電話にでない奴① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
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最近、電話に出ない人が多いのです。例えば、僕は電話には必ず出ます。何故、電話を持っているのかというと、自分のためというよりも、僕に用事がある人が電話をかけてくるのだから、必ず電話に出るのです。

 くだらない電話でもでます。電話を居留守にしたり、留守番電話にしたりはしません。これは普通です。僕は肌身離さず電話をもっています。いつ、僕に用事がある人が電話をかけてくるかわかりません。朝から晩までもっています。それが電話の本来の目的です。

 ところが最近の若者は電話にでません。留守番電話にしています。みんなそうです。どういうつもりでしょう。何故なのでしょう。僕はみなのために充分役立つはずなのに、「電話にでないとはどのようなことなのか?」と思ってしまいます。

 これは、「自分に甘く人に厳しい」という姿勢です。電話にでたくない相手にはでません。自分は誰にでも電話をかけるのです。ここからして狂っています。これが今の風潮です。「人に厳しく自分に甘く」今の若者たちはそのような傾向があるのではないでしょうか。

 人にはあまくするのです。でもそれは甘えていられる間だけです。死んでしまったら甘えられません。甘えるのもよいことなのです。それに対して「いいよ」ということも、またよいことなのです。

 しかし、そんなものはいつまでも続きません。お互いに生きている間だけ通じる事です。そのような条件がなくなったら、無くなってしまうのですから、そんなに心配することではないのです。甘える時は甘えるのです。

 「人に厳しくする」ということが問題です。「あいつはダメだ」「こいつはダメだ」という話をよく聞きますが「お前もダメだろう」ということです。「お前がだめ」なのに人のことをよく言えます。そのような人間が非常に多いということを感じます。

 「されど電話」ですが、その中に全ての人格が現れているのです。会社で幹部候補生にする場合、僕はそんな奴を絶対に採用しません。都合のよい時だけ電話に出るのでは、ビジネスマンとしては最低の人間です。

 一杯飲んでいてもよし、遊んでいてもよい、女と寝ていてもよいから電話に出るのです。それが有機的なつながりです。もし、自分が女と寝ていたら「都合が悪いから、電話に出れないや」そんなことではダメなのです。

 松下幸之助さんも「どこで何をしていてもいい。ちゃんと連絡がつながればいい」と言っていました。「どこで何をやっていてもよい」と言うのです。一杯飲んでいようが、ゴルフをしていてもよい、デートしていてもよいのです。何をやっていても電話は出れる状態にしておくのです。

 このような事は人物をみる一番大事なポイントになってしまうのです。もし、電話に出ない奴がいたら僕は幹部にはしません。都合のよい時しか電話にでないのではダメなのです。「あついはいつかけても電話に出る」「夜中にかけても電話に出る」そのような人間は、かける側も可愛いと思います。「こいつは将来、幹部にしようかな」と思うのです。「いつかけてもあいつは電話にでない」では、信用を失ってしまいます。

 最近、電話がかかってくると、留守電で録音しておいて後で聞く人間もいます。それからかけてくるのです。かけてくればまだいいほうです。けむたい人だとかかってこないのです。 

人間というのは、昔からそうですが、「人に厳しく自分に甘い」のです。政府もそうです。国家の予算が100兆円あるのですから、自由に使いたいのですが、「100兆円のお金どこに使ったのですか?」と、いちいち国民がうるさく追及します。権力者から見ると国民は煙たいのです。だからウソをつくのです。ウソをつけばわからないのです。「はい、こちらにもう払いました」と言って、実際は払っていないのです。或いは黙って払ってしまったり、そんなことが平気になってしまうのです。

この不景気の中で、国会議員は自分達の給料は25%上げてしまったのです。国会議員の全員の給料ですから大変な金額です。国民の側は給料を上げられないのです。

役人も自分達の給料は上げています。自分達の権利ですから絶対に下げません。国民の倍の給料をもらっているのです。民間は給料を上げるために汗水流して一生懸命働いているのに給料は上がりません。それにもかかわず役人達は、豊かな生活をしています。

例えば、日銀の支店長にもなると庭もついた豪邸です。定年まじかで官舎を出る時には、しこたまためたお金で豪邸を建てて出るのです。一つの仕事が終わっても次の仕事が待っているのです。次から次へと天下りするのです。それが終わらないのです。わずか3年くらい務めた間に莫大な給料と退職金をもらうのです。

それでまた次の会社へ行くのです。3年くらい経つとまた次の会社へ行くのです。どんどんお金が増えていくのです。いくたびに給料と退職金までもらうのです。これが役人です。ですから役人は、波風を立てないほうがよいのです。黙っていれば天下りがまっているのです。

どんな天下りが待っているのでしょう。例えば、財務省の傘下には全ての銀行が入っています。信用金庫も含めて財務省が「O・K」を出さないと何もできません。財務省は認可の取り消しもできるのです。保険会社も、社会保険も財務省の傘下です。財務省は、莫大な権限があるのです。

銀行側は、そのような財務省の官僚が天下ってくるのを待っているのです。役職は頭取です。財務省の下っ端役人でも頭取で銀行に入ってくるのです。すると銀行は国家のお金がタダで入ってくるのです。一人財務省出身の頭取がいると顔がきくのです。1兆円入ってくるところが、2兆円になってしまいます。銀行だけでも何百社とあります。銀行だけでなく、信用金庫・信用組合・農協が財務省の傘下です。

財務省出身の元官僚は農協などいけないのです。人間がそんなにいないから分配できないのです。大手銀行からどんどん取っていくのです。なめてはいけないのです。

何故、そのような構造になったのかというと、東大生は1学年3千名くらいしかいません。中には頭のおかしい人間もいますが、だいたい1500名くらいが就職します。この人たちの行く先はだいたい決まっているのです。東大出身者を日本全国で分けるのです。

日本には超一流企業は2千社あります。一流企業が一人の東大生を取っても、一流企業だけでいなくなってしまいます。

それでは官庁は一人も取れません。それから日銀も東大生は欲しいのです。東大生の側はよりどりみどりです。2千名しかいないのですが、防衛庁も欲しいし、NHKも欲しいのです。

朝日新聞は東大生が誰も受けなかったので、昨年話題になりました。その他、地方がありますが、一流企業と官庁で東大生は売り切れてしまって、下のほうの中小企業までまわらないのです。ですから中小企業には東大生はいないのです。

地方は地方大学をつくり、地方の役人の養成をしているのです。鹿児島大学を出て、中央官庁に入る人はまずいません。鹿児島大学を出たら地元を潤すのです。それでも取り合いです。

そうなると3~5人しかいない中小企業には、絶対にまわっていかないのです。その次に周る人材は早稲田・慶応です。それもすぐに売り切れてしまいます。名も知れない大学の卒業生が中小企業に就職するのです。そのような構図です。

(続く)




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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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