓国人」と言い、僕はその考えに一時、賛同したことがあるのです。

 『故郷忘じがたく候』とは、朝鮮のことなのです。どんなに離れていても忘れない。そこの中から終戦当時の外務大臣である、東郷茂徳は出てきたのです。東郷茂徳は、苗代川(日置氏東市来町美山)の出身です。

昔は、中学は鹿児島にしかありません。鹿児島の中学に行くと、「こん中に朝鮮人がおるど!」と、苛められるのです。

 東郷茂徳は、「朴(ぼく)」という苗字だったのです。それが苛められて、名前を変えて「東郷」という名前にしたのです。それが外務大臣になるのです。そのような話です。

 そのような朝鮮人史を勉強して、更に勉強してくると、今度は宮脇淳子先生です。宮脇淳子先生に到達すると、「朝鮮には何も無かったのだ」ということが分ってきたのです。お金もない、染料もない、針もない、車もない、田んぼの作り方も日本の原始時代のままなのです。「これはひどい国だな」と僕は思ったのです。

 それは、ずっと朝鮮人について勉強してきて最近になって分かってきたことなのです。それまでは、池田大作ではありませんが、「文化大恩の国韓国、韓国に足を向けては寝られない」という気持ちもあったのです。「日韓同祖論」だと思った時期もあるのです。

 今は勉強が進んで、モンゴル史の宮脇淳子先生の韓国史を勉強すると「日本人と朝鮮人は全然、違う民族だ」ということが分ってきたのです。そこに出てきたのが、長浜浩明さんです。この人が朝鮮人の遺伝子研究をやっているのです。

 まず、「民族の違いを分からないとダメだ」という結論に達したということなのです。僕は、変質的な朝鮮嫌いではないのです。



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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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