ピンチ即チャンス | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

このような言葉を皆さんも聞いたことがあると思います。ピンチは即ちチャンスであります。これはスポーツ界などでは聞かれます。「絶対ダメだ!」と思った時から頑張ってそれをチャンスに変えるという話はよく聞きます。或いは、会社の経営で「倒産か」と思った時にその中から良い手を考えて会社を再建していくのです。そのような話もよく聞きます。

 或いは「病気でもう終わりだ」と思った時に、そこからチャンスをつかんで立ち直った人もいます。建築家の安藤忠雄さんはそうです。凄い人だと思います。安藤忠雄さんは、大阪府立城東工業高等学校卒で大学も専門学校も行っていませんが、世界的な建築家です。もちろん一級建築士です。大学も出ていないのに東京大学教授になっています。

 安藤さんは膵臓(すいぞう)がんで、膵臓を切断したのです。ところが膵臓はインシュリンが出来るところで、食べ物を食べた時に膵臓がインシュリンを出してくれるのです。このインシュリンが糖分を吸収して、細胞に活力がいくのです。

 この糖分が出ない状態を糖尿病というのです。ランゲルハンス細胞からインシュリンができてくるのです。インシュリンが全然でないという人はいないのです。膵臓を取ってしまうということは、全然インシュリンが出ないということですから大変なことです。よく決断して取りました。

 その後は先生の言う通りの食生活をしています。病院おまかせの食事をしているのです。多分、膵臓がないので食べたらインシュリンの注射を自分で打つのだと思います。先生の言う通り食べる量を守っているので、管理されている状態ですからインシュリンの注射を抜いてしまったら死んでしまう場合もあるのです。

 そのような状況で病院を退院して、今では1日1万歩の散歩をしているそうです。楽しくて仕方ないと言っています。建築家として建築の勉強はしてきたけれども、色々な方面の本を読んでいなかったので、時間ができて1日3時間くらいは本を読む時間があるので、「非常に楽しい。こんなワクワクする世界があったのか。夏目漱石の小説など読めて、今本当に幸せです」と言っていました。

 これも高卒という学歴をバネにして、昼間働いたのです。安藤さんは家が貧しかったので学校へ行けなかったのです。大工の見習いになり、一生懸命働いて、職人たちは昼休みをとって食事をします。その時間が1時間あるので、その時間で勉強したのです。夜は家に帰ると体が疲れているので勉強などできなかったのです。肉体労働をしていると本当にそうです。ですから昼の1時間を上手に使って2級建築士を取ったのです。

 その後、1級建築士も取得して世界的な建築家になり東大教授にもなったのです。社員も数百名使っているのでしょう。大手の建築物や美術館やコンサートホールなどを引き受けている凄い人です。

 ボランティアもやっていて、手弁当でやっているのです。給料はもらわないのです。何故かと言うとお金は死んでもっていけません。お金は死んでもっていけないので、使わせてもらうのです。自分で寄付したり、給料ももらわないでボランティア活動をしたり、それが皆のためになると思うと非常に楽しいとプライムニュースで言っていました。

 この中にピンチ即チャンスのヒントがあるのです。ある人いわく「ピンチの中にいろいろ探してチャンスになる芽がある」と考えるのです。ピンチの中にこそ次のチャンスを拾い出せるチャンスがあるのです。

 本当はそうではないのです。ピンチやチャンスは誰が決めるのかというと自分が決めるのです。だから、安藤さんにとっては現場で大工になって働いているというのがチャンスだったのです。ですから建築の事も学べたのです。

 普通の人間だと、「俺は働かなければいけない。勉強なんかやっている時間がないから、今も職人をやっているのだよ」と考えますが、そうではないのです。

 例えば石油というものが、今から数百年前に自分の畑から出てきたら大迷惑です。これは大ピンチです。作物は食べられなくなり、畑に作物を植えることもできないのです。ところが今、自分の畑から石油がでてきたら「チャンス!」と思います。石油が出れば大金持ちになってしまいます。すると、ピンチや、チャンスと言っても、「石油が出たからピンチ」など、そのようなことではないと分かります。

 ピンチとチャンスは、その人が決めることなのです。例えば、海の水は塩辛いし作物はできません。しかし、「海の水は利用できる」と知っている人にとっては、海の水はチャンスに見えるのです。海の水から塩・金・ウランも取れます。様々な海産物も取れます。すると海は最高の宝庫に思えてくるのです。

 ところが、そのようなものを知らない人は、「海の水はしょっぱいし、作物はできないし、良い物ではない」と考えます。「これはピンチ」で、「これはチャンス」というような色分けはできないのです。

 ピンチであるか、チャンスであるかということは、その人の知恵によって変わってくるのです。ですから智恵をいつも磨いていれば、どんなものでもチャンスになるのです。

例えば、江戸時代には灯篭流しがありました。灯篭流しは、お盆にきゅうりでお人形を作り川に流します。先祖の供養をするのです。それを橋の上から見ているとたくさん流れてくるのです。

 チャンスが閃いたのです。「そうだ、もったいない。これを下流で広い集めて漬物にしたら売れるだろう!」と考えたのです。下流に行って野菜を拾ったので、原価はタダです。それを漬物にして売ったら、面白いように売れたのです。それによって財をなしたという人の物語です。

 何気ないことです、ヤクルトもそうです。大阪の通天閣をつくった人で「何か儲かることはないかな?」と考えて、カルピスの工場で働いていたことを思い出したのです。牛乳に乳酸菌を入れるとカルピスができます。「何とか仕事にならないかな」と考えたのです。自分で工場を造るお金もありません。

 そこで、ハタと閃いたのです。「俺は金が一銭もないので工場は造れない。そうだ、工場を造る人を募集して、販売する人を募集しよう!」と、二つのものをタダで集めて、それを結び付ければ「いくらでも工場ができる」と思い、つくったのが「ヤクルト」です。

 全く何もなかったところからつくっていることが分ります。自分のおかれた境遇をいつも「最高のチャンスだ」と考えることが大事です。

 いつも「俺は不幸だ」と言っていると、自分を拾い上げてくれる人も何も見えなくなってしまいます。「俺は不幸なのだよ」と言ってはいけないのです。

 「本当に自分は恵まれていて天の神様が色々な事を与えてくれるのです」と考えるのです。これがピンチ即チャンスという意味です。チャンスをいつも望んでいる人にとっては、ピンチなど見えないのです。ピンチが見えるということは、自分がピンチなのです。「全てがチャンス」だと思っている人にピンチは見えないのです。

 今後、戦争が起きてくるかもわかりません。色々な事が起きてきます。チャンスと思っている人は戦争の中ですらよい商売を見つけるのです。「うわー大変だ。こんな騒乱の世に巻き込まれて大変だ!」という人にはチャンスは見えません。

 いつも自分の心を明るく保って「私にはいつもチャンスがやってくるのだ」と考えていくことを「ピンチ即チャンス」と言うのです。




人気ブログランキングへ


『中杉 弘のブログ』2006年より、好評連載中です!

     ↓↓↓

http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/?blog_id=2098137



朝堂院大覚先生と中杉博士の対談「剣道と神道」

          ↓

https://www.youtube.com/watch?v=caCJNYLJOXQ


【NET TV ニュース.報道】

朝堂院大覚 剣道と神道 2014 ・6・5


公開中!!!!