イスラム国が盛んになり、首を並べたり、首を斬って胴体の上に置いたり、5つの首をならべて偉そうにしていたり、何をやっているのでしょう。
日本人は昔から首狩り民族です。戦争をやったら首を狩り、首を腰にぶらさげて戦場をかけぬけたのです。日本人は首になれているのです。強者になると、5つも首を腰にぶらさげて戦場を走り回るのです。いい風景です。
夜になるとその首をお城に並べるのです。タライで綺麗に首を洗うのです。傷口には米でできたのりでふさいで、髪の毛も整えて綺麗にするのです。天守閣に何百という首がならぶのです。
その首を洗ったり整えたりするのは、女の仕事です。場合によっては、首から上を化粧する場合もあるのです。何百とある首を殿様が見るのです。家臣「殿、これは○○の首でございます!」殿「うむ、分かった。次!」家臣「これは、○○兵衛の首でございます!」殿「分かった!」というように、日本は昔から首実検をやっているのです。それだけではありません。
江戸時代は切腹です。少しでも変なことをやったら武士は切腹です。切腹とは、腹斬りではなく、首を斬り落とすのです。これは、余談ですが、斬首(ざんしゅ)と切腹はどう違うのかというと、斬首は両手を後ろで縛られて、押さえつけられて首を差し出して斬られるのです。
切腹の場合は、作法通り自分の腹に短刀を突き刺すのです。それが武士です。腹に突き刺すのが目的ではないのです。腹を斬ると精神が腹の方へいってしまいます。それで、スパッと首を斬られるので、本人は分らなのです。本人の意識が腹にいっている間に一瞬にして首が斬り落とされるのです。
斬首で首を斬られる場合は、首を差し出すだけですから恐怖です。切腹はそれとは違い、うまく考えられているのです。最高なのです。「切腹しなさい」と言われて「分りました」と言って腹に刃が当たるかどうかの時にスパンと首を斬り落とすので何も苦しみません。
日本人にとって、首切りは当たり前なのです。何百、何千の首の中で日本人は生きてきたのです。びくともしません。何を真似して首を斬って喜んでいるのでしょう。日本人をそんなことでおどかされると思ったら大きな間違いです。
日本人は首が大好きな民族です。そのような意味では、首狩り族かもしれません。そのような野蛮なことは日本にまかしておくのです。日本人はびくともしないのです。
新選組などは、250名くらいしかいないのに40名以上が切腹です。この日本人をなめてはいけません。武士の血が流れていることを忘れてはいけません。
特攻隊の産みの親である、大西瀧治郎(おおにしたきじろう、1891年―1945年)中将は、神風特別攻撃隊の創始者です。終戦時に自決、切腹して果てたのです。最後まで介錯無用です。大西「俺は、部下の苦しみを思えばいくら苦しんでも苦しみ足らない」次官「閣下、介錯をしましょうか」大西「そんなものはいらん!」そんな事は、当たり前です。
自爆テロ、冗談ではありません。神風特攻隊がお前らに教えたことです。だけど、神風特攻隊は無実の人や、市民を巻き添えになどしません。相手の巨大な軍艦めがけて吹っ飛んでいったのです。神風特攻隊で5千人も死んでいるのです。日本人はびくともしません。
日本は武の国です。切腹という意義をよく知って、日本人は首など怖がらないのです。「可愛い首だな」と言って、首と一緒におねんねする人もいるのです。
日本人をそんなくだらない事で脅かすのは止めなさい。
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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5
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