※ 本日の記事は、昨日の記事の続きですので、
まだ読まれていない方は、
ぜひ先に、2-28(←リンク) をご覧ください。
僕の印象ですが、
愛する妻は、義父に対して、まさに恐怖に近い程の緊迫感で接していました。
家族内であっても義父との会話は敬語ですし、義父が怒り出したらすぐに飛んで行って対応するといった様子でした。
義父から急に呼び出されたことを、
僕は、妻に、
”事前に” 相談していましたが、
妊娠中の妻は、僕が急に呼び出されたことをとても心配していて
義父との会議が終わったら、その内容を直ぐに教えてほしいと言い、気が気でない様子でした。
会議が終り、僕が妻に、
義父から会社を辞めるように言われたこと
を伝えた所、大変ショックを受けていました
この時、
婿として中埜家に入ってから1年弱が経過していたので、僕は、中埜家や周囲の状況が少しずつ分かってきました。
特に象徴的であった事件は、先日お話した濡れ衣騒動(←リンク) でした。
当事者である僕を無視して事実関係を確認なさらず、いきなり嘘つき呼ばわりを始め、H川社長(創業家以外で始めてミツカンの社長になられた方です。)に調査の指示を出された事件です。
この時は、H川社長が、僕の学生時代の恩師の所まで訪問され調査をされたので、僕からすれば ”運良く” 、濡れ衣(ぬれぎぬ)だと証明できたものの、
事実を確かめもせず、ましてや本人から一切話を聞かずに、嘘つきだと決めつけられた
ことは、残念ながら事実でした。
そして、言いがかりだと発覚したものの、
濡れ衣(ぬれぎぬ)を着せたことに対して、その後、僕には一言もありませんでした。
※ 詳しくは2-23(←リンク)をご覧ください
また、
今回の会議で退職を迫られたときも、会話のキャッチボールなどなく、一方的で、事実関係の確認がないまま、いきなり お前 仕事を探してこい!! と言われました。
※ 詳しくは2-28(←リンク)をご覧ください
つまり、
諫言(かんげん)が極めてむずかしい環境であると言えました。
※ 諫言(かんげん)とは、「目上の人の過失などを指摘して忠告すること。また、その言葉。」です。
そして、
讒言(ざんげん)があった場合に対応できない、怖ろしい環境でした。
※ 讒言(ざんげん)とは、
「他人をおとしいれるため、ありもしない事を目上の人に告げ、その人を悪く言うこと」
です。
少し耳慣れない2つの言葉を使いましたが、分かりやすく表現するならば、僕が感じた印象は、次の様になります。
義父は、名実ともに、中埜家とミツカンの絶対権力者であり、例え H川社長であっても絶対服従で、そう簡単に異は唱えられません。ましてや社長以下ならなおさらです。
その緊迫感は、
戦国時代の お殿様が、
家来に切腹を命じるようなイメージに近いです。
そして、万が一にも、讒言(ざんげん)による ”嘘の情報” に基づいて切腹を命じられたら大変なので、皆が、戦々恐々としている。
こういったものでした。
歴史がお好きな方ならお分かりだと思いますが、諫言(かんげん)や讒言(ざんげん)は、戦国時代に沢山エピソードがあります。
例えば、徳川家康は、
「主君に対する諫言(かんげん)は一番槍(やり)よりも値打ちがある」
という趣旨の言葉を残しています。
武士の最高の名誉である一番槍よりも、殿様に正しい事を伝えることは、貴重で難しいということです。
現代であっても、
一子相伝、同族非上場企業、など、いわば絶対君主制のような閉ざされた組織では、同様の力学が働くのだと、僕は身に染みて理解しました。
そして…
ずいぶん後になってから発覚しましたが、実際に、
僕をおとしいれる讒言(ざんげん)を、
執拗に行っていた人物がいたのです…
※ 繰り返しますが、讒言(ざんげん)とは、
「他人をおとしいれるため、ありもしない事を目上の人に告げ、その人を悪く言うこと」
です。