イラン映画の『About Elly(彼女が消えた浜辺)』をナショナルフィルムシアター(NFT)で見た。監督はアカデミー賞外国語部門を取った『別離』と同じアスガー・ファルハディ(Asghar Farhadi)監督で、この作品もベルリン映画祭で銀熊賞を取っているだけあって、見応えあり思わず唸ってしまうような映画だった。どんな場所でも起こりうる事件を元にそれに巻き込まれた人々の間のテンションや葛藤を見事に描いており、迫真の演技も相まって非常に密度の濃い作品に仕上がっている。

 実際映画の前半は登場人物の紹介に近い。大学時代のクラスメートである3家族が、カスピ海沿いのリゾート地に車で出かけるのだが、宿では予約してあった Villaが一日しか使えないと言われ、リーダーの女性セピデーが代わりに今は使われていない浜辺のVillaを強引に借り切ってしまう。その時に使っ たウソが「ドイツから来た男性と私の友達が結婚してハネムーンも兼ねてきているのだから、何とかして欲しい」というもの。このウソのために後で状況が悪い方向に進んでいく。エリーというのがセピデーの子供の幼稚園の先生で、控えめでシャイな可愛らしい女性。この旅行は実はハネムーンではなく、 このエリーをドイツ帰りであるナツィーの弟アーマドと引き合わせるというマッチメイキングというかお見合いのようなものだったらしい。またこのアーマドが子供たちもすぐなついてしまうような人好きのするチャーミングな男性なので、エリーもまんざらではない様子。特にアーマドがドイツで離婚したときに元妻に言われたという「苦い結末でも終わりのない苦しみよりはマシ(A bitter ending is better than an endless bitterness」という言葉が印象的。このように、映画の前半はちょっと青春ものの延長のような展開でやや退屈なのだが、一旦、母親の一人が「子供たちを見ていてね」とエリーに言って買い物に出かけてしまうところから、物語は完全に暗転していく。

 ここから一機に映画の集中度が増し、エリーが凧揚げを手伝っているときに海に一人で入っていた男の子が一体どうなってしまうのか、と映画を見る側がハラ ハラし始め、案の定、子供は海で溺れてしまうのだが、運よくアーマドに助けられ、一旦は安心できる。ところが、今度はエリーが居ないということに皆が気付き、子供を助けるために海に入って行ったのか、それとも勝手に家に帰ってしまったのか、という疑心暗鬼、ウソ、そして隠していた秘密など、人間関係のドロドロが表面化してきて・・・このあたりの心理描写、グループダイナミズム、エリーとは誰だったのか、エリーの携帯で最後に電話を受けていたのは誰なのか、という具合にいきなりサスペンス映画のような展開に豹変していくところが今までの映画ではあまりなじみのない新鮮な驚きを見る側にもたらす。

 一緒に見た人は「この後の作品である『別離』もものすごく印象的な映画だった」と言っており、イランのハルファディ監督の作品は今後も見逃せないと思っ た。同じくイランに関する映画ではアニメーションの『ペルセポリス』も名作で、イランの社会情勢、女性の地位、文化を反映していて忘れられない。この映画の中で、 イラン女性がベールを日常的にかぶらなければならなくなったのはそう昔のことではなく、つい1970年代か80年代(記憶が定かではない)に宗教的に締め 付けが厳しくなったからなのだと説明があった。『彼女が消えた浜辺』でエリーを探すセピデーがベールをかぶったまま海に入っていくシーンで、この戒律が ここまで厳しくなっているのだということにも驚きを覚えた。宗教というのは、解釈次第で変更可能なのだ。社会的な締め付けが厳しい国で発展する表現形態と して、イランの映画は今後も期待できそうである。