※ローマ法王ベネディクト16世
今、世界中には様々な宗教が存在します。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、その他、数限りなく宗教があります。それぞれの教祖がいるのです。結局世界の争いは宗教の争いなのです。
宗教同士で殺し合っているのです。イスラム法は、「罪のない人間は殺していいのだ。女と子供がいてドロボウが向こう側にいる時は、女と子供を殺してよい。捕虜で捕まえた場合は、首を斬り落とせ」と書いてあるのです。それにのっとってISISはやっているのです。或いは奴隷に売りとばすのです。如何なる方法でも殺してよいのです。
このように「敵に対してやってもよいこと」が、イスラム法に書いてあるのです。女・子供の場合は、奴隷にして売り渡してよいのです。1千年前につくったマホメットのイスラムの教えはそのような教えです。
相手の国をやっつけて「イスラム教に改宗しろ」と迫っても改宗しない場合があります。どうするのかというと、一人当たり税金を払えば、「異教徒の信仰を持っていてもそれを許すだろう」という事も書かれているのです。
ISISは、5~6千人殺しているのです。シリアの国民も「サッカーを見ていたから」という理由で子供を殺害しました。理由はなんでもよいのです。殺すのは子供です。後ろ向きに座らせておいて、拳銃の引き金を引けばよいのです。すると子供は面白くなってどんどん殺しをやるのです。何十人も殺して、「やったー!」という感じです。それが子供なのです。そのように子供に人殺しを教えるのです。
これは、全て宗教からきているのです。キリスト教世界はよい世界かというと、冗談ではありません。何十万人という人が「魔女裁判」で磔(はりつけ)になったのです。いわゆる、見世物になってしまうのです。西洋は街の真ん中に広場があるのです。その広場に連れていき、「魔女をはりつけにします」と言うと、皆が集まって来るのです。娯楽が無いので、磔がイベントになっているのです。その人間を焼き殺して苦しんで死ねば死ぬほど、悪魔は喜んでいると考えていのです。それで何十万人と殺してきているのです。
昔、ローマ法王は裁判権も持っていたのです。ローマ法王が「お前は死刑だ!」と言えば、死刑になってしまうのです。今のように宗教者として気高く振舞おうなどというようなものではないのです。
100年位前は、物凄い権限を持っていたのです。王様よりも権限を持っていたのです。恐ろしいものです。ローマ法王の歴代の半数は殺されています。全員がホモなのです。自分達は何でもやってもよいのですが、人がやると殺してしまうのです。
『カサノバ回想録』を読めば、神父の事情が書いてあります。カトリックの神父は本当にひどいのです。告白をさせて「神父様、私はこんな悪いことをしました」と自分の罪をしゃべらせてって懺悔をさせて「わかった私が浄化してあげましょう」と神父が言って、スカートをめくってその場で犯してしまうのです。どこの教会でも、そのようなことをやっていたのです。『カサノバ回想録』に書いてあるのです。
神父などそんなものです。何が聖職者なのでしょう。あるのは名誉欲と権力とお金です。それが歴代のローマ法王の姿なのです。性質が歪んでいるのです。ISISだけを攻めるわけにはいかないのです。
日本はどうかというと、一番逆らったのは念仏宗です。念仏宗は、一向一揆で戦って物凄く強かったのです。皆殺しになっても平気なのです。何故かというと「極楽浄土に行ける」と考えているからです。
「この世で生きていても、ろくな事はなかんべ。では、阿弥陀様のために戦って極楽浄土に行くべや!」と思っているのですから、殺しても殺しても向かってくるのです。天草史郎の乱もそうです。皆、戦って死ねば天国へ行けると思っているのです。ですから、死力を尽くして戦ったのです。
そのことを信長はよく知っていたので、「比叡山の坊主はロクな者ではない」と思っていたのです。比叡山の坊主は肉食・妻帯です。女を連れ込んで、子供をつくって、毎日肉を食べていたのです。「こんな奴らは坊主ではない。一人残らず焼き殺せ!」と言って、3千名焼き殺したのです。「坊主こそ、最低の人間だ」と信長は思ったのです。
現代で見てみると、大石寺は日蓮大聖人様の教えを板曼荼羅にして「この板曼荼羅しか効き目がない。これを拝めば成仏する」と馬鹿なことを言って教えには全く触れないのです。「板曼荼羅さえ拝めば病気は治るのだ。祈りの叶わないことはない」とウソをついて、日蓮大聖人様の仏法を板曼荼羅信仰にしてしまったのです。
このように考えていくと宗教というものが人間社会に与える役割は決してよいものではありません。悪いことばかりなのです。宗教という名の下に奴隷をつくり、売りとばしたのです。
アメリカ大陸に渡ったキリスト教徒は、インディアンを1億人殺しているのです。「え、そんなに殺したの?」と半信半疑の人もいますが、簡単なことです。1億人殺したと言うけれども、10年間で割ると、1千万人です。100年と見れば、1年間に100万人殺して、100年経てば1億人です。
毎日幌馬車で出かけて、インディアンがいると面白がってバーンと鉄砲を撃つとインディアンが馬から落ちて死にます。「面白いな。俺もやってみようかな」そんな感覚で撃ち殺したので、インディアンがいなくなってしまったのです。
西部開拓史とは、インディアンの殺戮史だったのです。アメリカ大陸はもともとインディアンの土地だったのです。それを「俺達がもらうぞ!」と白人達がやってきて、インディアンを殺して土地を奪ったのです。
本当によくないのです。アメリカにいったのは、新教徒(プロテスタント)なので、少しはよいところがあります。キリスト教が悪いのはカトリックです。カトリックは、壮大な寺院を建てて、ステンドグラスを入れて、パイプオルバガンで荘厳な音楽を作り出します。すると神々しくなるのです。
カトリックは「教会に神がくる」と言うのです。神の子供が神父なのです。神父は、神の代理人です。神様は教会に来るのですから、できるだけ大きな天まで届く教会を造り、そこに神様が降りて来るのだという考え方です。
「神に許されるためにこの御札を買えば、罪は許されます」と免罪符を売ったのです。御札をもらった人は「これで天国へ行ける。うれしい」となったのです。
これはキリスト教だけではないのです。日本もそうなのです。念仏の開祖、親鸞が死んだ後、100年くらい経った時に仏光寺というお寺が出来てきます。このお寺の商売がうまくて、「仏光寺はまるで仏国のごとし」と言われるくらい、にぎわうのです。
何をやったのかというと、絵系図をつくったのです。昔の人は字が読めないので、その人の顔を書くのです。それで、「この人は誰の弟子」という順番があり、巻物になっているのです。ここに顔が書かれれば、「貴方は極楽浄土に行けるのです」と坊主が言うと、「それは有難い。書いてもらうべ」と信者は書いてもらうのです。それが商売なのです。金と交換です。
わんさか、わんさかとお客がきてまさに今の創価学会のようなものです。「仏国のごとし」と蓮如が嘆いているのです。「親鸞の教えはそんな教えではないぞ」と言ったのです。
その他では、真言立川流はSEXが最高の修行なのだと言うのです。SEXでエクスタシーを感じれば、それで成仏です。「勝手に乱交するべし」と言って、今でも真言立川流はあります。本当にロクデモないことをやっているのです。細かくみていけばキリがありません。
ユダヤ教の虐殺では、一人残らず皆殺しにするのです。皆殺しにするので、反対にユダヤ人が皆殺しにされるのです。全て宗教がからんでいるのです。人類は宗教問題を解決しない限りは、本当の幸せはやってこないのです。全ての宗教を御破算にしてみなさい。
僕が言いたいのはそのことなのです。信じ込んでいるものをご破算にするのです。創価学会も朝鮮人の池田大作が「朝鮮は美しい国、母なる国」などと言っているのです。大バカ野郎です。朝鮮人が会長になってのさばっているのです。
朝鮮人のために創価学会を利用しているのです。韓国の創価学会は反日です。日蓮大聖人様を担いで、何をやっているのでしょう。悪さばかりやっている創価学会はロクなものではありません。
ともかく全ての宗教をご破算にしなさい! このような状態をつくりあげてそこから考えていかなければいけません。僕がやっていることは、全ての宗教をご破算にした後のことをやっているのです。まず、ご破算にするのが先です。
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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5
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