BBC iPlayerでイラン映画の『ジャスト6.5 闘いの証/ Law of Tehran』(2019)を観た。監督は1989年生まれのサイード・ルスタイで、東京国際映画祭での監督賞受賞作品なので、日本では知られているのかもしれない。イラン映画ではアスガー・ファルハディ監督の『About Elly(彼女が消えた浜辺)』(2009年)『The Past/ある過去の行方』(2013)そして『セールスマン』(2016)などを観たことがあり、その度に「伝統あるイラン映画は見逃せない」と思い知らされてきた。流石、イランで一番人気と呼ばれた本作もその伝統から来る期待を裏切らない出来。しかも、ハリウッド映画など見慣れた展開とは根本的に異なる文化圏に属することに思わず「ハッ」とする場面も多い。何しろ映画の根底に流れるのはイランの人権に対する批評精神。日本も人権に関してはかなり酷いレベルの国だと思うけれど、イランはその上を行く凄まじさがあって、これは本当に現代の描写なのか、それともホロコースト時代へのオマージュなのか、と疑ってしまうほど。ラストの場面は観るものに重い疑問を投げかけてくるので深く考え込んでしまう。全編に渡り緊張感漲る画面に惹きつけられて、あっという間の2時間超。さて、そのあらすじは…

 

 緊張感あふれるスリラー。刑事サマド(ペイマン・モアディ) は麻薬王ナセル(ナビド・モハマドザデー) を追跡し、執拗な捜査を開始する。サマドはナセルを逮捕すれば、市内に大混乱をもたらしエスカレートする薬物中毒の問題を抑制できると期待する。しかし、ナセルを追い詰めるにつれて、サマドは反対に腐敗とモラル低下の道へと導かれ、次第に誰も信頼できなくなっていく…(IMDbより翻訳)

 
 映画の前半に描かれる土管で造られたスラムを見て、「ドラえもん」や「サザエさん」など昔の漫画で描かれる土管とはこういう感じだったのか!と納得した。確かにテヘランでは今でもまだイラン戦争の戦後の影を引き摺っているのだ。テヘラン出身の学生のエッセイの中でも、アメリカの攻撃で人々の心の拠り所であるイスラム教施設モスクやインフラストラクチャーが破壊されたり、地方自治体が機能しないのでゴミの収集などが滞る街の惨状が描写されていた。しかも、映画の中の警察署の牢屋は地下牢みたいで、「こんなに薬物使用者を収容したら、座る場所もない」というほど混み合っている。服も脱がして全裸にし、殆どホロコースト並みの扱いに驚く。おまけに検事との面談はあるけれど、裁判は無い!? など予想外の展開に戸惑うばかり。イギリスのドラマでは定番の被疑者の言葉「弁護士が来るまで何も話しません」は尊重されないし、事情聴取開始から終了時までの録音などは一切存在しない。こういう隅々にその国の人権意識は反映される。刑事と麻薬王を対立軸にはしているものの、勧善懲悪ではない展開で、徐々に家族思いの麻薬王に感情移入してしまう。あらゆる裏返しの展開に、ハリウッド映画などに洗脳されてきたことを強く意識させられる、忘れ難い映画だった。

 

麻薬売買相手は日本人という設定なので、「ジャポネ」と訳しているけれど、本当の訳は「日本人相手のレザ(名前)」だと思う。