土方歳三資料館 | 中杉 弘の徒然日記

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※土方歳三資料館
土方歳三資料館に行ってきました。しかし、この日あいにく資料館は休館で中を見ることはできませんでした。第一・第三日曜日が会館日です。11時から5時までやっています。なんでも足を運ばないと分かりません。

 土方家は、非常に立派な家でびっくりしました。想像とまるっきり違いました。想像で言うと貧しい百姓屋だと思ったのですが全然違いました。しかも、土方家は大庄屋でした。

 司馬遼太郎の小説によると「貧乏の百姓が武士になりたくて蠢(うごめ)いていた」という話を散々しています。武士になれる千載一遇のチャンスだというので、近藤勇と共に京都へ上ったという話になっていますが、事実はそんな話ではないのです。

 司馬遼太郎は百姓を蔑んでいますが、実際、土方家は大百姓です。家の中に道場を持っているのです。それを見ただけで分ります。小作人ではなく立派な屋敷であり、意識としては完全な武士です。

 しかも、三多摩は徳川幕府の天領です。天領には、大名がいません。徳川幕府が直轄して治めていた土地です。そこにいる領民は、普通の領民より位が高いのです。徳川幕府があり、大名が治めているならば大名の土地ですが、大名はいないのです。意識としては、いきなり幕臣(ばくしん)のような意識です。

 事実、八王子千人同心(はちおうじせんにんどうしん)がいて、あの辺一帯はそのような意識です。これは淵源を遡るならば、武蔵の国の高麗若光(こまじゃっこう)の流れです。高麗若光は、今から1300年前に朝鮮半島から日本に渡ってきた連中です。先祖は倭人ですが、高麗(こま)から来て高麗王寂光(こまおうじゃっこう)と名乗ったのです。王(こしき)とは天皇から与えられた位です。

 高麗若光が1800名の部下と共に武蔵国にやってきたのです。朝廷から「開拓しろ」と言われて、武蔵国を開拓したのです。武蔵国高麗郡といい、川も高麗川というのです。高麗人(こまじん)とは、朝鮮人を意味しないのです。そこを間違えてはいけません。

 当時の高麗(こま)は、日本語が通じたのです。倭人の流れであり、1300年前に1800名の人間が武蔵国に来たのです。その辺の土着の人間と結婚しながら、一大勢力をつくっていったのです。

 幕末にいたるとその勢力は三多摩一体に広がっていて、大変な勢力だったのです。武蔵国の坂東武者とは、ほとんどが高麗王寂光を淵源としているのです。みな馬に乗っていたのです。

 徳川は三河から江戸に来たのです。その前に土着の豪族が大勢いたのです。それが徳川の家臣ではないので、武士にはなれません。もともと居た地侍(じざむらい)です。それが近藤や土方が出てきた背景です。

 だから「土方」という苗字を持っているのです。「石田村の歳さん」ではないのです。最初から「土方」という苗字を持っていたのです。庄屋の家に書いてありました。このような連中が新選組をつくったのであり、苗字帯刀していたのに違いありません。百姓の恰好をして歩いていたわけではないのです。最初から刀を持っていたのです。

 庄屋は村々に入ってくるドロボウがいた場合、武力をもって戦わなければいけません。当時は、交番などないのです。「助けてくれ!」と電話をかけるところもないのですから、庄屋が捕まえたりするのですから武芸もたしなんでいたのです。近藤もそうです。高麗王寂光の子孫の流れです。坂東武者はそうなのです。これは土方歳三資料館に行ってみて本当によく分かりました。

 僕が本当に会いたかったのは、館長さんです。館長さんは女性で美人です。土方歳三も美男子です。その流れですから美人です。今回は、会うことはできませんでした。

 そして、司馬遼太郎の小説にはウソがあります。「燃えよ剣」に出てきますが、土方歳三は、「和泉守兼定・之定(のさだ)」と言われる名刀を持っていたという話ですが、全くのウソです。土方歳三資料館にはしっかりと書いてありました。「土方が京都にいるときに、和泉守兼定12代に打たせて持っていたものである」とちゃんと書いてありました。「なるほどな」と思いました。「和泉守兼定2代目・之定(のさだ)」という話は全くのでっちあげだったのです。

 なにしろ、司馬遼太郎の話は一つ一つ見ていくとでっちあげが多くて驚きます。「燃えよ剣」では、土方歳三が刀を探していて、刀屋に行くと親父がめくらで、「何を探しているのですか?」と店主に聞かれて「和泉守兼定を探しておる」と土方が言うと、「それはこの店にございます」と店主が言います。

「親父、ウソを言うな。この店にあるはずがないだろう」と土方が言うと「ございます。この刀は、300年間貴方を待っていたのです」と言うのです。土方が「値段はいくらか?」と聞くと「5両です」と店主は言います。すると、土方は「5両?おぬしわしをからかっておるのか?」と怒るのです。

 「和泉守兼定二代目・之定(のさだ)」は千両くらい払わないと買えません。大名しか持てない刀です。それを「貴方に5両で差し上げます。お気に召さなければ無料で差し上げます」と店主は言うのです。「燃えよ剣」では、土方が之定をもらったという話になっているのです。

 司馬遼太郎の小説はデタラメで驚きます。実際足を運んで周りを見ると「こんな立派な家だったのか」ということが分ります。ですから、土方歳三は全然、お金には困っていなかったのです。「貧乏で食べる物もなかった」など全てウソです。いくらでもお金もあり、在郷の部下も大勢いて「やるぞ!」と言えば、みなついてくるそのような風土があったのです。それを感じました。今度は資料館の中を見学したいと思います。



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朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


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