※ 本日の記事は、前回の記事の続きですので、

まだ読まれていない方は、

ぜひ先に、2-41(←リンク) をご覧ください。

 

 

 

義父母の宿泊していたホテルから

妻と息子の待つ

産後施設に戻る途中、

 

 

僕は茫然自失としながらも、 

すぐに伝えるべきと思い、

東京にいる両親に電話をしました電話

 

 

そして、

息子の生後4日目

義父母から養子を強要された事、

 

 

つい先ほど、

義父母に書類を提出した事を伝えました。

 

 

僕は、言いました。

 

 

 

ごめん…ショボーン

英国に来てもらって、赤ちゃんに会ってもらいたかったんだけど、実現できそうにないよ。

 

 

期待させてしまって、

ごめんね。

 

 

聖子さん(妻)に、

サインをしなければ離婚させられるからと、

泣きながら頼まれて。

 

 

それに、

和英さんと美和さんは、

僕にサインを強要した際に、

 

 

中埜家に日本国憲法は関係ない!

 

 

従わなければ、

片道切符で国外の配送センターに飛ばす!

 

 

とまで言っていた…

 

 

とてもじゃないけど、

逆らえる状態ではなかった…

 

 

 

電話口の両親は、

僕の予想に反して、

 

 

多くを語らず、

むしろ僕のことを

とても心配してくれました。

 

 

母は、

 

 

 

落ち込んでいるだろうけど元気だして

 

体調にだけは気をつけて

 

 

 

と言ってくれました。

 

 

 

孫に会うのを楽しみにしていただろうに…

 

 

 

普段はどちらかと言えば、

言いたいことを言うタイプの両親が、

 

 

多くを語らずに、

むしろ励ましてくれた事で、

両親の優しさが身に染みました。

 

 

僕が何よりも気を落としていた理由は、

唯一の”約束”が、

こうもあっけなく破られたことでした。

 

 

僕は結婚前に、義父に直接、

仮に子が生まれたとしても、将来的な祖父母(両親)と外孫(息子)との関係だけは認めて頂きたいと、確認をしていました。

 

※ ”約束”について詳しくは2-182-19(←リンク)を御覧下さい。

 

 

結婚にあたり、

僕が唯一、

中埜家に求めた事でした。

 

 

あるいは、

”約束”の存在は置いておくとしても、

 

 

両家で結納(ゆいのう)まで行って結婚したのだから、

まずは、子の誕生を両家で喜ぶものだと僕は思い込んでいました

 

※ 結婚の2ヶ月前に、仲人を交えて東京で両家の結納式を行いました。

 

 

結局、更にこの後中埜家は、男児の誕生を奇貨として、僕を家とミツカンから追い出す計画を立て僕を国外へ飛ばしたので、

 

 

両親が息子と初対面したのは、息子が3歳半になってからでした。

 

 

この初対面にしても、徹底的な嫌がらせと破壊行為を繰り返されたために、たまりかねた僕が、日本と英国の2カ国の裁判所に訴え、これに実質的に勝利して実現したのでした。

 

 

僕は、自身が受けた仕打ちよりも、両親に子を会わせるという結婚時に僕が希望した唯一の”約束”が反故にされたことが、一番残念でした。

 

 

前回の記事でお話したとおり

義父母は 跡継ぎを奪うことしか頭になかったのでしょうショボーン