※本日の記事は、以前の記事の続きですので、
まだ読まれていない方は、
ぜひ先に、2-23(←リンク) をご覧ください。
僕達が、名古屋で、
夫婦水入らずの生活を開始し、
程なくして、妻が妊娠したこと
お腹の赤ちゃんが 男の子だと分かり
※ 詳しくは2-21(←リンク) をご覧ください
そして、
濡れ衣(ぬれぎぬ)事件 が起こったこと
※ 詳しくは2-22(←リンク) をご覧ください
これらのお話を致しました。
この後ですが…
程なくして、
僕に対して、
ミツカンホールディングス英国支店への配転命令が出ました
ミツカンは、
英国において、
Sarson's :
サーソンズというモルトビネガーのブランド。
モルトビネガーは、フィッシュ・アンド・チップスにかけたりして親しまれています。
Branston :
ブランストンというサンドイッチ等に使うブラウンソース・ピクルスのブランド。
これらを所有しており、日本と同様に食品メーカーとしてビジネスをしています。
これらに関連した業務を行うのが、僕が異動を命じられた英国支店でした。
実際に渡英するのは、発令から数ヶ月後で、それまでは、日本における準備期間という位置づけでした。
もっとも、
この渡英の背景には、業務上の都合とは別の事情もありました。
中埜家は、結婚相手を探す段階で、最初から次期当主候補の英国への移住を準備しており、英国で出産をする予定でした。
その目的の一つは、”家産の維持” であったと理解しています。
そして、
このような理由もあり、
僕達の渡英にあたっては、”移住” に近いほどの本格的な準備が行われました。
つまり、重要となってくるのは、
中埜家の事情による、日本に戻る予定のない渡英
であったということです。
後に、義父は、渡英後の僕に対して、
(大輔が)
どうしてもミツカンにいたいというんだったら
片道切符で配送センターに(飛ばす)
※ 発言等について詳しくは1-3をご覧ください
と発言しましたが、上記の移住の背景を踏まえることで、
”片道切符” 発言の真意がお分かり頂けると思います。
つまり、
この場合の”片道切符”は、
常識的に解釈しても、
”家族のいる英国に戻すつもりはない”
”家族と引き離す明確な意図”
”そのためにミツカンの人事権を使う”
”公私混同”
と言えるのではないでしょうか?
さて…
このような状況で、
渡英の準備を進め
それが最終段階に入った頃。
僕は、突如、
義父に呼び出されました…
お聞きすると、
会議のメンバーは、
義父
(ミツカンの代表取締役会長)
K島 常務
(例の ”問題の報告書” を作成した方です)
※ 問題の報告書については1-15(←リンク) をご覧ください
と、僕、
の3名とのことでした。
※ 既にお伝えしたとおり、結婚後に、僕と義父の2人だけで会ったことはなく、必ずミツカンの幹部が同席します。
当然、
僕は、
不安しか ありませんでした…
渡英の直前に、
急に呼び出されるなんて…
とても
いや〜な予感…